第一章 温かな風 (1)
温かな風が過ぎった。
真新しい緑の薫りを孕んだ風は襟元に触れる毛先をそよがせ、優しく頬を撫でながら通り過ぎていく。
全身を擽る風の心地よさに誘われて前方の窓の向こうへと目を向けると、真っ青な空と深い緑の山並み。心が緊張から解き放たれていく。
その瞬間、視界に影が飛び込んだ。
咄嗟に握り直した木刀に真っ直ぐ振り下ろされる太刀筋。手に強烈な衝撃が走ると同時に木刀が離れ、床へと滑り落ちていく。
それに手を伸ばすより早く、彼の喉元に突き付けられた切っ先が動きを封じた。
「私の勝ち。ハクラン、勝負中に余所見するなんて余裕? それとも馬鹿にしてるの?」
ハクランと呼ばれた若い男の頬にやんわりと切っ先を当てて、彼女は口を尖らせる。
「ごめん、リキ。あんまりにも気持ち良さそうだったから」
と、ハクランは窓の向こう側を指差した。その手には木刀を払われた痺れが、僅かに残っている。
「これが真剣勝負だったら、そんなこと言ってられないわよ」
木刀を降ろして縁側に出た二人を、優しい風が緩やかに包み込む。溢れるんばかりの日差しを受けた板張りの床の温もりが素足の裏側から伝わり、裳を揺らしながら全身に満ちていく。
「いい天気、……気持ちいい」
リキは凛とした瞳をゆるりと細めた。両手を広げて、うんと伸び上がるリキの姿を見てハクランは笑った。
「だろ? 俺の気持ち分かった?」
「うん、ちょっとだけね」
と、見上げたリキの笑顔には少女のあどけなさが残っている。
薄手の上衣の中には先ほどまでハクランと対等に木刀を交えていたとは思えない華奢な体、しっかりと結い上げた黒髪が日差しを浴びて輝いている。
ハクランはリキと対称的ながっしりとした体型。その気になれば、彼がリキに負けることなどあり得ないだろう。
縁側に並んで腰を降ろした二人は言葉を交わすことなく、遠く緑深い山並みを望んでいた。時間の流れをすっかり忘れる心地よさと共に、次第に意識が蕩けていく。
そんな二人を呼び戻したのは、屋敷の扉の開く音だった。