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――あの男性は、本当に総太朗だったのだろうか。


まさか確かめに行くわけにもいかず、遠巻きに見ることしかできなかった。

あの男性は、すぐにエレベーターに乗り込んでどこかへ行ってしまったし……結局、何もわからずじまいだった。



考えごとをしながら、瑞穂が広報部のフロアまで来ると、梶と忽那がそばへ駆け寄ってくる。


「豊嶋さん、辞令見ましたか?」

「なんか、秘書課って書いてあったんですけど?」


パニックを起こしていたのは、瑞穂だけではなかったようだ。


「私にも全然意味がわからなくて。だって、人事部にも殴り込みしたし、山居部長にも絶対嫌われただろうし……」


「豊嶋さん、好き嫌いで人事は動きませんよ。安心してください」

「にしても、殴り込みって? 主任、マズいんじゃないですか?」


ハッとした瑞穂は、みるみると青ざめていく。



「まさか、秘書課と見せかけた窓際部署?」



梶と忽那は、「「それだ!」」とうなずく。



「問題のある社員だけが集められる、窓際部署……」

「私、聞いたことあります。社内に、そういう部署があるって」


すると、藤塚課長が三人にそっと助言する。


「窓際じゃないよ。四ツ屋ホールディングスは親会社だからね。いわゆる栄転だよ」


それを聞いた瑞穂は、口をポカンと開けたまま立ち尽くしてしまった。


「豊嶋さん、よかったですね。栄転ですって」

「主任の仕事ぶりが認められたんですよ」


お祝いムードの中、遅れて出社してきたルカが瑞穂に詰め寄る。

眉間にシワを寄せて、まるで鬼のような形相だ。



「……瑞穂、あんた、どんな手を使ったのっ?」



ルカは、瑞穂に掴みかかる寸前だ。


「だって、おかしいでしょ。アタシを差し置いて、瑞穂が秘書課なんてありえない」


あまりに酷い言いがかりだ。


「ちょっと、織田さん。豊嶋さんに失礼ですよ」

「ってか、織田さん、この前何したかわかってんの?」


一触即発のムードが漂い始める。


「梶さん、忽那さん……」


心配になった瑞穂が、止めに入ろうとしたそのときだ。


「おはようございます!」


広報部のフロアに、総太朗の声が響き渡る。

社員達の視線が、一斉にそちらを向く。

そこにいたのは、一階のエレベーター前で見かけたあの男性だ。


彼は、総太朗のデスクにカバンを置く。


――やはり、あの男性が総太朗だったのだ。


スーツの上着を脱いだ総太朗が、周囲の視線に気づいてきょとんとする。


「皆さん、どうしました?」


どうしたも、こうしたもない。

恐る恐る近寄っていった梶と忽那が、総太朗の顔を覗き込む。


「成瀬さんの偽物ですか?」

「よーく見ると、似ているような……」


ふたりが疑いの眼差しを向けると、総太朗はカバンから名刺入れを取り出し、名刺を差し出す。


「……実は僕、こういう者です」


梶が名刺を受け取り、忽那がそれを覗き込んで見た。


「四ツ屋総太朗? 総太朗は、成瀬くんの名前ですよね?」

「四ツ屋は、会社名の四ツ屋だから……」


途端にふたり揃って叫び声を上げる。



「「四ツ屋の御曹司!?」」



再び周囲の視線が一斉に向けられたが、総太朗は特に気にすることなく平然と答える。


「はい、僕は成瀬で、四ツ屋の跡取りです」


真相を知らされても、頭がパンクしてしまった瑞穂は、ぼけっと突っ立ったままだ。

そばまで来た総太朗が、そっと耳打ちする。


「……詳しいことは、帰ったら話しますね」


瑞穂が見上げると、総太朗はいつも以上に優しい顔で頬笑んでみせた。

途端にルカが瑞穂を押し退けて、総太朗の前に立つ。


「成瀬さんっ、その格好、どうしたんですか? すっごくカッコいいですぅ~!」


何をするのかと思えば、彼女お得意の猫なで声に、ねっとりとしたボディタッチ。

突然の手のひら返しに、周囲はドン引きだ。


「まさか次期社長だったなんて~。何で言ってくれなかったんですか?」

「えっ? 僕は“キモオタ眼鏡”ですよね?」


ルカは彼に酷い態度を取ってきたわけで、それを今更なかったことにはできないだろう。


「キモオタ眼鏡が次期社長なんて、驚きましたか?」

「ヤダーッ、キモオタ眼鏡って、何のことですぅ~?」

「えっ? 僕のことそう呼んでましたよね?」


総太朗は、爽やかな笑みをみせながら言う。



「キモオタ眼鏡、聞こえてましたよ?」



そうしてルカの手を退けて、カッターシャツを払う。

汚いものに触られた、と言わんばかりの態度だ。


「品のないボディタッチも、胸焼けしそうな猫なで声も、僕に通用しないので。やめてくださいね」


すっかり拒絶されてしまったルカは、悔しそうな顔をして、


「アンタなんかに興味ないわよ! アタシには、悠聖くんがいるんだからっ!」


そう言い残し、広報部のフロアから出て行ってしまった。


「お騒がせして、すみませんでした。どうぞ、業務に戻ってください」


事態を収束しようと、総太朗はみんなに声を掛けたが、広報部内は沸き立ってしまっていて、簡単には戻れそうにない。



騒動の最中、瑞穂は辞令を配りに来た奈央を捕まえ、広報部のフロアから外へ出る。

誰もいない給湯室へ奈央を連れ込むと、辞令のプリントを一枚奪って、それを彼女に見せて問う。


「この辞令、どういうこと?」


奈央は、辞令のプリントをビシッと手で押し退ける。


「どういうことって言われても、私は人事部の末端だから、詳しいことはわからないよ」

「……そうだよね」


正論で返されてしまい、それ以上は何も言えなくなってしまった。

そんな瑞穂に、奈央がコソッと話をする。


「ただ……」

「奈央、何?」

「成瀬くんは社会人経験を積むために、四ツ屋コーポレーションに入社させられたらしいよ」

「……そうなの?」


「会長の意向みたい。“何も知らないボンボンに、会社は継がせられない!”って、言われたとかなんとか」


どうやら家庭の事情があって、総太郎は社員として働いていたみたい。


「どうして、“成瀬”って名乗ってたの?」

「それね、社長の奥様の旧姓らしいよ。まあ、社内で四ツ屋は名乗れないからね。社長の息子だってすぐにバレちゃうでしょ」

「そっか。そうだよね」


奈央からの情報はそこでおしまい

あとは、本人に聞くしかなさそうだ。


「成瀬くんが、四ツ屋の御曹司か……」


ぽつりと呟いて、その言葉に納得した後で、瑞穂は目を白黒させる。

とんでもない人の家に転がり込んでしまったと、今になって気づいたのだ。



***



その日はきっちり定時で退社し、瑞穂は急いで部屋に戻った。


「おかえりなさい」


玄関の扉を開けると、先に帰っていた総太朗が瑞穂を出迎えた。


隠す必要がなくなったからか、前髪はかき上げていて、眼鏡もかけていない。

素顔の総太郎に、瑞穂は戸惑うばかり。


「ぇえっと、成瀬くん……」


一体、これはどういうことなのか。

すぐにでも、話を聞きたいと思った。

しかし、瑞穂の口を人差し指で塞いだ総太朗は言う。


「話はお預けで。まだ異動前なんですけど、ひとつお願いしてもいいですか?」




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