愚鈍なクソ婚約者に鉄槌を
その日の夕方――――。
俺たちはレオン・マグリットの屋敷の前にいた。
貴族らしい豪華な屋敷。
俺が前住んでいたボロボロの寮の何百倍もの予算が費やされていそうな外観だ。
「ちょっと待て。ここはマグリット公爵家の邸宅だ。誰だかわからない者を――――」
「騎士団長のアリシアよ。レオン殿に用事があるの。通して」
「ははっ!」
門番に止められるも、アリシアが身分を示すと中に通された。
「いやはや。騎士団長殿! わざわざ婚約を承諾していただくためにお越しいただき……」
レオン・マグリットが現れた。
脂ぎった顔、飾り立てた服。
傲慢そうな笑み。
年齢は……俺よりも上だな。
マグリット公爵自体が御年80を超える長寿とのこと。
とすると三男のレオンが50代か。
こりゃアリシアが嫌がっても仕方がないな。
「お初にお目にかかります。私はガク――――」
レオンは俺を見た瞬間、露骨に顔をしかめた。
「なんだお前? 騎士団長殿とどういう関係だ?」
「ただの付き人です……」
そう答えると一気に俺に興味をなくしたレオンの視線がアリシアに向く。
彼の視線はアリシアの胸部に注がれている。
なるほどここまで露骨だとアリシアが嫌悪感を示しても不思議じゃない。
「ほぉ? そうか。付き人か――――騎士団長殿。お忍びで会いに来たのだな? ということは今夜はうちに泊まっていくのだな?」
(俺のことは無視かよ……)
下心丸出しのレオンに対して無言を貫くアリシア。
いたたまれなくなった俺はさっそく本題に入る。
「レオン・マグリット。お前がアリシアと結んだ婚約契約書、見せてもらえないか?」
「なんだと? お前、何様だ……! 俺は貴族だぞ。少しくらい丁寧な口調で――――」
「お前にそんなことをする筋合いはない――――《徳政令》」
――――俺はスキルを起動した。
瞬間、部屋の空気がピリついた。
魔法陣のような光が天井から降り注ぎ、レオンが保持していた『婚約書』が浮かび上がる。
「な、なんだこれは……⁉」
「……やっぱり無理やりだな。この婚約はアリシアの意思に反して結ばれた。無効とする」
「これは双方の合意がなければ破棄できない契約。王都の司教のスキルによって履行が強制されている絶対的な契約だぞ。お前ごときが無効などとほざく――――」
「――――《徳政令:強制解除》」
びしっ、と音を立てて契約が砕けた。
レオン・マグリットの身体がぐらりと揺れる。
「おのれ、貴様なにをした……ッ!」
「婚姻を破棄した」
「な、なに――――クソっ。どういう仕組みで破棄したんだ――――いや、そういうのはどうでもいい。死ね!」
レオンは怒りに任せて俺に殴りかかってくる。
「マグリット家の愚鈍な息子というのは本当のことらしいわね」
「そういう評判なのか? だったら今の行動も理解できる――――」
レオンが殴りかかるタイミングで俺はスキル《徳政令》を発動。
彼の持つ《身体強化》スキルを剥奪。
パンチはただの素人の突進に成り下がった。
そのまま、俺はカウンターで腹に一撃を入れる。
「ぐふっ!」
「貴族だかなんだか知らねえが、嫌がる女に無理矢理婚約させるようなクズが騎士団長の夫に相応しいとでも思ってるのか?」
レオンは床に転がり、うめいている。
「こ、この俺が……平民のクソおっさんに……ッ!」
「黙れ」
その言葉にレオンは完全に沈黙した。
「もうこれ以上アリシアに付きまとうな」
「ガクさん……」
「もちろん貴族の権力を使って俺やアリシアに危害を加えようものなら、今度はお前を確実に殺す」
「ひ、ひいいいい!」
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屋敷を後にして、夜の街を歩く俺とアリシア。
グレイは俺の背中に抱きついている。
「神さまって、ほんとにいるんだね」
「神さまじゃない。俺は、ただの……おっさんだよ」
「ううん、お兄ちゃんは神さま」
隣ではアリシアがそっと微笑んでいた。
「ありがとう、ガクさん。本当に……ありがとう」
「礼を言われる筋合いはない。俺がやりたくてやっただけだ」
「そういうとこが好きなのよ」
月明かりの中、アリシアが俺の腕に寄り添う。
「ねぇ、ガクさん。……あたし、本気だから」
「……ああ、わかった」
ぎこちなくも、たしかにその言葉を返した。
俺の人生は、たしかに変わり始めている――――。