【第5章 第5話】 エルフ語の調べ
九歳と三ヶ月。留学まで八ヶ月と迫る中、レイの前に「留学費用」という現実的な壁と、エルフ評議会が課した「過酷な試験」という二つの難題が立ちはだかる。
アリエルの指導のもと、人間とは根本から異なる時間感覚と言語体系に翻弄されながらも、レイはエルフ式魔法の核心へと迫っていく。
しかし、感情を力に変える訓練の最中、レイ自身も自覚していなかった「前世の澱」が、赤い魔力となって中庭を染め上げた。
オープニング:請求書が、全てを変えた
朝食の席。父が封筒を置く。
「レイ、これが留学の総額だ」
開ける。数字が、躍る。
白金貨120枚。
息が、止まる。
(家が買える……)
「大丈夫よ」母が微笑む。「商談が成功すれば」
でも、目が笑っていない。
ガルムが言う。
「俺の護衛代は、要らねえ」
「ガルム……」
「家族だからな」
胸が、熱い。
父が立つ。
「八ヶ月後——お前は、エルフ領域に行く」
「だが、甘くはない。アリエルから連絡があった」
水晶を置く。
『評議会が試験を課すことを決定した。エルフ式魔法を習得できなければ、遺跡への立ち入りは認めない』
(試験……)
「準備は、今日から始める」
父の声が、重い。
「失敗は、許されない」
展開1:庭——発音の地獄
中庭。アリエルが待っている。
「Sílëa nar vanwa, mal taurë ëa etelë」
「……シレア、ナル……」
舌が、絡まる。
「違う。『ëa』は喉の奥、舌を丸めて」
もう一度。
「えあ——」
「ダメ。リラックスして」
五回目。十回目。
喉が、痛い。
(前世なら、音声データを解析して——)
でも、この身体には、そんな能力はない。
「なぜ、こんなに複雑なんですか?」
アリエルが、教科書を開く。
曲線だらけの文字。直線が、一つもない。
「時間があるから」
「……え?」
「短命種は効率を求める。でも私たちは——美しさを求める」
彼女が、文字をなぞる。
「一つの単語に、十の意味。百年かけて、使い分ける」
百年……
(僕が死んでも、学び終わらない)
「焦らないで。日常会話なら、八ヶ月で可能よ」
「でも——」
「完璧は、諦めなさい」
風が吹く。
教科書のページが、めくれる。
次の課題。数の概念。
「では——『三』を、七通りで表現してみましょう」
頭が、痛くなる。
展開2:市場——時間という罠
三日後。エドワードに呼ばれ、市場へ。
「実地訓練だ」
「何の?」
「時間感覚の違いを、体験しろ」
角を曲がる。
エルフの露店。
店主が、本を読んでいる。
「すみません」
「……」
「あの——」
店主が、ゆっくり顔を上げる。
「ああ、いらっしゃい」
そして——挨拶が、始まる。
「今日は良い天気ですね」
「ええ、風が心地よい」
「昨日の雨は、森を潤しました」
「そうですね。木々が喜んでいる」
三分経過。
(まだ、続くの……?)
エドワードが、耳打ちする。
「我慢しろ。遮ると、無礼になる」
五分。七分。
ようやく、本題。
「何をお探しで?」
「エルフ語の辞書を——」
「ああ、辞書ね。少し待って」
店主が、奥へ消える。
十分経過。
戻ってこない。
「……エドワード先生」
「まだだ」
十五分。
店主が、戻る。
「ごめんなさい。在庫を確認していたの」
辞書を、差し出される。
「これでいいかしら?」
ページを開く——古語版。読めない。
「あの、現代語版は……」
「ああ、それなら明日入荷するわ」
「明日!?」
「ええ。明日」
店を出る。
エドワードが笑う。
「エルフの『明日』は——」
「……来週、ですね」
「正解」
頭を抱える。
「会話が、成立しない……」
「だから、イライラする。でも——」
彼が、真剣な顔。
「約束だけは、絶対に守る」
「百年後でも?」
「百年後でも。逆に言えば——」
背筋が、冷える。
「人間の感覚で、軽い約束をすれば——」
「永遠に、信頼されない」
風が、吹く。
市場の音が、遠い。
展開3:自宅——母の涙
夕方。台所。
母と、一緒に夕食を作る。
「レイ、人参を切って」
「はい」
包丁を持つ。
(エルフ語の動詞活用、七パターン——)
「何を呟いてるの?」
「……エルフ語の復習です」
母の手が、止まる。
「本当に、行くのね」
「……はい」
沈黙。
鍋の湯が、沸騰する。
「怖くない?」
包丁を、置く。
「怖いです」
「でも——」
母が、振り返る。
目が、赤い。
「あなたは、まだ九歳なのよ」
「私が九歳の時——」
声が、震える。
「家の手伝いしかしてなかった」
「でも、あなたは——」
言葉が、途切れる。
抱きしめられる。
温かい。
「ごめんね」
「止められないって、分かってる」
「でも——母親だから」
胸が、苦しい。
(前世では、親と別れるのが当たり前だった)
(でも、今は——)
「必ず、帰ってきます」
「約束、です」
母が、笑う。
涙声で。
「エルフ式の約束ね」
「百年後でも、守るから」
夕食。家族四人。
ガルムが言う。
「俺も行く」
「ありがとう」
父が頷く。
「資金は、用意した」
「でも——」
彼が、僕を見る。
「失敗するな」
重い。
でも——
「はい」
クライマックス:夜の庭——赤い怒り
深夜。中庭。
アリエルが、待っている。
「今夜は、感情マナ共鳴よ」
「感情……?」
「感情が、マナに影響する。エルフ魔法の核心」
彼女が、目を閉じる。
森が、ざわめく。
「感じて」
目を閉じる。
マナが、見える。
青い光の川。
「今度は——感情を込める」
「どんな感情でも?」
「ええ。喜び、悲しみ、愛——」
母を思い出す。
抱きしめられた、温かさ。
マナが、変わる。
青から——橙色。
「いいわ。愛情ね」
目を開ける。
アリエルの手に、光の花。
「美しい……」
「でも——一つだけ、禁忌がある」
「禁忌?」
「負の感情。怒り、憎しみ——」
彼女の顔が、暗い。
「Cycle 2の崩壊。それは——感情の暴走が原因だった」
頭が、止まる。
「暴走……」
「神代の魔法使いたちは——怒りを、力に変えた」
「そして、世界を壊した」
風が、冷たい。
「試してみて。いろんな感情を」
頷く。
喜び——黄色。
悲しみ——青。
感謝——緑。
「では——怒りを」
「え……」
「試してみるだけ。制御できるから」
頭の中で、探す。
(怒り……)
前世。
デバッグ。
エラーの山。
徹夜の日々。
無能な上司。
(クソが——!)
マナが——
爆ぜる。
赤い光が、庭を染める。
植物が、枯れる。
「レイ!」
アリエルが、手を上げる。
マナが、鎮まる。
息が、荒い。
「……すみません」
「大丈夫。でも——」
彼女が、僕を見る。
「あなたの怒り——深いわね」
「前世で、何があったの?」
答えられない。
月が、雲に隠れる。
転換:水晶の警告
翌夜。書斎。
水晶が、光る。
観察者。
「レイ」
「……何ですか」
「エルフ評議会——保守派が、あなたを拒否している」
「なぜ?」
「前例がない。子供に、古代の秘密を見せることは」
頭が、痛い。
「どうすれば……」
「実力を示す。エルフ式魔法を、完璧に」
「でも——」
「遺跡には、罠がある」
「神代魔法の、自動防衛」
「触れれば——死ぬ」
背筋が、凍る。
「私が同行すれば、回避できる」
「……本当に?」
「信じるかは、あなた次第」
通信が、切れる。
窓の外、星空。
(エルフ領域で——何が待ってる?)
机に、向かう。
ノートを開く。
留学準備チェックリスト
言語:30%
文化:40%
魔法:20%
家族:——
最後の項目に、何を書けばいい?
(納得? 諦め? それとも——)
ペンが、止まる。
エンディング:評議会の宣告
遠く。エルフ領域。
樹上の議場。
長老が、立つ。
「人間の子供に、遺跡を見せるなど——」
「前例がない!」
アリエルが、反論する。
「でも——彼は、システムと対話した」
「九歳で」
「それが、危険なのだ!」
長老が、叫ぶ。
「神代の過ちを、繰り返すつもりか!」
若いエルフが、立つ。
「私たちは——停滞している」
「新しい視点が、必要だ」
ざわめき。
議長が、手を上げる。
「では——試験を課す」
「人間の子、レイが——」
「エルフ式魔法を習得し、我々の前で証明せよ」
「さもなくば——」
「遺跡への立ち入りは、永久に禁ずる」
アリエルが、頷く。
「承知しました」
窓の外。
森が、揺れる。
風が——
何かを、運んでくる。
変化の、予感。
【遠く。ルミナス港。レイの部屋。】
窓辺。
レイが、星を見ている。
手には、母からの手紙。
「どんなに遠くても、あなたは私の子供よ」
涙が、一筋。
(行かなきゃいけない)
(でも——帰ってくる)
(絶対に)
ノートに、書く。
家族:守る。必ず。
チェックリストが、完成する。
でも——
心は、完成していない。
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第5章 第5話 完
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エルフ評議会の保守派による拒絶と、観察者から告げられた遺跡の罠。
母との別れの涙を振り切り、レイは「家族を守る」という決意を胸に、合格しなければ立ち入りすら許されないという絶望的な条件の試験に挑む。
最適化された選択は、次にどんな形で世界から返ってくるのか。
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