【第4章 第5話〜第6話:最近のあの子の噂】
八歳の研究発表会で聴衆を困惑させた少年は、それでも一人の理解者を得たことに静かな涙を流していた。
だが、その異質な才能はすでにこの街の枠を越え始めており、周囲の大人たちは彼が下した「エルフ留学」という決断に、戸惑いながらも一つの答えを出そうとしていた。
少年が抱える孤独と、それを温かく見守る街の空気の間に、小さな変化が生まれつつある。
魔法協会の大講堂(発表会翌日・昼)
「なぁ、聞いた?」
「何を」
「あのガキ、魔法協会爆破したって」
「は?」
ペンを置く音。
「魔法で?」
「いや、研究発表で」
「…………どういうことだ」
沈黙。
「半分が眠りに落ちた」
「……それ、爆破じゃなくて催眠術だろ」
「そうか?」
誰かがため息。
「で、何を発表したんだ」
「知らん」
「分かんねぇのかよ」
「だって難しすぎて」
笑い声。
「……俺ら八歳の時、何してた?」
「泥団子作ってた」
「俺は鼻水垂らしてた」
「一緒だな」
沈黙。
「でもさ」
「何?」
「偉い人が『天才』って言ったらしいぞ」
「寝られてたのに?」
「そう」
「…………」
全員が黙る。
「化け物か」
「でも寝られてる」
「じゃあ人間だ」
「そうか?」
酒場の片隅(夕暮れ時)
「なぁ」
「ん?」
「あのガキ、弟子とったって」
「弟子?」
ジョッキを傾ける。
「いや、逆だ。研究者がついたらしい」
「へぇ」
「ずっと壁に当たってたのが、一発で抜けたって」
「……八歳の話で?」
「八歳の話で」
誰かが笑う。
「それ、そいつのほうがヤバくね?」
「どういう意味だ」
「いや、八歳の話で開眼するって」
沈黙。
「……たしかに」
「どっちも化け物」
笑い声が広がる。
「でもさ」
「何?」
「あのガキ、泣きそうだったって」
「泣く?」
「寝られて、ショックだったらしい」
「…………」
誰かがジョッキを置く。
「……普通の子じゃん」
「普通?」
「いや、やっぱ違うか」
笑い声。
「でもほら」
「何?」
「感情あるってことだろ」
「それ、当たり前だろ」
「いや、あのガキには当たり前じゃない」
沈黙。
「……たしかに」
ギルド受付(翌々日・朝)
「ねぇねぇ」
「何?」
「あの子、エルフ留学決まったって」
「……え?」
ペンが止まる。
「エルフの森?」
「そう」
「八歳が?」
「十歳になったら」
「…………」
二人が顔を見合わせる。
「ねぇ」
「何」
「エルフって、人間嫌いじゃなかった?」
「そうだけど」
「なんであのガキは?」
沈黙。
「……知りたくない」
「私も」
笑い声。
でも——
笑ってない。
「ねぇ」
「何」
「あの子、お嫁さんもらいに行くのかな」
「は?」
「いや、エルフの」
「八歳が?」
「十歳になったら」
沈黙。
長い。
「……ないわ」
「だよね」
でも——
誰も否定しきれない。
「ねぇ」
「何」
「でも、この町から出るの?」
「……そうなる」
「二年も?」
「二年も」
長い沈黙。
「……寂しいね」
「は?」
「いや、なんとなく」
「バカか」
でも——
誰も否定しない。
冒険者の溜まり場(夜)
「ダリウス」
「何だ」
「レイ、エルフ行くって」
ジョッキを置く。
「知ってる」
「お前、なんか言わないのか?」
「何を」
「行くなとか」
ダリウスが笑う。
「バカか。あいつには必要だ」
「は?」
「ここじゃ、浮いてる」
リナが口を挟む。
「でも、寂しい」
「寂しいな」
マルクが笑う。
「帰ってきたら、また組むんだろ?」
「そうだな」
ヴィンが頷く。
「二年後、待ってる」
沈黙。
「……お前ら、仲良しか」
「うるせぇ」
笑い声が広がる。
「でもさ」
「何だよ」
「あいつ、ここに戻ってくるって」
「当たり前だろ」
「なんで?」
「ここが家だから」
沈黙。
「……そうか」
ジョッキがぶつかる。
「じゃあ——二年後に」
「二年後に」
酒場(深夜、別の席)
「なぁ」
「ん?」
「あのガキ、誕生日だったって」
「そうなのか」
「九歳」
「…………」
誰かがジョッキを傾ける。
「で、何が起きた」
「何も」
「は?」
「普通に祝ったらしい」
沈黙。
「……それ、逆に怖いだろ」
「なんで」
「いや、あのガキが普通って」
「たしかに」
笑い声。
「でもさ」
「何だよ」
「ケーキ食ったらしいぞ」
「普通じゃん」
「喜んだって」
「……え?」
沈黙。
「なんで喜ぶ」
「知らん」
「嬉しかったんじゃね」
「……普通の子じゃん」
「普通?」
「いや、やっぱ違うか」
笑い声。
「でもほら」
「何?」
「家族と祝ってるんだよな」
「そうだな」
「なら、まだ大丈夫だ」
「何が?」
「知らん。とにかく大丈夫だ」
ジョッキがぶつかる。
「適当か」
「適当だ」
商店街の井戸端(昼下がり)
「聞いた?」
「何を」
「あのルーミナスのお坊ちゃん」
「ああ、変な子」
「エルフに行くんですって」
「まぁ」
野菜を洗う音。
「いいじゃないの」
「でも、寂しいわね」
「は?」
「いや、なんとなく」
「……あなた、気に入ってたの?」
「違うわよ」
でも——
手を止める。
「でも——」
「何?」
「ちゃんと挨拶する子だったわ」
「そうなの?」
「買い物の時、『ありがとうございます』って」
沈黙。
「……普通じゃない」
「そうね」
「いい子じゃない」
「そうね」
野菜を洗い始める。
「帰ってくるといいわね」
「帰ってくるわよ」
「なんで?」
「ここが家だから」
裏路地(密猟組織の溜まり場・夕方)
「リーダー」
「何だ」
「例のガキ、エルフ行くって」
「……そうか」
煙草を吸う音。
「二年、いなくなるんです」
「じゃあ——」
リーダーが立ち上がる。
「二年間、完全に手を引く」
「なんでです?」
「商売上がったりだ」
「は?」
「あのガキが怖すぎて客が来ねぇ」
部下が笑う。
「リーダー、それ情けなくないですか」
「情けなくていい」
煙草を消す。
「生きてる方が大事だ」
全員が黙る。
「手を出すな」
「……了解」
酒場(翌朝、いつもの席)
「なぁ」
「ん?」
「あのガキ、窓の外に誰かいたって」
「誰が?」
「銀髪の女の子」
「…………は?」
ジョッキを置く音。
「誰だよ、それ」
「知らん」
「エルフか?」
「いや、違うって」
「じゃあ何だ」
「初恋じゃね」
沈黙。
「……九歳の?」
「九歳の」
笑い声が広がる。
「でもさ」
「何?」
「もう慣れた」
「何に」
「あのガキが、変なこと言うの」
「たしかに」
ジョッキがぶつかる。
「まぁ、酒飲もうぜ」
「そうだな」
笑い声。
「エルフ行ったら、どうなるんだろうな」
「知らん」
「強くなるんじゃね」
「もう強いだろ」
「じゃあ、もっと変になる」
笑い声。
「でも——」
「何?」
「帰ってくるよな?」
「…………そうだな」
沈黙。
「帰ってくる」
「そう信じよう」
ジョッキを掲げる。
「じゃあ——二年後に」
「二年後に」
乾杯の音。
笑い声。
そして——
誰もが、待つことにした。
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【サブログ終了】
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九歳の誕生日を家族と祝った少年は、自分を「人間」として繋ぎ止める場所を確認し、新たな領域へと旅立つ準備を整える。
「帰ってくる」という街の人々の根拠のない確信は、いつしかこの異質な少年を「隣人」として受け入れた証となっていた。
誰もが待つことを選んだ二年間は、少年の瞳に何を映し出すのか。
次回 第5章 第1話 九歳の準備期間
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