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「ごめんね、瑞穂(みずほ)。アタシ、こんなつもりじゃなかったの……」


開口一番、織田(おだ)ルカは心にも無い謝罪を述べた。


少しタレ気味の大きな瞳に、ふっくらとした涙袋。

口角が上がった口元に、薄いピンク色をした唇。

その愛くるしい容姿で、子犬のように愛嬌を振りまく。


しかし、中身は猛毒を含んだ蛇だ。


「まさか、瑞穂が南澤さんとつき合ってるって、知らなくて。ホントだよ」


虫も殺さぬ顔をして、嘘にまみれたエグい言葉を吐き捨てる。


「……っていうか、誘ってきたのは南澤さんの方なんだけどね」



――この女に、大切なものを何度奪われてきただろう。



ルカを前にした瑞穂は、下唇を噛んで俯く。

その耳には、これまで必死に積み上げてきた幸福が、ガラガラと崩れ去っていく音が聞こえていた。



どうして、こんなことになってしまったの……。



***



日本橋駅から徒歩数分――オフィス街の一角にある、モダンなデザインのオシャレなビル。


四ツ屋(よつや)コーポレーションは、菓子や飲料、ベビーフード、機能性食品等を製造販売する食品メーカーだ。


「……豊嶋主任、お願いします」


入社六年目の豊嶋瑞穂(とよしまみずほ)は、東京本社の広報部で主任を務めている。


「お手元の資料、もしくはパソコンの方へお送りしましたデータをご確認ください」


会議室には広報部だけでなく、企画開発部や営業部の社員達も参加していた。


この日の会議の議題は、新商品の広告の打ち出しについて。

何度も話し合いを重ね、試作を繰り返して、ようやく発売日に向けて最終段階に入ったところだ。


「本日の会議は最終確認と言うことで、これまでの業務の報告確認と、今後行われるキャンペーンならびにイベントについての説明を主にしていきたいと思います」


CMタレントの決定から広告デザイン、キャンペーンやイベント企画が動き出していて。

それらの業務を、瑞穂のチームが取り仕切っていた。


「豊嶋さん、業務報告は私がします」

「わかりました。梶さん、お願いします」


長い髪をまとめて結った、パンツスーツ姿の女性。

梶千里(かじちさと)は、瑞穂の一年後輩。

真面目で几帳面な性格で、丁寧かつ迅速な業務に定評がある社員だ。


「キャンペーンとイベントの予算については、先日の会議でお話ししたとおり、経理部の方との調整は済ませております。予算の内訳は、資料の4ページをご覧ください」


以前配属されていた経理部での経験から数字に強く、その信頼感から交渉の場でも活躍していた。


「……予算に関しては以上です。ポスターの件は、忽那の方から説明してもらいます」


梶に呼ばれて手を上げた女子社員が、参加者達に一礼する。

忽那彩音(くつなあやね)は、同じチームの最年少。

明るい髪色にバッチリなメイクで、一見派手な印象だが、美的感覚はチーム1。

市場のリサーチ力もあり、広報の仕事は天職と言われるくらいの人材だ。


「キャンペーンポスターですが、商品開発をした企画開発部や、CM出演を受けてくださったタレント事務所の方のご意見を参考に、デザイン制作部の担当とうち合わせを重ねた結果、こちらの案に決定しました」


立ち上がった忽那は、ポスターのサンプルを貼ったボードを、会議の参加者に見えるように運んでくる。

そこへ、営業部の西尾(にしお)課長が苦言を呈する。


「そのデザインなんだけど、どういう意図があってこうなったのかねー?」


ポスターのサンプルを見る西尾課長は、わかりやすく顔を顰めている。


「それは……」


「なーんかちょっとね。フランボワーズのケーキ? こっちはティラミス? 高級感がある商品だと思ってたのに、ポップなデザインで壊しちゃてる気がするんだよね」


答えようとした忽那に隙を与えず、西尾課長は話を続ける。


「だいたい、パッケージもどうかと思うよ。もっとリアルな絵柄にして、わかりやすくするとか、他のアイデアはなかったのかねー」


これには、デザイン制作部の担当も身をすくめてしまった。

すると、ひとりの社員が挙手する。


「その件は、僕の方から説明させていただきます」


成瀬総太朗(なるせそうたろう)は、重い前髪に黒縁眼鏡が印象的な男性だ。


入社五年目にして、経理部、営業部、企画開発部から広報部へと、四つの部署を異動して回っていて、社内では『たらい回しの成瀬』と秘かに呼ばれている。


異動してきた当時は、「一体、どんな問題児が押しつけられたのか?」と、懸念する声が部署内に広まった。


しかし、その心配は杞憂に終わる。


一緒に仕事をしてみれば、物腰柔らかで人当たりも良いので、あっという間に周囲と打ち解けた。


おまけに、何でもそつなくこなしてしまうのだから、総太朗は今や欠かせない戦力だ。


「こちらは本物に近い味を再現し、なおかつお菓子ならではの食感を生かした、新しいジャンルの商品です。確かに、高級感を押し出す売り出し方もありでしょうね」

「そうだろう? 成瀬もそう思うよな?」

「ですが、ターゲット層を考えると、こちらのパッケージデザインの方が、親しみやすくて良いかと」

「いや、だから親しみやすさよりも高級感だろ?」


反対意見なんて何のその。総太朗は話を続ける。


「タレントの如月悠聖(きさらぎゆうせい)さんには、メルヘンチックな洋菓子屋さんの店長という設定で、すでにCM撮影を終えていただきましたし。今からのデザイン変更は、リスキーだと思いますよ」


これには、さすがの西尾課長も黙るしかない。

デザイン制作部の担当は、ほっと胸をなで下ろしていた。


「僕からは以上です」


説明を終えた総太朗は、梶や忽那、それに瑞穂にニコッと微笑んでみせる。


チームワークは抜群。多少のトラブルはあるが、四人でカバーし合い、他の社員達とも協力し、企画の成功に向けて順調に仕事を進めていた。




会議が終わると、参加者達は各々に部署へ戻っていく。

瑞穂は、一緒に会議室の片付けをしていた梶に声を掛ける。


「こっちは大丈夫だから、梶さんは経理部へ行ってきてくれる? 会議で予算変更になったから、確認を取ってきてほしいの」

「……わかりました。あとはお願いします」


忽那と総太朗も、それぞれの業務に奔走している。

瑞穂も、就業時間までにやることは山のようにあった。


早々に片付けを終えると、コーヒーポットと紙コップを手に会議室の外へ出る。

すると、女子社員達のお喋りが聞こえてくる。


「……南澤さん、お疲れ様です」

「今日の外回りは終わりました?」


瑞穂は、咄嗟に柱の陰に隠れて様子をうかがう。

給湯室のそばで、男性社員が女子社員に囲まれていた。


くっきりとした二重の瞳に、鼻筋がスッと通った端正な顔立ち。

営業部の南澤和真(みなみさわかずま)は、スラリと背が高くて、モデルや俳優でもおかしくないような雰囲気の男性だ。


「南澤さん、今夜、予定空いてませんか?」

「みんなでごはんに行こうって話してるんですよ。一緒に行きましょうよ」


女子社員達は、和真を飲み会に誘おうと必死になっている。

女性に声を掛けられたり、追いかけられたりは日常茶飯事。中には、あからさまな誘いをする人もいた。


その光景をジッと見つめる瑞穂の背後に、パタパタと足音が近寄ってくる。


「南澤先輩は、相変わらずモテるね~。アラサーでもまだモテ期? スゴすぎ!」

「……奈央」


人事部の崎本奈央(さきもとなお)は、瑞穂の同期で仲の良い友人のひとり。

明るく快活な人で、仕事のことからプライベートまで相談しあえる、瑞穂のよき理解者だった。


奈央は、和真と女子社員達の様子を見て呆れたような顔をする。


「だいぶしつこく絡まれてるけど、放っておいていいの?」


ドキッとしつつも、瑞穂は素知らぬフリをして答える。


「まあ、お喋りしてるだけで、いかがわしいことしてるわけじゃないしね」

「そんな余裕ぶってると、若い子にとられちゃうよ」


和真は、瑞穂の恋人だ。


ふたりの出会いは、瑞穂が新卒でこの会社に入社してきたとき。

瑞穂が営業部に配属されて、和真が指導役として就いたのがきっかけだった。


先輩後輩から恋人同士になって早三年。

一年ほど前からは、ふたりでマンションの部屋を借りて同棲生活を送っていた。


瑞穂は、奈央にそっと耳打ちする。


「奈央、実はね……」


それを聞いた奈央は、目を丸くする。



「ええっ!? 結婚?」



奈央が急に叫ぶから、瑞穂は慌てて彼女の口を手で塞ぐ。

そばにいた男性社員達が、訝しげな顔をして通り過ぎていく。

愛想笑いでその場をやり過ごした瑞穂は、小声で奈央に言う。


「奈央、しーっ……まだ内緒だから……」


瑞穂と和真の交際は、一部の社員を除いて社内ではヒミツにしていた。


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