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「あー……ごめんね、織田さんと一緒の班に入るって、約束してるから」


それは高校二年生の初夏、クラスで修学旅行のグループ決めをしていたときのこと。

先に何人かに声を掛けていたはずだったが、なぜかみんな約束を反故にし、瑞穂の元を去って行った。


「私も織田さんと組むから」


ずっと仲良くしていた友達も、ルカのもとへ行ってしまう。


「ええっと……」


他の誰かに声を掛けたくても、みんな瑞穂のそばから離れいく。

まるで示し合わせて、近づかないようにしているみたい。


気がつくと、瑞穂は教室の真ん中にぽつんとひとりで立っていた。


辺りには、クスクス、クスクスと、嫌な笑い声が響いている。


「あの子ひとりだよ」

「可哀想」

「誰か入れてあげなよ?」

「やだよ」


悪意に満ちた言葉が教室中に充満して、聞くに堪えられずに瑞穂は両手で耳を塞いだ。



――あのときのことを、大人になった今、不思議と鮮明に思い出していた。



***



「瑞穂、今朝からずっとぼんやりしてるけど、何かあった?」


和真に声をかけられて、ハッと我に返った。

瑞穂は車の助手席に座っていて、和真の運転で彼の実家へ向かっているところだった。


「体調が悪いなら、今日は実家へ行くのはやめておこうか?」


瑞穂は適当な理由で誤魔化して、和真との会話を続ける。


「ううん、平気。ちょっと緊張してるだけ」

「俺の実家なら、前にも来たことあるだろ」

「結婚の挨拶をするんだから、緊張するでしょ?」

「いや、別に、瑞穂がうちの親に“婿にください!”って、言うわけじゃないから」

「そうなの? 言うつもりだったのに」


冗談を言って、笑い合って、その場はやり過ごす。

和真の実家の前で車が停まったそのとき、そばを歩いていた若い男性が手を振ってくる。


「和真、誰? 知り合い?」

「同級生だよ。中学と高校が一緒だった」

「そう……同級生ね……」

「そういえば、昨日あの子に話しかけられたよ。瑞穂の部署に新しく入った、織田さんだった?」


どうして突然、ルカが話題に挙がるのだろう。

瑞穂は訝しげな顔をする。


「何で今、織田さんの話をするの?」

「高校と大学で友達だって聞いたからさ。仲良かったのかなって思ってさ」


正直にルカについて不安だと話せばよかったのだが、そうなれば昔のことを和真に話さなくてはいけなくなる。


ルカについて説明したところで、信じてもらえるかわからない。

それに、わずらわしいと思われるかもしれない――それだけは避けたい。

今は、結婚に向けた大事な時期だから。


「うーん、まあまあ仲良しかな……」


瑞穂は、ルカについて曖昧に返事をしておいた。


「瑞穂、着いたよ。お土産忘れないようにしろよ」


閑静な住宅街の一軒家。車を降りた瑞穂は、広い敷地に建てられた邸宅を見て、ついため息を吐いてしまう。


「いつ見ても素敵な家だね」

「そうかな? 俺は見慣れてるから、何とも思わないなあ」


門を開けた和真は、さっさと玄関へ向かう。

その後に続いて、瑞穂も家へ上がった。


「ただいまーっ。母さん、いるんだろ?」


和真が呼びかけると、家の奥から出てきた和真の母が、笑顔で瑞穂を出迎える。


「いらっしゃい。瑞穂さん、どうぞ上がってください」


スリッパに履き替えた瑞穂は、和真の母の元へ挨拶に向かう。


「ご無沙汰しています。お元気でいらっしゃいましたか?」

「ええ、主人も私も病気ひとつせず、ピンピンしているわ」

「それならよかったです……あの、たいしたものではないんですけど、よければ召し上がってください」


瑞穂は、用意していたお土産を和真の母に差し出す。


「まあ、私の好きな柳月堂の和菓子かしら?」


受け取った和真の母は、家の奥に向かって声を掛ける。


「貴方―っ! 和真と瑞穂さんが来てるわよ。お茶にしましょう。瑞穂さん、こちらへどうぞ」


リビングへ案内された瑞穂は、ピシッと背筋を伸ばしてソファーに座る。


車内で和真と話していた“緊張してる”は冗談だったが、実際にこの場に来てみれば、緊張しない方がおかしい。

隣には結婚を約束した恋人。その両親が、テーブルを挟んで向かい側に座っているのだ。


「瑞穂さんがお嫁に来てくれるなら、私達も安心だわ。ねえ、あなた」

「そうだな。素敵な女性と出会えて、和真は幸せ者だな」


終始笑顔の両親に対して、和真も満足そうな顔をしている。


「今度、両家で顔合わせしようって話してたんだ。父さんも母さんも、どうかな?」


話はトントン拍子に進んでいく。


「そうね。ぜひ、瑞穂さんのご両親に会ってみたいわ」

「そうだな。お父様のお仕事は? お母様は専業主婦かい?」


和真の父の問いに、瑞穂が答える。


「……父は公務員です。母は、少し前までは会社員をしていましたが、今は退職して家にいます」



大丈夫、順調にいっている……と、瑞穂は心に言い聞かせる。



けれども、心配でしかたなくておかしくなりそうなのは、仕事からプライベートに至るまで、あちらこちらにルカの影を見てしまうからだ。




翌日、社内で仕事していた瑞穂は梶に声を掛ける。


「梶さん、今いい?」

「他の人に頼んでください」


イベントの件で頼みたいことがあったが、内容を言う前に門前払いされてしまった。


「忽那さん……」

「私、忙しいんで」


忽那にいたっては、名前を呼んだだけで、あからさまに嫌悪を露わにした。

梶にも、忽那にも、壁を作られている――この微妙な空気に覚えがあった。

瑞穂は、ざわめく胸を両手で押さえる。


「ねえ、瑞穂ーっ。アタシにも仕事ちょうだい!」


ルカに詰め寄られた瑞穂は、思わず視線をそらす。


「織田さんは、今日も部署内の仕事に同行してもらいます」

「またそれっ!? 広報部って、もっとキラキラした職場なんだと思ってた。アタシ、派手で目立つ仕事がしたいなぁ~」


正直なのはいいが、それを押し通せばただの自己中だ。


「みんなコツコツ努力してるの。織田さんも頑張って」


瑞穂がルカに手を焼いていると、総太朗が助け船を出してくれる。


「豊嶋先輩、今日は僕が織田さんの指導につきます」


すると突然、ルカが瑞穂の腕を掴んで引っ張る。


「瑞穂、ちょっと来て!」

「織田さん? 何?」


少し離れたところまで来ると、ルカは言う。


「指導役は、あの人以外にして」


瑞穂は、思わずぽかんとする。


「えっ? どうして?」


ルカは、総一朗に対して嫌悪感を露わにする。


「あのキモオタ眼鏡、昔、勘違いしてつきまとってきた奴に似てるの」


いつもとは明らかに違う態度だ。

フンッとそっぽを向いたルカは、ポツリと呟く。



「……あのブサイク、マジで無理」



これには、瑞穂も黙っていられなかった。


「彼は礼儀正しくて、人にも商品にも誠実で、信頼できる人だよ」


総太朗を知っている人なら、誰でも同じように反論しただろう。

しかし、それをルカは面白がっているみたい。


「何? 瑞穂、もしかして成瀬さんのこと好きなの?」


ありもしないことで茶化そうとしてくる。


「そういうことじゃなくて! 同じ職場で働く同僚として、尊敬してるっていってるの!」

「えーっ、やだ、豊嶋さん、怒らないでっ」


こんなの、まともに対応してもしかたない。

そう判断した瑞穂は、ルカをその場に残し、総太朗のもとへ向かう。


「ごめんね、成瀬くん。聞こえてたよね? 織田さんには、別の人についてもらうから」

「豊嶋先輩が謝る必要ないですよ。僕は平気ですから、織田さんのことは任せてください」


総太朗と話をしていると、そこへ藤塚課長が声をかけてくる。


「豊嶋さん、成瀬くん、リニューアル商品の宣伝企画の件で相談があるんだ」


藤塚課長が持ってきたのは、リニューアル商品の宣伝企画チームの招集を知らせる案内書類だった。


「今のチームは関係なくて、広報部内から選抜で誰か出すようにと言われていてね」


瑞穂が案内書類を受け取ろうとしたそのとき、ルカが横からそれを奪っていく。



「はいっ! アタシ、やります!」



ルカが立候補すると、瑞穂が慌てて止める。


「織田さんは、業務に慣れてもらうのが優先で……」

「何? アタシには早いって言いたいの?」


実際、まだ早すぎる案件だ。

広報部の基本的な業務すら、まともに覚えられていないのに……。


「焦らなくても、業務に慣れたらいろいろな役が回ってくるから」


瑞穂に参加を反対されると、ルカはプクッと頬を膨らませる。


「課長! 豊嶋さんが意地悪してきます!」


子どもじゃあるまいし、上司の課長相手に失礼だろう。

そう思っていると、立ち上がった梶が藤塚課長に言う。


「織田さんは頑張っているので、参加させてもいいんじゃないですか?」


ルカを擁護するような言葉に、瑞穂は驚いてしまった。

しかし、梶だけではない。

席に座っていた忽那も、ポソッと呟く。


「確かに。やる気がある人に仕事を与えないなんて、ただの妨害じゃん」


こちらは完全に、瑞穂を否定する言葉だった。


これまでずっと協力し合ってきた仲間から、突き放されるような態度を取られてショックを受けた瑞穂は、もう何も言えなくなってしまった。


「この件は、また後日話し合いましょう。それより、豊島さんは週末出張でしたよね?」

「はい、そうです」

「九州支社は私が行きますから、名古屋支社と大阪支社はよろしくお願いします」

「はい、ありがとうございます」


返事をするのがやっとの瑞穂に、ルカは追い打ちを掛けようというのか、嫌みな言葉を投げつける。


「……自分だけいい仕事もらって」


すれ違いざまに、クスッと瑞穂のことを鼻で笑って、


「課長、リニューアル商品企画、アタシ参加します。よろしくお願いします」


そう宣言すると、ルカはさっさとその場を後にした。


「課長、大丈夫ですか?」

「成瀬くん、そうだね。まあ、やる気を買ってみるのもいいんじゃないかな?」

「僕が参加できたら良かったんですけど、タイミングが合わなくて。他に企画に参加しそうな人をあたって、織田さんのことをお願いしておきます」

「そうしてもらえると助かるよ」


藤塚課長と話をしていた総太朗が、不意に瑞穂に問いかける。


「……豊嶋先輩?」

「ごめんね、ちょっと席外すね」


気分が悪くなった瑞穂は、トイレへ向かおうと広報部のフロアを後にする。

すると、給湯室でルカと梶がお喋りをしていた。


瑞穂が話しかけようか迷っていると、ドンッと肩をぶつけられる。

その場を通り抜けて、給湯室へ入っていったのは忽那だった。


「梶さん、織田さん! 何話してるんですか?」


給湯室からは、三人の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

自分の知らないところで、ルカが何かしようとしている……いいや、すでに何か動き出しているのかもしれない。



――瑞穂の中で、不安はどんどん膨らんでいった。



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