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村上岳の記憶

『……うるせぇクソ老害。邪魔なんだよ』



 その言葉が今でも耳の奥にこびりついていて離れない。



 俺には村上岳という日本人男性の記憶がある。



 村上はどうやら38歳まで都内の中小企業で『係長』という名ばかりの役職を背負わされ、毎日をすり減らして働いていたらしい。


 俺と同じ境遇で同情するよ。


 今の俺は『ガク・グレンフォード』だが、『村上岳』としての人格が混ざりつつある。


「ひでぇ、人生だったな」



 ――――俺はあの人生を忘れたことなど一度もなかった。



 ________________________________________



「おい村上、資料まだできてねぇのか?」

「こっちは取引先の対応中でして、あと15分ほどで……」

「“あと15分”じゃねぇだろ! なんで先回りして準備してねぇんだよ! お前のそういうところ、マジで使えねぇよなぁ! はぁマジで使えねぇな!」



 声の主は営業課の課長――丹羽。

 この男は、自分より弱い立場の社員に怒鳴ることでストレスを発散するタイプだった。


 俺が体調不良で会社を休んだ時には衝撃の発言をしていたらしい。


「え? あいつ休みなの? 馬鹿なの? 俺の今日のストレス発散どうすりゃいいの?」


 どうやら俺のことを『便利なストレス処理装置』とでも思っているらしく、執拗に絡んでくる。



「でさぁ、丹羽さんに怒られてんの見たら、こっちもなんかスッキリするよなー」

「ぶっちゃけ、村上がいるから俺ら安全圏って感じするし。村上最高」

「クソ老害って感じだよな。見てるだけでイラつくというか」

「あれが先輩とかありえねーわ。この会社終わりだぜ」

「ていうか、さっさと辞めてくんないかな。席がムダ」

「それだと丹羽さんのストレス発散相手がいなくなるだろーが」



 若手社員たちの嘲笑は日常茶飯事だった。


 それに上司があれだけ怒鳴ってるのに、誰1人として『やりすぎだ』とか『かわいそうだ』と言ってくれるヤツはいない。



 むしろ、課長と一緒に俺を笑い、罵倒する。

 ……そういう職場だった。



「村上さんってさ、昼飯も一人ですよね?」

「なんか無言でカップラーメンすすってんの見て、ゾッとしたわ。弱者男性の末路って感じで無理」

「キモ……ていうかセクハラっぽくない? 目つきとか」

「間違いない。マジで生理的に無理」



 女社員たちからも嫌悪感むき出しだった。

 近づけば一歩引かれ、挨拶しても無視される。


 社内チャットを送っても、無視されるか、冷たい一文で終わらせられる。



 ――――いつからこうなったのか。

 思い返しても、はっきりとはわからない。



 ただ、気づいたときにはすでに『孤立』していた。



 ________________________________________



 ……それでも俺は働き続けた。


 雑務、資料作成、社内調整、会議の手配、報告書の整備――――。

 人がやりたがらない裏方の仕事を誰よりも真面目にこなしていた。


「誰もやらないなら、俺がやるしかないだろ」


 そう自分に言い聞かせて。



 ただ、そんな俺の努力に気づいてくれていた人間も、ほんのわずかにいた。




 ――――世羅だ。




 経理担当であまり目立たない地味な女の子だった。

 眼鏡をかけていて、前髪が目にかかっていて、いわゆる“冴えない”印象を持たれていたが、彼女だけは違った。


「……村上さんがいなければ、わたし今の仕事回せてません」

「ありがとな。誰かがそう言ってくれるだけで、救われるよ」


 そんな会話を交わしたのは月に一度あるかどうかだったけれど。

 あれだけでも、俺は心をつないでいられた。



 ________________________________________



「よし、来月は社員旅行だー!」

「マジっすか!? やったー!」

「行き先は大阪! もちろん移動は飛行機な!」


 社員旅行――――。

 全社員参加必須の『レクリエーション』という名がつく拘束行事。

 控えめに言って拷問だ。


 学生時代からこういった行事は嫌いだった。

 俺は正直行きたくなかった。

 なぜなら、移動中も滞在中も四六時中パワハラと冷笑の対象になることが目に見えていたからだ。


「なぁ村上。お前、飛行機って乗ったことあんの?」

「あるよ。出張で何回か……」

「うわ、マジかよ……なんで“お前”が? なんか不公平じゃね?」

「そ、そんな理不尽な言い方しなくても……」

「座席はどこ? おっさんはトイレ横な」

「トイレ横の席とかねーよ。バーカ」

「爆笑! 飛行機事故とか起きねぇかなぁ」


 バカ笑いする若手たちを無視して、俺は静かに席に座った。


「おっさん。陰キャの横に座ったわ」

「ある意味お似合いじゃね? 3軍と3軍のカップリング的な」


 隣には偶然――――世羅がいた。


「飛行機なんて緊張しますね」

「そんな事故なんてそうそう起こらないさ」

「で、ですよね……」


 世羅は、少しだけ笑った。

 ……俺も、笑っていた気がする。




 ――――そんな矢先だった。




 機体が激しく揺れた。


「な、なんだ!?」

「え、え、ちょ、ま――マジで!?」

「爆発音がしたって!」

「これあれだわ! 絶対、ミサイル攻撃受けたわ!」

「な訳ねぇだろ! 意味わかんねぇよ!」



 悲鳴、怒号、警報音――――。

 どうやら俺たちの乗った飛行機は事故で墜落の危機にあるらしい。



 前の席から丹羽の怒声が聞こえてくる。



「おい! 機長! なにしてんだ!」


 機体が急降下を始め、若手社員たちがパニックを起こす。


「嫌だ! 死にたくない! 死にたくないってばぁああああ!」


 俺は隣で怯えている世羅の手を取った。


「大丈夫だ。落ち着け」

「む、村上さん……! こ、怖いです!」

「大丈夫。落ち着いて呼吸しろ。俺がついてる」


 そう言いながらも、俺の手のひらは汗でびっしょりだった。


 機体の窓の外が――――赤く染まっていた。




 ――――村上岳の記憶はそこで途切れてしまった。

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