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瑞穂と別れてからというもの、和真はほとんど実家に入り浸りの状態になっていた。


もともと同棲する前は実家暮らしで、家事一切は母親がやっていたのだから、和真はてんで何もできないわけで。

瑞穂がいなくなった今や、マンションの部屋は荒れ放題なのは、いうまでもないだろう。


和真がリビングのソファーでゴロゴロしていると、夕食後のキッチンの片付けを終えた母親が声を掛けてくる。


「和真、ちょっといいかしら」

「母さん、どうしたの?」

「この前、うちに連れてきたあの子なんだけど。貴方、本当にあの子とつき合ってるの?」


母親の言う“あの子”というのは、ルカのことだ。

和真は瑞穂と別れるよりも先に、ルカを実家へ連れてきていたのだ。


「ああ、そうだよ。今はルカとつき合ってる」


和真がそう答えると、母は顔をしかめる。


「あの子はやめておきなさい」


「どうして? ルカはいい子だっただろ?」

「奥ゆかしさもなければ、品もない。まだ、瑞穂さんの方がマシだったわ」

「だから、瑞穂は酷い女でさ」


起き上がった和真は母親に言う。


「ルカは社内でもあっという間に人気者になって、評判もいいし、人事の人間にもツテがあるんだ。俺にとっては都合がいいんだよ」



彼は、こういう利己的な人だ。

瑞穂に対しても、愛情よりも打算の方が大きかった。

だから、あんなに簡単に別れを切り出せるのだった。


「そう言われてもね。あの子がうちの嫁なんて考えられないわ」

「そんなこと言わないでよ」


着信音が聞こえてきて、和真はスマホを手に取る。

電話の相手はルカだった。


「――ねえ、和真……また瑞穂に嫌がらせされたの……」


時刻は20時を回ったところ。


「――今日ね、タレント事務所のパーティに行ったの。そしたら、瑞穂と成瀬さんがいて。それでね……」


パーティ会場から追い出されたルカが、自宅へ戻って和真に電話を掛けてきたようだ。


「――アタシ、何も悪いことしてないのに、追い出されたんだよ。きっと、瑞穂が何かしたんだよっ」

「そっか、それは、瑞穂が悪いな」

「――ねえ、どうしたら瑞穂を」

「そうだなあ……」


退屈そうに相槌を打っていた和真は、ふと何か思いついたみたい。


「ルカ、ごめん。電話切るよ」


電話をブチリと切ると、母親の方を見た。



「瑞穂よりルカの方がふさわしいってわかれば、つき合うのを許してくれるんだよね?」



和真は、すぐさま瑞穂に電話を掛けた。



***



人事異動の辞令が発表されてから、何日か経ったある日のこと。


新商品の宣伝企画は、残務整理済むとすべての業務を終えて、チームは解散。

メンバーは、それぞれの仕事に戻っていった。


まだ実感がわかないままだったが、広報部では新しい企画に向けた準備が始まっていた。

リーダーを任されたのは梶で、その補佐に瑞穂がつくことになった。


ふたりは、応接ブースでうち合わせ。


「チームの参加メンバーは、もう決まったの?」

「まだ確定はしていませんが、藤塚課長にピックアップしたリストをもらいました」


仕事熱心な梶は、次の人事で主任の役職が付くと打診されていた。

瑞穂の業務の引き継ぎ先も、ほとんど彼女が引き受けてくれている。


「新企画が引き継ぎもお願いして、負担になってない?」

「いいえ、平気です」


返事をした梶は、瑞穂の方へ向き直る。


「……私、実は豊嶋さんが主任になったとき、納得してなかったんですよ」

「えっ? そうなの?」


突然の告白に驚いた瑞穂だったが、梶の気持ちには何となく気づいていた。


「豊嶋さんって、行き当たりばったりなところがあったりするじゃないですか? 大雑把というか、仕事が粗いというか」


なかなか辛辣な意見だ。


「確かにそうかも。おかげでミスもあるしね」

「私は、もっと丁寧にかつ迅速にサービスを提供したいんですよ」


瑞穂と梶は正反対。だけど、お互いを嫌っているわけではない。


「うん、いいと思う。それって、すごく梶さんらしいから」

「でも……自分で言っておいて、そのやり方が少し不安なんです」


瑞穂は梶を尊敬しているし、梶も瑞穂を慕っているのだ。


「私には豊嶋さんのような行動力がないから、ミスがあったときに対処できるか考えたら、心配になるんです」


少し弱気の梶に、瑞穂は言う。


「この前のイベントのときにも言ったでしょう? 梶さんだから任せられるんだって。梶さんのことを信頼してるからだよ」


そんなふうに思える相手は、きっと限られている。


「きっとみんなもそうだと思う。信頼し合える。協力し合える。そういう仲間がいれば、何があっても乗り越えられると思うの」


瑞穂にとって、梶や忽那、そして総太朗は大切な仲間だ。

別々の道を進もうと、そこにある思いは変わらない。


「梶さん、頑張ってね。応援してる。私も一応まだ広報部にいるから、しっかりサポートさせてもらうね」


「……ありがとうございます、豊嶋主任」


梶に“主任”と呼ばれたのは、初めてだった。

何だかくすぐったくて、瑞穂は指で頬をかきながら微笑んだ。




梶とのうち合わせを終えた瑞穂が、応接ブースを後にしたそのとき。


「……おい、瑞穂」


広報部のフロアを訪ねてきた和真が、横柄な感じで声を掛けてくる。


「今更、何の用?」

「オマエが電話に出ないから、わざわざ来てやったんだよ」


和真からの着信には気づいていた。

けれど、関わればろくな事がないから、着信拒否にして無視し続けていた。

その予測のとおりだ。


「今度の日曜日、俺の実家に来て、うちの親に謝罪しろ」


突然、何を言い出すのかと思えば、またとんでもないことを要求してきた。

これには、瑞穂も開いた口が塞がらなかった。


「えっ? ちょっと待って? 謝罪? 何を謝れって言うの?」

「だから、俺んちの親に謝れって言ってんだよ」


何度聞いてもおかしな話だ。


「婚約寸前で破談になったんだ。謝るのが筋だって言ってんだよ」


和真の言い分を聞いた瑞穂は、眉間にシワを寄せる。


「浮気したのはそっちでしょ? そのせいで別れたんじゃない!」

「証拠は? 俺がいつ誰と浮気したって? 証明できるものは?」


結婚まで考えていた相手が、こんなに酷い男だったなんて……別れて正解だったと改めて思った。

瑞穂は、和真をキッと睨み付ける。


「貴方の両親が怒っていようが、私にはもう関係ないわ」


「そんなこと言っていいのかよ。謝罪しないなら、オマエのヒミツをバラしてやるからな」

「私のヒミツ?」

「ルカのこといじめてたって、会社中に言いふらしてやる」


まるで子どものような言い草だ。

クズもここまで来ると、情けなく思えてしまった瑞穂は、大きなため息を吐く。


「言いたければ言えばいい。けど、恥をかくのはそっちだと思うよ」


如月悠聖へのつきまといの件で、コンプライアンス担当の宇野からこっぴどく怒られたルカは、今日は体調不良を理由に早退していた。

そんなルカの言い分を信じる人は、それこそ和真くらいしかいないだろう。


「だいたい、恥ずかしくないの? 別れた元カノに、いつまでも因縁つけて絡むなんて、いい大人がすることじゃないでしょ」


「何だよその言い草。つき合ってた頃は、従順だったくせに。それも得意の嘘だったってワケか」


言い争いを続けていると、周囲がザワザワと騒がしくなる。

騒動を聞きつけた総太朗が、その場へ駆けつけようとした。


「豊嶋先輩……」

「ごめんね、すぐに戻るから。デスクで待ってて」


瑞穂が止めると、総太朗はしぶしぶ広報部のフロアへ戻っていく。

それを見た和真が、フンッと鼻で笑う。


「たらい回しの成瀬が専務か。オマエみたいなのを秘書にするって言うんだから、成瀬もどうかしてるよな」


自分のことならまだしも、総太朗のことを悪く言うなんて。言われっぱなしで、黙っていられなかった。


「和真、いい加減に……」


瑞穂は、途中で話を止める。

このまま言い争いを続けても、解決には至らないと思った――それなら、もっと別の方法をとろうと思った。


「……わかった。今度の日曜ね。もちろん、ルカも呼んでおいてね」


瑞穂は、和真との関係に今度こそ決着を付けると心に決めた。




その日の夜、外で食事を済ませて部屋に戻ると、先に帰っていた総太朗が、リビングでムギと遊んでいた。


「成瀬くんは、本当に猫好きなんだね」


ムギも総太朗が好きなのか、膝に乗ってゴロゴロ喉を鳴らしている。


「子どもの頃から猫を飼ってたんで、いない方が、違和感があるくらいです」

「……そんなに?」


荷物を置いて総太朗のそばに座り込んだ瑞穂は、ムギの頭を撫でる。


「先輩、また南澤さんともめてるんですか?」

「心配しないで。たいしたことじゃないから」


瑞穂は、総太朗に笑顔をみせる。



「今度の日曜日に出かけてくるね。今度こそ決着をつけてくるわ」



その決意を聞いた総太朗は、大きく頷く。


「それじゃあ、決着がついたら、大事な話をしましょう」

「話って? やっと詳しく説明する気になったの?」

「もっと大事な話です。先輩に、言わないといけないことがあるんです」


瑞穂の手にそっと触れ、総太朗は祈るように言った。



「先輩が帰ってくるのを、ここで待ってます」



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