33.逢いたいが情、見たいが病5 Love is longing , and longing aches.
「よくご存知で笠神さん」
無表情な崇直に対し、シェフは少し得意げな顔で笑っている。
「でも、アニョーも良質で有名なんですよ」
あ、もしかして崇直、ブレスはアニョーも有名って知らなかったのか。
と思ってたら、すかさず紅緒が聞いてきた。
「シェフ、アニョーってなんですか」
あれ?
「失礼、アニョーは子羊のことです。今日は良いフランス産のアニョーが手に入ったので」
ほら、崇直。
「ラム肉、好物だったよね、崇直」
「オセアニア産のラムチョップね」
冷めた目でまた睨まれた。
何故か嫌味で返されたぞ。
今日は妙に突っかかるな。
「ここだけの話なんですが」
突然、シェフが内緒話でもするように頬に手を当て前かがみになった。
思わず僕らも身を起こし、聞き耳を立てる。
「いつもはニュージーランド産のラムなんですよ、実は」
へぇ、そうなんだ。だってよ、良かったな崇直。
「フレンチビストロなのに、ね」
とここで微笑む。
うん、笑顔が素敵な人だ。
この笑顔で、充分もてなされた気分になれるよ。
「でもクセがなくて、その上いい肉なんですよこれが。しかも安い」
と、裏話をしてるかのようにトーンを落として言う。
へー、と感心してたらあのプロバンス風煮込みの豚は千葉県産だと種明かししてくれた。
いたく豚の煮込みを気に入ってた崇直が、それを聞いてとても嬉しそうに笑っていた。
「では、デザートをお持ちしますね」
笑顔でそう言うと去り際に田中に笑いかけ、厨房へ戻っていった。
「川崎さん、あ、シェフね」
と、田中がこちらに向き直る。
「W大の法科出てるんだよ。俺らと同じように現役合格したくせに司法修習生蹴って調理学校へ行ったんだ」
えー、司法試験合格しても研修蹴って良いんだ。
義務じゃないから、選べるのか。
「料理好きが嵩じたとかじゃないんだよね、理由が」
W大って。
「W大って、ベーの先輩じゃん」
「あたしは法科じゃないよ、わーちゃん」
「知ってる。文学部だったよね」
「うん。第一文学部。来年は日本語の先生だよ~」
「へー」
ん。崇直何か言いたそうだな。
何だよ、聞こえないよ。
「変わった人だろ」
え? 誰がって、あシェフのことか。
「良い顔してたからね。あの顔は良いわぁ」
確かに自分の仕事に誇りを持ってる感じは良いよな。
特に客に媚びないところとか。
「お客様は神様なんて言われてるけど、本来は対等なんだよ」
そう言ったら「そうなんだよね」と紅緒が笑顔で答えてくれた。
「デザートのイル・フロッタント塩キャラメルソースとラベンダー香るクレームブリュレでございます」
紅緒が嬉しそうに自分のイル・フロッタントを受け取るとそのまま僕の方へ差し出した。
「わーちゃん、それ一口ちょうだい。あたしのも取っていいよ~」
と握ったスプーンを伸ばしてくる。
「べー、サンキュー。じゃ、半分こしよっか」
そう言ったらもうコレ以上無い位の笑顔で「うん」、と答えてくれた。
「だから、わーちゃん大好き」
あはは、その好きは、まぁ、いいけどさ。
もちろん紅緒は遠慮なく、僕のブリュレのカラメリゼを叩き割り半分を器用に取り分けた。
久々に美味しいフランス料理をいただいて、大満足だ。
みんなも幸せそうな顔して、紅緒なんか照れながらシェフと握手までして、「手が温かい」と左手まで添えてたからな。
それに崇直の杞憂をよそに、予算内であの料理は最高だよ。
田中、やるなぁ。
「さて、オレらもそろそろ帰るか」
おいこら、何言ってるんだよ崇直。
「司法研修所に連れて行ってくれるんじゃなかったのかよ」
「はぁ、お前らマジで付いてくる気?」
「うん。行くよ」
と紅緒が当たり前じゃんとでも言いたげに答える。
「え、司法研修所に来るの? 中には入れないよ」
田中が驚いたように言う。
「だって先輩、最高裁の機関なんでしょ、そこ。それだけでも興味湧くじゃん」
あんな研修所を見てもと不思議がる田中に、紅緒は普通の人はそんな機関があることさえ知らないんだよと言っていた。
そんな敷地内に入れるってだけですごいじゃないと言ったが、崇直も多分田中もそんな特別意識はないみたいだった。
さて、その研修所だが崇直の話だと、去年庁舎が出来たばかりだという。
施設としても新しいようだ。
ますます興味が湧くよね。
東武東上線に揺られ、和光駅へ。そこからバスに乗り、目的地「司法研修所前」で下車する。
同じバスに何人か崇直たちの同期も乗っていたようで、つかず離れずな距離で一緒に歩いて門まで向かった。
「へー、学校とも違うし、独特なピリッとした感じがするね」
紅緒が感心しながら正門のゲートを見ていた。
必要ないときは閉まっているらしい。
崇直たちはその脇にある小さい入り口から入るようだった。
崇直が背中のリュックのポケットから紐付きのIDカードを出して首からぶら下げる。
田中も同じように透明なホルダーに入れられたIDカードを首にかけていた。
それを見た紅緒が見せてと、カードを手に取る。
「崇ちゃん、目の焦点が合ってなーい」
どれどれ。
「これって、寝起きの顔じゃね? 崇直」
うっさいなと、取り上げられる。
「見るもの見たらさっさと帰れ」
「ええぇ、笠神の写真って寝起きだったんだ」
と田中がIDカードに手を伸ばしたら、すかさず叩かれていた。
「だから、うるさいって田中」
図星だったんだ、まぁ頭が爆発してないだけ良かったか。




