表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放令嬢ジェルジの山あい行灯店 ――宵闇の村でもふ獣人と灯す、ぬくもりごはんと旅の夜――  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/7

第7話 冷めにくい箱と、帰り道の湯気

 裏庭での試しの食事会から一夜明けると、宿の食堂には昨夜の名残がいくつも残っていた。


 炙り串の香りがまだ木の壁へ薄くしみつき、洗って伏せた椀の底には湯気の記憶みたいな白さがある。帳場の上には、帰り際の旅人が置いていった銅貨がきちんと重ねられ、その脇にはアリーが走り書きした注文の癖まで残っていた。


 汁をもう少し多く。炙りは持ち帰りたい。薬草茶は道中でも飲みたい。


 文字にすると、昨夜の賑わいがそのまま卓へ戻ってきたようだった。


 「持ち帰り、ですか」


 朝の光の中で帳面を見返しながら、ジェルジは呟いた。


 「言う人、多かったよ」

 アリーが鍋へ水を張りながら答える。

 「宿で食べるだけなら椀で済む。でも帰り道に持たせるなら、冷めにくくて、手を焼かなくて、こぼれにくい形が要る」


 それはまさに、今の宿に足りないものだった。


 裏庭の火と行灯で人は寄る。だが、寄ったあとに温かさを持ち帰れれば、道の途中でもこの宿のことを思い出す。昨夜の旅人が言っていた。「沢向こうの休み場まで、あの汁の熱が残っていたら助かる」と。


 ジェルジは帳面の余白へ、四角い箱の形を描いた。内側に器をひとつ納め、その周囲へ熱を逃がしにくい詰め物を入れる。持ち手は木。蓋は片手でも開けられて、揺れても外れにくい留め方。行灯や焜炉の改良と同じで、暮らしの不便を一つずつ減らすための形だった。


 「箱を作ります」

 「何の箱だ」


 いつのまにか戸口にいたモフャが、木片を抱えたまま聞いた。


 「汁物を運ぶための箱です。帰り道まで、なるべく温かいまま持たせたいので」

 「桶じゃ駄目か」

 「熱が逃げます。持つ手も冷えるし、揺れる」

 「なら二重にする」


 答えが早い。ジェルジは顔を上げた。


 「二重?」

 「箱の外と内を分ける。間に毛を入れる」


 その一言で、頭の中の線が繋がった。冬越しの寝具に使っていた獣毛。作業小屋の隅に積んだ端材。全部、この宿の中にもうある。


 「保温箱……」

 ジェルジは小さく息をのんだ。

 「できます。いえ、やれます」


 モフャは当然のように頷く。

 「なら寸法」


 それだけ言って、木片を卓へ置いた。催促というより、もう作る前提の顔だった。


 午前のうちに、食堂はまた半分が工房になった。ジェルジが器の深さを測り、アリーが一度に何人分まで現実的に回せるかを数え、モフャが板の厚みを決める。ティットマンは宿から沢向こうの休み場までの距離を書き出し、どの程度熱が保てれば意味があるか地図の脇へ注記した。


 「片道だと、足の速い人で十五分、荷が重いと二十五分くらいです」

 「二十五分」

 ジェルジは繰り返した。

 「そのくらいなら、器そのものを厚くするより、外側で守ったほうがよさそうですね」


 ソフィーが薬草を束ねながら口を挟む。

 「冷えるのは中身だけじゃないよ。持って帰る人の手も冷える。取っ手は細いとつらい」

 「確かに」

 ジェルジはすぐ書き足した。

 「指がかじかんだままでも握れる太さにします」


 昼前、試作の一つ目が形になった。


 四角い外箱の内側へ、ひと回り小さい木箱を浮かせる。その隙間へ、よく乾かした山羊毛と狼毛を詰める。内箱の底には、湯気で木が傷みにくいよう薄い金属板を一枚だけ敷いた。蓋の裏には、器の口へふわりとかぶさる布を留めて、揺れたときの跳ね返りを受けるようにする。


 見た目はまだ無骨だった。洗練とはほど遠い。だが、両手で持ったときの収まりは悪くない。


 「持ってみてください」


 ジェルジが言うと、モフャは出来たばかりの箱を抱え上げた。片手でも持てるが、あえて両手へ載せて重心を確かめている。


 「取っ手、もう少し外」

 「やっぱり食い込みますか」

 「手袋だと、ここへ指が入らない」


 指摘は正確だった。ジェルジはすぐに寸法を書き直す。こうして一つずつ、人の手に合う形へ寄せていく作業が好きだった。王都では見栄えが先に立ち、手の事情は後回しにされがちだった。だがここでは逆だ。まず持てること。まず温かいこと。まず、夜道で困らないこと。その順番が心地よかった。


 昼過ぎ、アラシュが裏口から飛び込んできた。


 「いい匂いがしないと思ったら、今日は鍋より箱の日か!」


 背にいつもの鍋、片手には燻し肉の束。相変わらず声だけで食堂の空気が少し祭りになる。


 「鍋もやります」

 ジェルジが答える。

 「でも今日は、昨日の続きを前へ進めたいんです」

 「いい顔だ。で、何を前へ進める」

 「帰り道の湯気を残します」


 アラシュは一瞬きょとんとしたあと、すぐに笑った。

 「なるほど。宿の中で終わらせない気か」


 彼は試作箱を覗き込み、器を入れる位置を指で示した。


 「汁だけじゃなく、炙り肉を別で入れられないか」

 「別で?」

 「汁の上へ乗せると湿る。だが帰り道で少しずつつまめるものがあると、腹の持ちが違う」


 アリーがすぐ頷いた。

 「確かに。子ども連れや荷運びの人には、そのほうがいい」


 ジェルジは箱の蓋を見つめた。内側へ浅い受け皿をつければ、小さな焼き物くらいは納められるかもしれない。熱源に近づけすぎなければ、蒸れも抑えられる。


 「二段にします」

 「おう」

 「ただし、重くしすぎない範囲で」

 「それでいい。欲張って持てないのが一番つまらん」


 誰かのひらめきが別の誰かの現実にぶつかり、形になる。そのやり取りが、最近の宿では当たり前になりつつあった。


 夕方前、試しの二段箱へ、茸の汁と小さな炙り肉を詰めてみた。外へ出て、沢向こうの休み場まで往復する役はティットマンが引き受けた。道の癖を知っているし、何より「実際の歩幅で確かめたい」と言ったからだ。


 「戻るまで、蓋は開けません」

 真面目な顔でそう言い、ティットマンは箱を抱えて霧の薄い道へ出た。


 待つあいだ、ジェルジは落ち着かなかった。行灯の芯を確かめ、鍋の塩気を見て、また戸口へ戻る。落ち着かないくせに、じっと待っているより手を動かしていたほうがましだった。


 モフャはその様子を見ていたのだろう。作業小屋の柱へ寄りかかり、ぽつりと言った。


 「そんなに駄目そうか」

 「分かりません。分からないからです」

 「歩いて戻ってくるなら、箱は壊れてない」

 「そういう問題ではありません」

 「でも一つは越えてる」


 その言い方が少しだけ可笑しくて、ジェルジは息を吐いた。

 「あなた、最近、励ますのが上手くなりましたね」

 「励ましてるつもりはない」

 「なお悪いです」


 言い返すと、彼の耳が小さく動いた。たぶん、笑った。


 やがて日が落ちかけたころ、ティットマンが頬を赤くして戻ってきた。箱を抱える腕はしっかりしている。


 「どうでした」


 ジェルジが駆け寄ると、彼は箱を卓へ置き、慎重に蓋を開けた。


 湯気が、まだ立った。


 大きくはない。けれど確かに、白い筋がふわりと上がる。中の汁は冷めきっていない。炙り肉もべたつかず、指でつまめる温かさが残っていた。


 「すごい」

 思わずジェルジが声を漏らす。


 ティットマンも目を輝かせた。

 「沢沿いは風が冷たかったです。でも、休み場へ着いたとき、まだ湯気が見えました」


 アリーが匙で汁をすくって味を見る。

 「熱々じゃない。でも十分。これなら冷えきった体にはうれしいね」


 アラシュは炙り肉をひとつ口へ放り込み、満足そうに頷いた。

 「帰り道の味としては上出来だ」


 それだけで終わらなかった。沢向こうから戻る途中で、ティットマンは二人の荷運びとすれ違ったらしい。箱から洩れた匂いに気づき、「それはどこで買える」と聞かれたという。


 アリーがにやりとする。

 「ほらね。宿の外でも宿の匂いがする」


 その言葉に、ジェルジの胸がふっと熱くなった。


 ここで作った灯りが夜道を照らし、ここで煮た汁が帰り道で湯気を保つ。宿は建物の中だけでは終わらない。人が抱えて歩く箱の中にも、もうこの宿の火が入っている。


 夜、試しに三つだけ、帰り道用の箱を用意した。ひとつは荷運びの夫婦へ。ひとつは沢向こうへ帰る御者へ。もうひとつは、夜番の見回りをする村役人へ。皆、受け取るときの顔が少しやわらかくなった。両手で箱を抱えたとき、木の持ち手が冷えすぎず、蓋を開ければ湯気が見える。その単純なことが、思った以上に人をほっとさせる。


 最後の一つを渡し終えたあと、宿の裏手には静かな夜が戻ってきた。行灯の光が地面へ丸く落ち、作業小屋の柱の影が長く伸びる。


 ジェルジは帳面へ、今日の結果を細かく書き留めた。毛の配合。箱の厚み。取っ手の位置。往復にかかった時間。開封時の温度感覚。さらに端へ、小さく付け加える。


 ――湧水で温めた器のほうが、火の当たりがやわらかい気がする。要再確認。


 書き終えたところで、ふと視線を感じた。上げると、向かいの卓でモフャがこちらを見ていた。


 「何ですか」

 「今日は、よく笑ってた」


 不意打ちのような言葉だった。


 「そうでしょうか」

 「そうだ」


 モフャはそれだけ言って、出来のいい箱の角を親指でなぞった。


 「似合ってる」

 「何がです?」

 「そういう顔」


 前触れもなく返されて、ジェルジは一瞬、言葉を失った。


 王都を追われた夜からこちら、似合うと言われたことはあっても、それは服や役目や作法の話ばかりだった。今ここで向けられたのは、たぶんもっと曖昧で、もっと直接的なものだった。誰かの役に立つ形を考えて、うまくいって、思わず笑ってしまう。その顔が似合うと、そう言われたのだ。


 ジェルジは帳面へ視線を落とし、少し遅れて答えた。


 「……それなら、たぶん悪くないですね」


 行灯の火が、卓の上で静かに揺れた。宿の外では宵霧がまた谷を満たし始めている。けれど今夜のジェルジには、その白さの向こうへ、小さな木箱を抱えて帰る人たちの姿が見える気がした。冷えた道に、まだ湯気の残る夕食を連れていく背中。そこにも、この宿の灯りの続きがある。


 そう思える夜は、眠りの入口が少し近かった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ