【第6章 第5話】 海中の秘密
右手の感覚、残り二十パーセント。
失われていく身体の自由と引き換えに、レイは海に沈んだ黒い塔の深部へと潜っていく。
そこで彼を待ち受けていたのは、世界から忘れ去られた悲劇の記憶と、自らを「観察者」と名乗る謎の存在だった。
「もう戻らないかもしれない」
右手を見る。指が動く——でも感覚がない。
40%。昨日より悪化してる。
これで潜れば——もっと失うかもしれない。
でも、行かなきゃ。
「レイ、右手は?」
ロナンの声が静かに響く。会議室の空気が重い。
「……動きます」
嘘じゃない。動く。魔法陣は描けないけど。
「本当に?」
母の声——心配そう。
視線を合わせられない。
会議室の長机——ダリウス、グレン、リナ、ガルム。それに父と母、ロナン。
「レイ」
ロナンが地図を広げる。
「お前が行くと決めたなら、これだけは知っておけ」
指差す——数値が書かれた紙。
「塔周辺のマナ濃度1.52。内部は推定1.8以上」
「深さ50メートル。通常の呼吸魔法は10分も持たない」
グレンが口笛を吹く。
「やべえな」
「最悪の場合、港が使用不能になる」
父が地図を見る。
「放置は——できない」
「だから——」
ロナンが封筒を出す。
「緊急依頼として発行する。期限は72時間以内」
「三日!?」
リナが叫ぶ。
「準備は——こっちでする」
父が言う。
「明日の夜に出発だ」
沈黙——
ダリウスが頷く。
「……やろう」
グレンとリナも頷く。
ガルムは——レイを見る。
「レイ様、あなたは?」
全員の視線——集まる。
右手を——握る。
感覚がない。
「行きます」
母が立つ。
「レイ——」
「大丈夫」
嘘——全然大丈夫じゃない。
父が母の肩に手を置く。
「エリス。レイを——信じよう」
「大丈夫です」
ガルムが頭を下げる。
「レイ様は——必ず守ります」
「私も」「俺も」「私たちが——いるから」
ダリウス、グレン、リナ。
母が——泣きそうな顔で頷く。
「じゃあ決まりだ」
ロナンが立つ。
「明日の夜、22時。港湾区西部の船着場に集合」
「それまでに——」
レイを見る。
「休め」
「……はい」
会議終了——みんなが出ていく。
レイも——立ち上がる。
「レイ」
ロナンの声。
「なんですか?」
「右手が——動かないんだろ」
ドキッとする。
「……どうして」
「見れば分かる」
彼が近づく。
「無理はするな。お前が倒れたら——みんなが困る」
「分かってます」
握る——右手を。
でも——
「行かなきゃいけないんです」
「違う」
ロナンが首を振る。
「封印が壊れたのは——偶然だ。お前のせいじゃない」
「……」
言葉が出ない。
涙が——出そうになる。
「準備をしろ。そして——生きて帰って来い」
「はい」
【帰り道】
ギルドを出る——外は夕暮れ。
黒い塔が——影になってる。
「レイ様」
ガルムが隣に。
「大丈夫ですか?」
「うん……」
歩く——家へ。足が重い。
「謝らないでください」
「?」
「誰も——責めていません」
彼が微笑む。
「あなたは——勇敢でした」
涙が——止まらない。
「ガルム……」
「泣いてもいいです」
抱きしめてくれる——優しく。
「ここでは——誰も見ていません」
泣く——声を殺して。
右手が——魔法が——何もできなかった——
ガルムが背中を叩く——優しく。
「明日は——きっと。うまくいきます」
数分——泣いた。
「……ありがとう」
家に着く——扉を開ける。
「ただいま」
「お帰りなさい」
母が——抱きしめる。
父も——「よく頑張ったな、レイ」
夕食——でも食べられない。
右手で——スプーンを持てない。左手で食べる。
「レイ……」
母が——心配そう。
「大丈夫」
嘘——全然大丈夫じゃない。
食後——
「レイ、ちょっと来い」
父が——書斎に呼ぶ。
机の上に——箱。
「開けてみろ」
開ける——中に青い結晶。
「エルフの魔導具だ。水中呼吸と、マナ保護を同時にできる」
「お父さん……」
「レイ」
彼が椅子に座る。
「無理はするな——でも、逃げるな」
「お前は——強い。頭がある。仲間がいる。それで十分だ」
握手——右手で。
感覚が——ない。でも温かい気がする。
「ありがとう」
部屋に戻る——ベッドに倒れる。
天井を見る。右手を上げる。
動く——でも感覚がない。
「明日……」
大丈夫だろうか。
不安——でも。
みんながいる。一人じゃない。
「……よし」
目を閉じる。
明日——海の底へ。
【翌日・夜】
港湾区西部——船着場。
月が明るい。でも塔が影を落としてる。
「みんな揃ったか?」
ダリウスの声。
全員——装備してる。青い結晶——胸に。
「レイ、調子は?」
「……大丈夫」
右手を握る。感覚が30%くらい。昨日より悪い。
「じゃあ——行くぞ」
船に乗る——小型の。ロナンが操縦する。
エンジン——ブルルル。
進む——海の上。波が揺らす。
黒い塔が——近づく。
でかい——歪んでる——不気味。
船が——止まる。
「着いた」
塔の真横。海面に黒い壁。脈打ってる——ように。
「準備はいいか?」
ダリウスが全員を見る。
グレンが盾を叩く。「いつでも」
リナが弓を確認。「OK」
ガルムが頷く。「はい」
レイも——「大丈夫」
深呼吸——
「じゃあ——行くぞ」
ダリウスが——飛び込む。ドボン。
グレンも——リナも——ガルムも——
最後に——レイ。
「行ってきます」
ロナンが——手を振る。「気をつけろ」
飛び込む——冷たい!
水が包む。息が——でも大丈夫。
結晶が光ってる。呼吸できる——水の中で。
下を見る——暗い。深い。底が見えない。
「レイ、大丈夫か?」
ダリウスの声——水中でも聞こえる。
「うん」
「じゃあ——降りるぞ」
泳ぐ——下へ。
10メートル——20メートル——30メートル——
暗くなる——光が届かない。
「照明魔法」
リナが——光球を。
周りが見える。塔の壁——黒い。苔が生えてる。
魚が泳いでる。でも——普通じゃない。
目が光ってる。青白く。
「変異種……マナの影響だ」
ダリウスが呟く。
40メートル——50メートル——
「着いた」
底——いや、塔の根元。
そこに——扉。石でできた——古い。
文字が刻まれてる。
「これ……読める?」
リナが聞く。
近づく——文字を見る。
「古代語……かな」
エルフで習った——
「えっと……」
「『ここに眠る者たちよ、安らかなれ』」
「……墓?」
ダリウスが呟く。
「いや——」
続きを読む——
「『我らは海に沈みし、戦いの犠牲者なり』」
沈黙——
「戦争……この船は——沈没船か」
ダリウスが扉を触る。
「戦争で沈んだ船が——ダンジョンに」
マナの乱れで。
「中に——死者がいるかもしれない」
グレンが剣を抜く。「覚悟しとくか」
扉を押す——重い——でも動く。
ギギギ……
開く——中が暗い。
通路——狭い。壁が錆びてる。鉄製——船だ。
「入るぞ」
一歩——中へ。
水が濁ってる。視界が悪い。
「気をつけろ」
進む——全員。
通路が長い。曲がる——また通路。迷路みたい。
「マナ濃度は?」
レイが感じる。
「……1.9」
「高い。魔物が出るぞ」
ダリウスが頷く。
その時——音——ゴゴゴゴ……
「何だ!?」
壁が——動く!?
いや——影——壁から。
人型——でも歪んでる。顔がない——体が透けてる——
「亡霊!?」
リナが叫ぶ。
「落ち着け! 魔物だ。倒せる!」
ダリウスが剣を構える。
影が襲ってくる——三体——
「来るぞ!」
【水中戦闘の予兆】
一体目——グレンへ。盾——ガン!
「重い!」水の中——動きが遅い。
二体目——リナへ。矢を放つ——でも水の抵抗——遅い。当たらない。「!」
三体目——レイへ!
右手——魔法陣——描けない!
感覚がない——手が重い——
迫る——
「レイ様!」
ガルムが——でも間に合わない——
「やばい——」
影の手が——伸びる——触れる——冷たい!
体が——凍る——「ぐっ——」
視界が——暗く——なる——
「レイ!」
声が——遠く——
意識が——飛び——そう——
【暗闇の中】
視界の端——黒い影。
でも——今度ははっきり見える。
人の形——でも顔がない。
「……誰?」
『助けが——必要か?』
声——頭の中に直接。
「お前は——」
『観察者』
「!」
『今——お前は死にかけている』
「……分かってる」
『助ける——条件がある』
「条件?」
『この船の——真実を知れ』
「真実?」
『そして——記録しろ』
「なぜ?」
『これは——歴史だ』
『忘れられてはならない』
光が——視界が——戻る——
「レイ! 起きろ!」
ダリウスの声——揺さぶられる。
「……っ」
目を開ける。
「生きてる!」
グレンが安堵する。「よかった……」
リナも。
ガルムが抱きしめる。「レイ様……」
「大丈夫——です」
立つ——ふらつく。でも立てる。
「影は?」
「倒した」
ダリウスが霧になった残骸を指差す。
「でも——お前が倒れて。心配したぞ」
「ごめん……」
右手を見る——感覚が20%。さらに悪化してる。
「レイ。引き返すか?」
「いや——」
首を振る。
「行きます」
「でも——」
「真実を——知らなきゃ」
観察者の言葉——歴史——忘れられてはならない——
「……分かった」
ダリウスが頷く。
「でも無理はするな」
「はい」
進む——再び。
通路の奥——扉——開ける——
中が広い。船倉——でも何もない。
空っぽ——いや——
床に——骨——たくさん。
「……これは」
リナが口を押さえる。
「死者……戦争の——」
骨が並んでる。整然と。
誰かが弔ったのか。でも誰も覚えてない。
「可哀想に……」
グレンが頭を下げる。
レイも——「安らかに——」
祈る——その時。
骨が——光る。「!?」
立ち上がる——骨が組み上がる。
人の形——でも目がない。
口が開く。
『……帰れ』
声——掠れてる。
『ここは……我らの墓』
『生者の……来る場所ではない』
「でも——このままだと街が危ない」
ダリウスが一歩前へ。
『知った……ことか』
骨が剣を持つ——錆びた——でも鋭い。
『我らは……忘れられた』
『ならば……お前たちも』
『忘れられろ』
襲ってくる——
「まずい!」
でも——
レイは気づいていた。
この戦いは——勝っても終わらない。
右手が戻らない。
記録すれば——もう戻れない。
それでも——
行くしかない。
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第6章 第5話 完
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水中を彷徨う亡霊たちの襲撃を切り抜けた先で、一行は大量の遺骨が眠る船倉へと辿り着く。
百七十八年前の戦争の犠牲者たちは、怨嗟の声とともに、生者であるレイたちを深淵へと引きずり込もうとしていた。
最適化された選択は、次にどんな形で世界から返ってくるのか。
よろしければ、
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