第二章 迫る不安の影 (4)
「何してんだよ」
冷ややかな男の声が、カンエイの動きを止めた。
顔を上げたカンエイは都督府の裏庭に点在する木立の影を窺い、慎重に辺りを見回す。神経を研ぎ澄ます彼の目つきには、怪しさが満ちている。
「何者だ、姿を現せ」
「カンエイ殿ではありませんか? こんな所で何をされているのです?」
カンエイが視線を留めて目を凝らした先、木立の影が揺らいだ。暗闇の中から歩み寄る若い男の姿を、月明かりが露わにする。それはカンエイと同じく東都軍の中で見た男だった。
「これは……リョショウ殿」
男を確認したカンエイは顔色を変え、慌ててリキから手を離した。苦しげに絞り出すように発せられた声は上擦り、後退った足元はふらついている。
「そちらは北都殿の? カンエイ殿、これは一体どういうことでしょう?」
彼の無様な姿に、リョショウは僅かに苦笑して口を結んだ。
リョショウは場違いなほど悠然と落ち着き払い、カンエイに迫る彼の目には冷ややかさが滲んでいる。
照らし出す月明かりの影を帯びたリョショウの姿に威圧感さえ覚えられて、リキはただ立ち尽くすだけだった。
「おお、私としたことが……飲み過ぎてしまったようだ。これはリキ殿、ご無礼お許しを」
カンエイはわざとらしく頭を下げ、逃げるように裏口の扉から屋敷の中へと入っていく。その背をリョショウは突き刺すような視線で見送った。
カンエイの姿が消え、扉が閉まると同時にリキは全身の力が抜けてその場に座り込んだ。鼓動は乱れ、恐怖と悔しさが疼いて胸が息苦しい。さらに脚の震えは激しさを増して治まりそうにない。
「大丈夫か? 怪我はないか?」
とリキに差し伸べられた手は分厚く、使い込まれた跡が滲んでいた。
「ありがとうございます」
一言答えるのが精一杯だった。途端に堰を切るように、抑えていた気持ちが涙とともに溢れ出す。
リキは目を逸らした。カンエイに対して何も出来なかったことが悔しい。そして何よりも、無力な自分の姿を見られることが恥ずかしく情けなかった。
リョショウはリキの隣りに腰を降ろした。
「俺、アイツのこと嫌いなんだよな……目つきが悪いし、何だか見てるだけで腹立たしくなってくるんだ」
沈黙を解いたリョショウの静かな言葉に、リキは驚いて顔を上げた。彼の指すアイツとは、カンエイのことだとすぐに分かった。