⑦
『結婚することになりました。両家で顔合わせをするので、空いている日を教えてください』
リビングのソファーに座って、アプリのトーク画面に内容を打ち込んでいた瑞穂は、小さくため息を吐く。
本来なら直接会って話をしたり、電話で相談したりするべきだっただろう。けれど、そんな気にはなれなかった。
瑞穂は、簡単に要件だけ送信すると、既読が付くのを待たずにトーク画面を閉じる。
「……瑞穂、連絡取れた?」
リビングへやって来た和真が、瑞穂の隣に並んで座る。
咄嗟に瑞穂は、スマホをテーブルに伏せて置く。
「まだだよ。今、メッセージを送ったところ。そのうち返事があると思う」
そうは言ってみても、本当のところはわからない。
瑞穂の家族関係は、ずいぶん前から崩壊しているのだから……。
「やっぱり両家の顔合わせの前に、ふたりで一緒に瑞穂の実家に行って、ご両親に直接話した方がいいんじゃないかな?」
和真の申し出がごく一般的で、正しいとわかっていても、瑞穂は受け入れるわけにはいかなかった。
「ううん、ぜんぜん、そういうのいらないから!」
強めにそう言い、そっぽを向いた。
そんな瑞穂の態度に不信感を抱いたのか、和真は眉をひそめる。
「瑞穂、何か隠してない?」
瑞穂は、横目で和真を見る。
結婚を約束している相手に、家族についてずっと隠しきれるはずない。
「実は……」
とうとう正直に話すときがきたと、瑞穂は腹をくくった。
そのとき、和真のスマホの着信音が鳴り出す。
「ごめん、ちょっと……」
ポケットからスマホを取り出した和真は、画面を見るなり瑞穂に言う。
「……織田さんからだ。何の用だろう?」
相手がわかると、瑞穂は卒倒しそうになった。
「ちょっと待って!」
――どうしてルカが、和真に電話をかけてくるの?
スマホを奪い取る勢いで、瑞穂は両手で覆って画面を隠す。
和真が、電話に出られないようにしたかった。
ルカと関わりを持つなんて、ありえない。
ずっと鳴り響いていた着信音が止んだとき、瑞穂は和真を問い詰める。
「なんでルカが電話を? いつ連絡先交換したの?」
「この前、話しかけられたときだよ。言ってなかった?」
まさか、いつの間にか和真と距離を詰めていたなんて思ってもみなかった。
瑞穂は半ばパニック状態だ。
「どうして、そんなあっさり教えるの?」
「いや、だって同じ会社の人だし、瑞穂の友達なんだろ?」
「友達って……」
社内で瑞穂にあんなに親しげにしていたし、ルカ本人がそうだと言えば、誰だって仲が良いと信じるだろう。
和真を責めるのは筋違いだと、瑞穂もわかっていた。
だけど、不安と焦りでいっぱいで、つい強く当たってしまう。
「私たちがつき合ってるって、ルカに話した?」
「いや、話してないよ」
「それならいいけど。とにかく、あの子には関わらないで」
「そりゃ、仕事以外で連絡取ったりしないよ」
「絶対だからね。約束だよ」
必死の訴えに何か察したようで、スマホを置いた和真は瑞穂を抱き寄せる。
「そんなに心配しなくても、瑞穂だけだよ」
彼の腕の中は温かくて……その確かな温もりを感じることで、不安が少しだけ和らいだ気がした。
額をコツンと合わせて、ふたりして微笑んだ。
「うるさく言ってごめんね」
「気にしなくていいよ」
「お詫びに、今日は和真の好きな料理作るね」
立ち上がった瑞穂は、キッチンへ向かおうとする。
「そうだ、気分転換に明日の晩ごはんはどこかに食べに行こう。瑞穂、何食べたい?」
「私、明日から出張だから。帰りは金曜の夜だよ」
「ああ、そうか」
リビングの隣の瑞穂の部屋には、荷物をまとめたスーツケースが置いてあった。
「明日は名古屋で、明後日は大阪」
「出張って、ひとりで?」
「同じ部署の成瀬くんが一緒だけど」
「たらい回しの成瀬か。アイツなら、下手な上司より安全だな」
和真は、瑞穂の額にキスをする。
「気をつけて行っておいで」
「うん。ムギをよろしくね。ちゃんと餌あげてね。あと、水があるか確認するのと、トイレの掃除もだよ」
「できるかな? 猫とふたりきりか……」
「一年一緒に暮らしてるんだから、大丈夫でしょ?」
「ニャー」と鳴きながらムギがリビングへやって来て、ソファーまでピョンと飛び上がった。
ムギが膝の上に乗ると、和真が頭を撫でる。「可愛いな」なんて言っているが、手はガチガチで恐る恐るだ。
じゃれつくムギに戸惑う和真を見て、瑞穂はクスクスと笑った。
***
翌朝、瑞穂は総太朗とともに、出張で名古屋を訪れていた。
四ツ屋コーポレーションの支社へ出向くと、午前中は社内でうち合わせ。
東京とは別の日に開催するイベントの段取りについて、みんなで話し合った。
資料の確認は昼休みまで続いて、昼食はコンビニで買ったおにぎりひとつ、お腹に詰め込むだけ。
午後からは、イベント会社や取引先を順番に回った。
――あっという間の一日だ。
すべてのスケジュールが片付いた頃には、すっかり夜になっていた。
瑞穂は、業務連絡が来ていないかスマホを確認するが、特に電話やメッセージは送られてきていなかった。
本社に残っている梶や忽那は、どうしているのだろう?
自分がいない間に、ルカが問題を起こしていないか――不安でしかたなかった。
「先輩、どうしました?」
「ううん、何でもないわ」
「ホテルまではここから少し距離があるんで、タクシーを呼びましょうか?」
「そうね。そうしましょう」
これから、タクシーで宿泊予定のホテルへ向かうことに。
「豊嶋先輩、この後一緒に食事に行きませんか?」
「えっ……?」
総太郎の申し出に、瑞穂は困ったような顔をする。
相手は誠実で有名な総太朗だ。
一緒に食事に行ったところで、間違いが起きる確率は0に近い。
――だとしても、やっぱり異性。食事は遠慮しようと思ったのだが……。
「実はもう予約してあるんです」
「そうなの?」
この状況では、断るわけにはいかないだろう。
ホテルでそれぞれチェックインを済ませ、ふたりで夕食へ。
カウンター席に並んで座るふたりのもとへ、料理が運ばれてくる。
「わーっ! ひつまぶしだ!」
思わず声を上げてしまってから、周囲の視線に気づいてハッとした瑞穂は、顔を真っ赤にして俯く。
それを見た総太朗が、フッと笑みをこぼす。
「この店にしてよかった。喜んでもらえて嬉しいです」
恥ずかしさを紛らわせようと咳払いをした瑞穂は、今度は小さな声で言葉を返す。
「成瀬くん、ありがとう。私、ウナギが大好物なの」
総太朗は、ずっと笑いっぱなしだ。
「先輩、最近疲れてるように見えたんで。心配してたんです」
確かに、瑞穂はこのところ疲れが貯まっていた。
それなのに、夜はあまり眠れなくて……すべてルカのせいだ。
「心配かけてごめんね」
「いえ、僕が勝手にそうしたかっただけですから。いっぱい食べて、元気出してください」
ひつまぶしを頬張りながら、総太朗の気遣いに感謝するばかりだった。
「ありがとう。大阪では、私がオススメのお店を案内するね」
テーブルの隅に置いてあったスマホがブブブと振動し、通知のランプが点灯する。
瑞穂はスマホを手に取る。
「ペットカメラだ。何だろう?」
スマホの画面を開いてみると、『ペット録画中』というメッセージが表示される。
リビングに設置していたペットカメラが、動きや音を関知して録画を開始していた。
「ペットですか?」
「うん、うちで猫を飼ってて。留守中の様子が見られるように、ペットカメラとスマホを連動してるの」
アプリを起動し、録画中の映像をリアルタイム視聴しようとした。
「えっ……」
瑞穂の表情が凍りつく。
――映っていたのは、猫じゃない……。
カメラを覗き込んでいたのは、ルカだった。




