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「この度は大変ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」
ガラス張りの商談ブースに、謝罪の言葉が響き渡る。
今回のイベントでミスや急な変更があったことを伝え、丁寧に頭を下げると、タレント事務所から来ていた営業担当の男性は、慌てて瑞穂を止める。
「迷惑だなんてそんな。タレントの要望を叶えてくださったんですから、うちからは何も文句はありませんよ。むしろ、お礼が言いたいくらいです」
顔を上げた瑞穂は、きょとんとする。
「……お礼ですか?」
一歩間違えれば大惨事が起きて、イベントが中止になってもおかしくなかった。
なにより、如月の好意を台無しにしてしまうところだったのだけれど……。
「イベントの反響がすごく良かったんですよ。如月のイメージにピッタリだって。SNSでも、たくさんの書き込みや写真がアップされているみたいなんですよ」
広報部でも忽那が情報収集していたが、SNSの反響はとてもよかった。
ネット媒体の記事やテレビ取材の映像もいくつか確認したが、どれも好意的に取り上げてくれていた。
結果的には、企画は成功に終わったというわけだ。
「如月も“いい仕事ができた”と、喜んでいました。本当にありがとうございます」
タレント事務所の営業担当の嬉しそうな顔。如月が納得の仕事ができたと知り、瑞穂は安堵した。
社内へ戻っても、まだまだお詫び行脚は終わらない。
広報部のフロアへ戻ると、入れ違いで外出しようとしていた忽那と鉢合わせた。
「豊嶋主任! 名刺印刷を引き受けてくれた業者さんのところに、お礼に行ってきます!」
チーム総出で事後処理祭だ。
「ありがとう。いってらっしゃい」
瑞穂が見送りをすると、振り向いた忽那が頭を下げた。
「主任! ごめんなさい。私、主任のこと誤解してました! 一緒に名刺を探してくれて、ありがとうございました!」
それだけ伝えると、エレベーターに乗り込んだ忽那はその場を後にする。
「……誤解って何?」
意味がわからず瑞穂がポカンとしていると、そこへやって来た梶が説明してくれた。
「たぶん、織田さんにいろいろ言われて、豊嶋さんを避けるようにしてたからじゃないですか?」
「えっ、そうなの?」
「私もです。豊嶋さんが私の悪口を言ってたって、織田さんから言われて。それで避けてました」
――ああ、やっぱりそうか。
ふたりが壁を作るようになったのは、ルカがあることないことを吹き込んだからだ。
「豊嶋さんがそんなことする人じゃないって、わかっていたのに。すみませんでした」
「謝らなくていいよ。私も、そうじゃないかって思ってたから」
梶は申し訳なさそうな顔をするが、悪いのは彼女ではない。
周囲を引っかき回して、めちゃくちゃにしようとしていたルカと、嘘や嫌がらせに屈して、戦おうとしなかった瑞穂自身のせいだ。
その日のうちに人事部にやって来た瑞穂は、人事部の山居部長とコンプライアンス担当の宇野と、もう一度面談をすることになった。
「広報部の社員から、織田さんのデザイン案にAIが使用されているのではないかと相談を受けて、本人から話を聞こうとしました」
山居部長は相変わらず不満げで、瑞穂の話に茶々を入れる。
「そのー……AIだったか? 使ったからって、たいして問題ないだろ?」
すると、宇野がギョッとした顔をする。
「いいえ、部長。著作権に関わるような場面でのAI使用は控えるようにと、社内での取り決めがあります」
味方だと思っていた人から反論され、山居部長は急にしどろもどろになる。
「だっ、だからって、泣かせるのはどうかと思うよ。女の子をだよ。こう、人前で責めたりしてね。それこそ、パワハラってヤツだ」
デザイン案の件でルカを問い詰めたとき、仕事として冷静な対応をしようとはしたが、怒りに任せてしまったところがないとは言い切れない。
「泣かせたことは確かです。ですから、処分は受け入れようと思います」
そう言って頭を下げると、面談を終えた瑞穂はその場を後にした。
人事部からの帰り道、奈央が瑞穂を見送る。
「瑞穂は悪くないのに、処分対象からは外れないなんて。納得いかないよ」
「まあ、私もあのときは織田さんに強く当たっちゃったから、反省しないと」
「ごめんね、あまり力になれなくて」
「ううん。奈央、ありがとう。おかげで言いたいことが、ちゃんと言えたよ」
山居部長や宇野ときちんと話ができたのは、奈央が面談の場を取り持ってくれたおかげだ。
「あの部長は、織田さんのことになると、相変わらず出しゃばってきて。他にやることないのかな?」
「自分がヘッドハンティングしたんだって言ってたから、責任があるんじゃない?」
「どうせただの下心でしょ」
どんな結果になろうと、こうして一緒になって考えてくれる友達に恵まれただけで、もう充分だと思った。
「人事の問題も片付いたし、あとは住む場所ね。どうしようかな。異動って、まさか地方支社ってことはないよね?」
「それは、何とも言えないけど……そういえば、今は実家から通ってるの?」
「ううん、うちは帰れるような場所じゃないから」
「じゃあ、友達の家とか?」
瑞穂は、奈央の問いにドキリとする。
「そう、友達。ペット可のマンションだったから、猫と一緒にお世話になってるの」
まさか、同僚の……それも男の人の部屋に居候しているなんて、さすがの奈央にも言えそうになかった。
エレベーターを降りたとき、ホールのテーブル席に座っていたルカの姿が目に留まる。
テーブルにはコーヒーとお菓子。就業中にも関わらす、ルカはスマホに夢中だ。
「いやーん、悠聖くんったら。アタシたちが会ったこと、みんなにバレちゃうかもねっ」
おまけにひとり言で黄色い声を上げて、傍からすれば不気味でしかない。
「アイツ、サボってんじゃん」
「奈央、しーっ……」
瑞穂は、奈央の手を引いて歩き出す。
「関わらないでおこう。変に目を付けられて、奈央に何かされたら嫌だから」
「でも、アイツのせいで結婚が取りやめになって、部屋を追い出されたんでしょ?」
和真に関して、ルカを恨んでいないと言ったら、嘘になるだろう。
今もまだ納得していないところもある。
どうして別れなくてはいけなかったのか――これまでの日々を思い出したら、どうしようもなく苦しくなるときだってあった。
それでも、もう元には戻らない……戻れないから。
「きっかけを作ったのはルカだけど、ダメになったのはそれだけじゃない。もっと大事なことがあった。それが欠けてたなら、どのみち上手くいかなかったんだよ。それでいい」
瑞穂は、前に進むことを決めたんだ。
休日に和真のいる部屋を訪れた瑞穂は、持ち出す荷物をまとめていた。
実家へ送るものはダンボール。
とりあえず持っていくものはスーツケースへ。
もう必要ないものはゴミ袋に詰め込む。
片付けをしていると、和真と一緒に暮らした記憶が蘇ってくる。
ふたりでお揃いのパジャマ。
一緒に買いに行った家具。
幸せそうに笑うふたりの写真。
――全部、さよなら。
「荷物を送りたいので、取りに来てもらえますか? ええっと、場所は……」
宅配便の手配を済ませると、自分の部屋を後にする。
リビングまで来たとき、ペットカメラのことを思い出した瑞穂は、設置していた録画カメラ本体と、テレビに接続していた外付けのハードディスクを回収した。
これで片付けは終了だ。
不機嫌そうにその場へやって来た和真は、瑞穂に冷たい言葉を投げかける。
「終わったら、さっさと出てけよ」
振り向いた瑞穂は、和真に問いかける。
「貴方には、いまだにルカがいたいけな女の子に見えてるの?」
最後通告のようなものだ。
ルカに関わっていた人達は、彼女に対する違和感に少しずつ気づき始めている。
しかし、和真は今も騙されたままだった。
それを憐れんだところで、彼の意思が変わることはない。
「そんなことする子じゃない。見ればわかるだろ」
「三年も一緒にいて、結婚するって決めたのに。そんな私よりも、ルカの言うことを信じるんだね」
ルカについて正直に話すが、和真は聞く耳を持たなかった。
彼に対して、瑞穂は諦めの境地だ。
「もういいよ。私の言うことが信じられないっていうなら、それでいい」
他人の嘘で壊れるような、脆い信頼関係しか築けなかった。
「ルカが現れなくても、どのみち上手くいかなかったんじゃないかな。いつかこんなことが起きるんじゃないかって、心のどこかでそう思ってた」
そんな相手との関係が、生涯続くわけがない。
「貴方を信頼できなかった私も悪かった」
瑞穂は、キーケースから部屋のカギを外すと、それを和真に差し出す。
「今までお世話になりました。さよなら」
カギを突き返すと、瑞穂は振り返ることなく、玄関を後にした。




