私を捨てた元夫のことなど知りません。えっ、行方不明になってるんですか?
エレノアを乗せた馬車はゆっくりと出発した。見送りに来る者は居ない。
ただ馬の蹄の音、そして車輪の土を転がる音が規則正しく響いている。
空は晴れていた。
外を見ればのどかな風景が続き、植物の色は濃く、草の匂いが馬車の中まで押し寄せてくるようだ。
今までエレノアは、このオラニエ領を発展させるために全てのエネルギーと時間を費やしてきた。しかし彼女は今日、全てを失った。
遠ざかっていく。
村が、畑が、草原が。
それは彼女が大好きだった場所たち。
薄暗い馬車の中からは、やけに外が輝いて見える。その景色が、透明にぼやけていく。
エレノアの頬を涙がつたって落ちていった。
そして彼女は、これまでのことを振り返っていた。
◆
メクレンブルク男爵家の長女として生まれたエレノア。
彼女の嫁ぎ先は中々見つからなかった。エレノアは吃音症であり、それに伴ってコミュニケーションをかなりの苦手としていたからだ。
そんな彼女に縁談の話が持ち上がる。相手は、オラニエ伯爵領の領主、ウィレムだった。
エレノアが指揮魔法を使えることが彼の目に留まったのだ。
指揮魔法とは、植物の育成を助ける魔法の総称である。術者が指示を与え、草木がそれに従って生えるように見えることから、この名で呼ばれるようになったと言われる。
彼の有するオラニエ領は王都の北にある農村地帯であり、指揮魔法の使い手を欲しがっていた。
「君を愛することは無い」
そうウィレムから宣言されたのは、結婚式の直後だった。これは政略結婚だと自分に言い聞かせていたエレノアも、流石に呆気に取られるほどの早さだった。
以降、二人が閨を共にすることはなく、交わされるのは領地運営や植物の生育に関する業務的な会話のみ。
夫婦仲はうまくいっていなかったが、エレノアは自分の役割を果たすことに務めた。
最も時間を費やしたのは、植物の成長を促して領地を周ることだった。
オラニエ領は広い。一日中魔法を使っていれば極限まで疲労する。移動中の馬車ではいつも死んだように眠っていた。
エレノアの魔法は順調に作用していた。農作物の生育も牧草の育ちも昨年を上回り、農夫たちには感謝された。
エレノアは指揮魔法を使う傍ら、帳簿のチェックや、報告書の管理を進んで手伝った。愛されなくても、彼女は妻としてウィレムを支えようと努めた。
オラニエ領の冬は冷える。ウィレムのためにマフラーを編んだこともある。しかし彼がそれを付けているところは、ついに一度も見ることが出来なかった。
それどころかエレノアと話すことを煩わしく思っていたようだ。話している途中で立ち去られてしまうこともあった。
吃音症の彼女はうまく言葉を伝えることが出来なかったのだ。
また、ウィレムはエレノアが魔法を使う様子を見ることも嫌った。
彼女は魔法を使う時、まるで見えない何かと話すように独り言を言う。それを気味悪がっていたのだ。
◆
異変が起こったのは一年が過ぎた頃だった。
ウィレムがパウリーという女性を屋敷に入れるようになった。彼女は領地経営上のパートナーだと言ったが、どう見てもそれだけでないのは明らかだった。
彼らは仲睦まじげに手をつなぎ、腰に手を回しさえした。共に執務室に入った後、何時間も出てこないこともあった。
勿論、エレノアとは一度もしたことのない行為だ。ウィレムに抗議をしたが、彼は開き直って言った。
「言っただろう。君を愛することはないと。なのに抗議をする意味が分からないな」
暗にエレノア以外の女性は愛することがあると宣言しているようだった。
ウィレムがパウリーを優先する理由は明確だった。
彼女の使う指揮魔法が、飛び抜けて優秀だったからだ。
パウリーは元平民の冒険者だったが、つい最近、ダンジョン攻略の際たまたま凄まじい能力を手にした。
それは指揮魔法の完全な上位互換であり、エレノアの使うものとは比較にならないという。
実際に彼女が牧草を生やす様子を見た時、エレノアは愕然とした。エレノアのやり方では、結果が分かるまで少なくとも数日はかかる。だがパウリーが魔法を使うと、その場で草の育成が進むのが分かる。あたかもその場所だけ時が早く進んでいるのかと錯覚するほどだった。
エレノアの脳裏には暗い予感が浮かんでいた。
そしてその日は、予想を外れることなく訪れた。
「エレノア、俺と離婚して欲しい」
宣言するウィレムの隣にはパウリーが居る。勝ち誇ったようにエレノアを見ている。
「ど、どうして、ですか」
エレノアはか細い声で抗議した。
「君を妻に迎えた理由は分かっているだろう。指揮魔法を使えるからだ。だがパウリーに仕事を手伝ってもらうようになって分かった。君のやり方は効率が悪すぎる」
ウィレムは半ば睨むようにエレノアを見た。
「パウリーが居れば作物の収穫量が段違いだ。それに彼女は干ばつ時に雨を降らせることも出来るし、強力な攻撃魔法で農地に侵入してきたモンスターどもを消し飛ばすことさえ出来る。ちまちま指揮魔法を使っているだけの君とは何もかも違いすぎるよ」
「ウィレム様。そんなに言ったらエレノア様が可哀そうよ」
パウリーは楽しそうに笑う。
「で、でも……」
「でも、何だ?」
きつめに言われると、エレノアは言葉が出てこなかった。
「ほら、そうやて君は直ぐどもってしまう。何を言いたいのか分からないことばかりで、伯爵夫人として全く相応しくない」
ウィレムは続ける。
「それに、君は普段から見えない何かと会話をしているよね。人と話すときはどもるくせに、一人の時は饒舌にしゃべっていて気味が悪いんだ」
「そ、それは、せ、精霊さんと……」
「精霊?」
ウィレムは失笑した。彼は当初からエレノアがどのような機序で指揮魔法を使っているのか、全く興味を持っていなかった。
実は独り言を話しているように見える時、彼女が精霊と会話していたのだということさえ知らなかった。
「精霊と会話してどうする。会話出来なくてもパウリーの方が圧倒的に領地の助けになっているぞ」
「ウィレム様、馬鹿にしては可哀そうよ。エレノアさんは少し不思議な感性を持っているだけだわ」
パウリーはくすくす笑う。
エレノアは耐えられなくなり部屋を出た。しめた扉の隙間から、二人の笑い声が高らかに響いてくる。惨めだった。脱力感に襲われ、エレノアは自室に戻り崩れ落ちた。
彼女はこの領地に思い入れを持っていた。少しづつ、少しづつ、大地の力を高め、精霊たちと会話し、農夫たちとの交流を通して、より良い土地づくりを目指してきた。
しかし彼女はもう、ウィレムたちに抗う力は残っていなかった。長期間の重労働で疲弊し切っていたし、精神的にも参っていた。
王都に引き上げる馬車の中、エレノアは自分の無力を感じ、ただ泣いた。
その年、エレノアからパウリーに指揮魔法使いが変わったオラニエ領は、予想通り大豊作だったようだ。
◆
叔父のエイベルが訪ねてきたのは、実家に戻って一週間ほど経った時だ。
エイベルは爵位を持っていない。商人として人生の大半を過ごし、今は山間の村に隠居していた。
「うちの村で暮らさないか」
エイベルはエレノアが離縁されたこと、能力のことも知っていたため、彼女を助けたいと思ったようだ。
爵位を捨てている彼だからこそ、エレノアには貴族のしがらみに縛られて生きるより、自分の能力を発揮できる場所で自然に生きた方が良いと考えていたのだ。
エレノアは多少悩んだものの、村に引っ越すことを同意した。このまま実家に居ても腐ってしまうだけだと、彼女も考えていたのだ。
エレノアは叔父の所有する丸太小屋を一軒丸ごと使えることになった。付いてきた侍女は一人のみ。
金銭のやりくりや、村人との交流など、おおよそのことは自分でこなす必要があった。
初めてのことばかりで戸惑うエレノアだったが、村の人たちは親切で、困ったことがあれば何でも助けてくれた。
そのため彼女は少しづつ生活に順応し始める。
やがて指揮魔法を使い、村人たちの農業を助け、村の一員として欠かせない存在になることも出来た。
小さな村での彼女の活躍は直ぐ話題となり、領主であるヴィンセント・スターレット子爵もわざわざ様子を見学に来るほどだった。
ヴィンセントは騎士団上がりの武骨な男だった。口数は少ないが領民思いで、暇さえあれば高齢な村人の手伝いをする様子はエレノアも見たことがある。
確かに顔は怖いが、危害のない人物であることは、しばらくして分かった。
村での生活は徐々に彼女の心を癒していくのだった。こんな生活がずっと続いてほしい。
エレノアはそう強く願った。
***
ある日、畑仕事から戻ろうとして異変に気付く。
自宅の前に複数の兵士が立っている。肩の腕章から王都の騎士団だと直ぐ分かった。
咄嗟に身を隠し、様子を伺う。
彼らはノックを繰り返し、しきりにエレノアの名前を呼んでいた。
嫌な、予感がした。
叔父の家に避難しようと、遠ざかろうとした時。一人の兵士と目が合った。
木陰に隠れているはずの彼女を鋭く見据える。
反射的にエレノアは走った。
走って、走って、あぜ道を全力で疾走した。
しかし兵士の脚力にはかなわず、直ぐ追いつかれ立ち塞がられてしまう。
体格差は歴然。
目の前が真っ暗になる思いだった。
せっかく、ここでの生活に慣れてきたところだったのに。自分はどこに連れていかれるのだろう。
エレノアの怯えた表情に気付いたのか、長身の兵士は努めて柔和な表情を作った。
「怖がらないで」
まるで小さい子にするように、優しく言った。
「私は王立騎士団に所属するグレイスと申します。決してあなたに危害を加えに来たわけではありません」
グレイスと名乗った兵士は、ゆっくりと手振りを混ぜながら説明する。
「あなたはメクレンブルク男爵家のエレノア様ですね?」
「は、はい……」
「ではウィレム・オラニエ伯爵はご存じですか」
「は、はい。元夫、ですから」
グレイスはゆっくり頷いた。
「ウィレム氏がこちらに来たことは?」
エレノアは精いっぱい首を振った。
「そ、そんな……り、離婚してから、会ったことも、ない、です」
「ふむ、そうですか」
グレイスは顎に手を当てた。
「初対面ながら、あなたは嘘を付くような方にも見えませんしな。他の村人にウィレム氏の似顔絵を見せて訪ねても、そんな顔の奴は知らんと言われましたよ」
グレイスの顔に徒労の色が濃い。ウィレムについては思い出したくもないので、この村では極力考えないことにしていた。
ただ、何故王都の騎士団がわざわざ彼を追ってこんな片田舎まで来たのかは気になった。
「あ、あの、どうして……」
「どうしてウィレム氏を探してるのか、ですか」
エレノアは浅く何度も頷く。
「実はですね、ウィレム氏は今……」
そこまで言ってグレイスは眉間にしわを寄せた。
「ウィレム氏は今、失踪しているのです。そして我々は彼をどうしても捕えたい理由がある」
◆
ウィレムの失踪から数か月前、オラニエ領。
ウィレムが違和感を覚え始めたのはエレノアを追放して直ぐだった。いや、居た時から違和感はあった。
ただ目を逸らしていたのだが、逸らしきれなくなったのだ。
ある日、ウィレムが一人のメイドと会話をしていた。「今日は来客があるから念入りに玄関を掃除してくれ」という、他愛のないものだ。
ウィレムがちょっとした冗談を飛ばし、メイドが笑った、その時。
「ウィレム様から離れろおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
屋敷を揺らすほどの大声。
パウリーが、人をにらみ殺せるほどの鬼の形相で猛然と走ってきている。手には歪んだ黒い塊が滾っていた。闇魔法だった。
咄嗟にメイドを殺す気だと思ったウィレムは、彼女を隅に突き飛ばした。結果、自分が魔法をまともに食らう。
「ぐあっ!」
ウィレムは感じたことのない圧力を感じ、吹き飛んだ。いや、吹き飛んだのはウィレムの本体ではなく、彼の髪の毛だった。花火のように、儚く散った。
結果、頭皮が一瞬で荒野と化していた。
そう、パウリーはその人知を超える魔法で、メイドの髪をすべて吹き飛ばそうとしたのだった。
彼女は草を生やすことも出来るが、その逆も容易。
ウィレムの髪はその後、何とか生えて来たものの、以降女の使用人はウィレムと会話すること自体を禁止とせざるを得なくなった。
当然ながらエレノアが居た時は全く気にしなくてよかったことだ。誰とでも何も気にせず会話できる日常が、こんなに貴重なものだとは思わなかった。
パウリーはひどく嫉妬深い女性だった。
実はウィレムは当初、エレノアは領地に残そうと考えていた。指揮魔法がそれなりに貴重であることは彼も分かっていたからだ。離婚するにしても、実際にやったものより穏便に済ませようと考えていた。
しかしパウリーは強硬に反対し「私への愛を証明してください!」と執拗に迫ってきたため、ああせざるを得なかったのだ。
パウリーは感情を制御するのが不得手で、その上魔法を使わせたら勝てる者など領内に一人もいない。
結局その後、パウリーを怖がって女の使用人は殆どが辞めてしまった。
彼女は束縛も非常に激しかった。
最低でも毎日、「起きている時」は5時間以上二人で過ごさなければ機嫌が悪くなってしまう。ウィレムは領主として日々忙しく動き回っている。
彼女を視察に連れていくことも出来るが、限度がある。
ウィレムは忙しい時間を割いて、睡眠時間を削ってまで彼女の相手をしなければならなくなった。しかも相手は片手で自分を殺せるほどの猛獣。
常に神経を尖らせ、心休まる暇など全くなかった。
事あるごとに「エレノアだったら」と考えてしまう。彼女は自分を束縛することなど全く無かったし、領地経営の仕事を手伝ってくれていた。いなくなって、彼女の存在が大きな助けになっていたことを実感せざるを得ない。
逆にパウリーはしてもらうことばかり考えていた。指揮魔法で貢献しているのだから十分だろう、と考えているのだ。
確かにそうだ。指揮魔法が当初の予定通り発揮されていれば、ウィレムはまだ我慢できた。
そもそも結婚したのは、彼女の能力が領地発展のためになると思っていたからなのだが、その領地にも異変が起こっていた。
今年収穫された作物がどれもこれも痩せている。いつもの半分ほどの出来でしかない。
パウリーの力で雨は適量降っている。それに植物の生育も順調にいっているはずだった。モンスター被害も全く報告されていない。
それなのに何故なのか。
ウィレムは原因を究明するため「男」の指揮魔法使いを領地に招いた。
そしてエレノアからパウリーに指揮魔法使いが変わったことで、全くうまくいかなくなった経緯を説明した。
「それは領主様、あなた、とんでもなく大きな魚を逃してしまいましたね」
話を聞き終えた老齢の魔法使いはにやりと笑った。
「どういうことだ?」
「私もその娘……エレノア嬢は知っておりますよ。年に一度、王都で指揮魔法使いの集まりが開かれるのですが、彼女は毎年参加してくれておったのです」
老人によるとエレノアは指揮魔法使いの中でも、特殊なやり方で植物の生長を助けていたという。
その方法こそ、ウィレムたちがバカにした、精霊と協力して植物を育てる方法だった。
一般的な指揮魔法は植物の細胞分裂を早めて成長を促進する。パウリーのやり方もこれなのだが、使うには注意を必要とする。
先ず、成長を促進させるからには肥料をふんだんに必要とする。あまりやり過ぎると土地が痩せてしまうのだ。植物の方も、魔法を使いすぎると栄養の無いものになったり、病気にかかったりする。
とはいえ、普通に使っていれば、それほど弊害が出るようなものではない。
――普通に使っていれば。
パウリーの魔法は普通ではない。規格外だ。
神の領域に近い速度で植物を成長させ続ければ、土地が痩せる速度は凄まじい。
そしてモンスターを根こそぎ討伐したことも実はマイナスに作用した。
家畜に悪さをするモンスターといえども、生態系の一部に変わりはない。それを根こそぎ殺してしまえば生態系が崩れ、草食動物が増えすぎ、放牧地の草を食いつくしてしまう。
また、パウリーの攻撃魔法はあまりに強すぎて、倒したモンスターを塵さえ残さない。塵さえ残さないということは、有機物が供給されず、余計に土地が痩せていくという悪循環が起こるということだ。
逆にエレノアのやり方ではそうなり得なかった。
何百年、何千年も土地に住む精霊たちに、土地の状態や気候の変動を確認し、自分の魔力と精霊の力を合わせ、必要なだけ、植物の生長を手助けする。
確かに見た目の効果はささやかではあるが、土地にも植物にも負担をかけない、非常に優しく、有効な魔法だった。
一年という単位で見ればパウリーの方が圧倒的に収穫量を増やせる。だが、5年、10年という単位で見た時、遥かにエレノアの方が上回る。
もしウィレムがエレノアを大切に扱っていれば、十年先もこの土地は安泰だっただろう。そして、国有数の農業地帯に成長出来ていたかもしれない。
それを聞いてウィレムはがくりと膝をついた。何もかもが手遅れだった。
エレノアの微笑む顔が脳裏に浮かんでくる。
流石にウィレムでも分かる。今更彼女に助けを求めても、もう遅いのだと。
何より、嫉妬深いパウリーと結婚してしまっているのだ。二人を同時に働かせることなど出来ない。仮にパウリーに離婚を切り出せば、今度はウィレムの髪だけでなく、本体も塵にされかねない。
だが現実問題として、この領地には新しい指揮魔法使いが必要だった。パウリーは冒険者上がりで、詳しい知識など知らないが、指揮魔法使いは魔法以外にも、土地を豊かにするノウハウをたくさん持っている。
ちょうど目の前に指揮魔法使いが居る。
事情を話せば、パウリーも男の指揮魔法使いを雇用することには反対しないと思った。
「あなたにこのオラニエ領で指揮魔法使いとして働いてもらいたいと思っている」
ウィレムは目の前の老人に言った。しかしその返答はウィレムの予想外のものだった。
「申し訳ありませんが、断らせて頂きます」
老人は恭しく頭を下げた。
「何故だ。ただでこき使おうというのではない。それ相応の対価を払う」
「ですが、あなたはエレノア嬢を捨てた」
老人の大きな灰色の瞳は、笑っていなかった。
「我々指揮魔法使いの結束は強い。一人が不当な扱いを受ければ、それは全員が不当な扱いを受けたのと同じ。ですから私だけではない。指揮魔法使いは誰一人として、あなたの元で働こうとはしますまい」
言い残すと老人は、止めるのも聞かずに出て行ってしまった。
両開きの扉がばたんと閉められる。
ウィレムは立ち尽くし、愕然としていた。最早起死回生のアイディアは一つとして浮かんでいなかった。
部屋の外から、パウリーの姦しい声が聞こえてくるのを、ただ茫然と聞いていた。
◆
「そ、それで、ウィレム様は、ど、どうなったのですか?」
エレノアは聞いた。そこが一番気になっていたところだ。
「彼は先ず、王都から視察を受け、爵位を失うことになりました」
グレイスは淡々と続ける。
王都からやってきた視察団によって、ウィレムは統治能力が欠けていると判断されたらしい。
土地は痩せ、農夫たちから「エレノア様を返せ」と抗議の暴動が頻繁に起こっていた。それを取り締まることも出来ていなかった。
流石にパウリーの力を使って農夫を黙らせようとはしなかった。そんなことをすれば即ジェノサイドに繋がりかねないからだ。
視察団はそのパウリーに最も驚愕した。魔力だけなら王都指折りの魔法使いに匹敵する女が、片田舎の領主の妻におさまっていたのだから。
ウィレムは爵位を取り上げられ、全ての財産を没収された上で追放されることとなった。
一方、パウリーは王都に連行された。彼女の能力は強過ぎる。よって王都で「兵器」として運用されることとなった。
パウリーとて抵抗は出来なかった。国は彼女を超える化け物魔道士を何人もそろえていたからだ。
それに彼女は自信を喪失していた。視察団から「お前よりエレノア嬢の方がはるかに優秀だった」と聞いて、プライドをへし折られたのだ。かなりの落ち込みようだったという。
ともあれ王都でパウリーは三食、豪華な食事を与えられるし、欲しいものは買ってもらえる。だが外出は禁止され、その日が来れば命がけで戦わねばならない。兵器だからだ。
しかし元冒険者の彼女にとって、そんなことより精神的に参っていることがあった。
それはウィレムに会えないことだった。
「私はウィレム様が居ないと生きていけないのです。早くウィレム様を連れて来てください!」
と、彼女は毎日泣き叫んでいるという。
最初は外に出るための噓泣きだと思っていた世話係も、ほどなく、本当に彼女がウィレムにご執心であると気付いた。
「そして、我々はウィレム氏の行方を片っ端から探しているというわけです。彼は領主としては無能だったかもしれませんが、あの兵器……失礼、パウリー嬢の精神を安定させられるのは彼だけかもしれないのですから」
グレイスはまるで、犬に与えるおもちゃを探しているかのような口調で言うのだった。
◆
平民落ちし、追放された時はショックだったウィレム。
しかし数日たって、自由であるという実感が、しみじみと体の隅々まで沁みてきた。
パウリーに束縛を受けない日々が何と素晴らしいことだろう!
生まれて初めて神に感謝したのである。
命がけの、一歩間違えれば物理的に灰になりかねない、綱渡りのような結婚生活は二度と経験したくなかった。
あの生活に比べれば、平民として過ごすことなど、天国のようにさえ感じるのだ。
しかし彼の平穏は長くは続かなかった。騎士の一団が、自分の似顔絵を片手に聞き込みをしている場面を目撃してしまったからだ。
ウィレムは自分が何故捜索されていることをネズミの如く察知し、町から村、村から町へと逃げ回った。
文字通り命がけだ。絶対に逃げ切らねばならなかった。
捕まれば最後。させられることは目に見えている。そう、パウリーの相手だ。
彼女が兵器として運用されていることをウィレムは知っていた。
しかし、そうしょっちゅう有事は起こらない。となると、彼はほぼ一日中パウリーの世話をすることになる。
あの命がけでがんじがらめの日々。それが一日中、生きている間ずっと続くのだ。考えただけでも背筋が凍る。体が硬直する。お腹が痛くなる。
ウィレムは暗くなった街の片隅で、腰を下ろしていた。
持っているものはマフラー一枚。「冬の視察は寒いでしょう」とエレノアが編んでくれていたものだ。
雨風をしのぐことも出来ない外で、彼女の優しさが、布の柔らかさが骨身に染みた。どうしてあの時、素直に彼女の好意を受け取らなかったのだろう。どうして彼女をないがしろにしてしまったのだろう。
エレノアと離婚せず、彼女を大切にし続けていたらという、何千回、何万回と繰り返した後悔が、また蘇ってきた。
ウィレムは涙をぬぐい、暗い夜道を駆けていく。
「ちくしょー! 絶対逃げ切ってやる!」
◆
村での暮らしに、エレノアはだいぶ慣れてきていた。
そして領主であるヴィンセントとの距離も縮まりつつある。
ウィレムと離婚して以来、彼女は身内以外の男性に対してかなり距離を取ってきた。しかしヴィンセントに対しては、不思議と警戒心が和らぐのだ。
確かに彼は山のように大きく感じるし、強面だ。
しかし一度、「自分はどもってうまく話せないので、迷惑をかけるかもしれない」と、勇気を出して打ち明けたことがある。
するとヴィンセントは普段見せない笑顔を見せた。
「俺も、話すことが苦手だ。俺たち、似てるな」
彼が寡黙なのも、しゃべり下手なところを隠す意味合いがあったのだと、その時気付いた。
そこから不思議と親近感を抱くようになり、安心して話せるようになっていった。
土地の人たちは優しい。牧歌的で美しい村だ。ここでの生活は毎日が光の中に居るようにさえ感じる、幸せな毎日だ。
一生ここに居て良いかもしれない。
そう思いながら、今日もヴィンセントたちと共に畑の手入れをするのだった。
おわり




