徳政令は敵のスキルをも破壊する
泥のように眠ったあと、俺は朝日を浴びながら目を覚ました。
身体は軽い。
頭もすっきりしている。
なにより、気分がいい。
なにせ俺はようやくこの世界で“俺だけの武器”を手に入れたのだ。
――――スキル《徳政令》。
その効果はありとあらゆる契約――金銭契約、奴隷契約、命の契約、果ては神や悪魔との契約に至るまで――を強制的に解除するという、いわば“契約破壊スキル”だ。
これがいかに恐ろしい能力か、俺にはわかる。
何故なら前世の会社――ブラック企業ではありとあらゆる理不尽な契約に縛られていたからだ。
「年俸制? みなし残業? はっ、舐めやがって……!」
前世の社畜時代の記憶によれば、俺は『搾取される側』だった。
だが、今の俺は違う。
搾取してくる連中の『契約』そのものを根こそぎ破壊できる。
このチート能力を使えば、どんなヤツでも逆らえなくなるだろう。
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今日も今日とてクソみたいな契約を破棄して回る。
まだまだスキルの扱いは十分ではない。
だからこそ早く慣れるためにも実践を繰り返しているのだ。
「も、もう首が回らないんです! た、助けてください!」
借金漬けで人生に希望を持てない女性からの依頼で金銭契約の破棄を行うことにした。
高利貸しから借りた金。
本来なら死ぬまで返済できる見込みがない契約だった。
だが――――。
「《徳政令》」
俺は右手を前にかざして、そう小さく呟いた。
借用書に書かれた彼女のサインと血印。
その契約が今……音もなく、消える。
《契約破棄完了:金銭貸与契約/貸主:エルゴ高利貸組合》
ポンッ、と耳元で小さく通知音のような何かが響いた。
これはこの世界ではあるあるだ。
なんらかのスキルを使用した時に、使用結果を女神が教えてくれるものだと聞いている。
「あ、ありがとうございます! な、なんとお礼をすればいいのやら」
「お礼はいいよ。それよりも借金の返済に使うはずだったお金でなにか好きなものでも買ったらいい」
これがスキル《徳政令》の力だ。
とんでもない。とんでもなさすぎる。
女神さまには感謝だな。
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昼下がりの市場。
野菜や果物、干し肉の香りが混ざり合うにぎやかな通りで喧騒に混じる1つの叫びが耳に飛び込んできた。
「やめてくれ! 金は払う、払うから!」
人だかりの先で男が二人組の大男に囲まれていた。
「なに言ってやがる、利子が膨らんで三十万リルだぞ?」
また借金で苦しんでいる人かな?
「テメェの農地も馬車ももう担保に入ってる。あとは娘を売ってもらうしかねぇよなぁ?」
……出たな。絵に描いたようなクズども。
しかも、よく見ると、女の子が男の背中に隠れて震えていた。
金で返せなければ、代わりに娘を連れていくという話らしい。
「その娘、いくつだ?」
「10だ。まだスキルは発現してないが、品としては悪くないぜ」
――――ふざけやがって。
俺はすっと割って入った。
「その契約、破棄させてもらう」
「はぁ? テメェ誰だよ?」
「ただのおっさんだよ。……《徳政令》!」
右手を掲げて発動すると、瞬間的に光が走った。
男が握っていた契約書が燃え上がるように霧散し、周囲に驚愕の声が広がる。
《契約破棄完了:金銭貸与契約/奴隷担保契約/労働義務契約》
「な、なんだ今の光は!?」
「う、嘘だろ!? 契約書が、ねぇ……」
債権者たちが顔面蒼白になる中、娘が俺の腕にしがみついて泣き出した。
「ありがとう、おじさん……ありがとう……!」
「ありがとうございます! お、お礼は――――」
「礼はいい。これが俺の仕事だからな」
その言葉が聞こえたのか、周囲の人々がざわざわと騒ぎ始める。
「あの男、聞いたことがあるぞ。借金を帳消しにしたって噂の……!」
「奴隷契約を破棄できるスキルを持つ『契約破りの救世主』!」
「噂は本当だったのか……!」
――――よし。
俺の名前が少しずつ街に広まりつつある。
これはただのヒーローごっこじゃない。
俺のスキルにはこの世界の支配構造をぶっ壊す『力』がある。
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一方そのころ。
アグノス商人ギルド本部。
追放されたガクの影響でギルドの経済活動は深刻な損害を受け始めていた。
「なんでだ! なぜこうも投資が失敗する!?」
机を叩いて怒鳴るのはギルド幹部バロック・ハンベルグ。
彼は前世でもガクの手柄を横取りし、今世でもガクを追放に追い込んだ張本人だ。
「おい、株式の運用状況はどうなってる!」
「……全滅です。ガクさんがいなくなってから、誰も管理ができなくて……」
「クソがァァァァ!」
そう。ガクのように前世の“経済知識”を持ち、株式運用を理解していた人間は希少だった。
それを理解できずにガクを追放したツケをヤツらは今まさに払わされている。
しかも、市民たちが次々に契約を破棄しているという情報がバロックの元にも届きつつあった。
「ふざけやがって……あのオッサン、どんなスキルを手に入れたんだ……?」
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――――そして、その夜。
俺は宿に戻る途中、何者かに背後から声をかけられた。
「ガク・グレンフォードさんですね」
振り返ればフードを被った男が3人。
どう見ても、普通の市民じゃない。
「誰だよ、お前ら」
「……お前のせいで、我々の契約が破棄された。許すわけにはいかない」
――――暗殺者か。
いつかは来るだろうと思っていた。
俺のやっていることは金を持っているヤツとか権力者にとっては害悪でしかないからな。
1人がナイフを抜いた。
もう1人は火球系のスキルを詠唱している。
「なら、試してみな。スキルが本当に使えるかどうか」
俺はニヤリと笑って、指を鳴らした。
「《徳政令》」
その瞬間、3人の手からスキルの気配が消えた。
俺は薄々勘づいていた。
このスキルは他人のスキルに干渉できるのだということに。
スキルというのは女神との契約によって発現するものだ。
なので契約を無効にすることのできる俺のスキルは他人のスキルに対しても影響を及ぼすことができるということなのだ。
「う、うそだろ!? 詠唱が切れた!?」
「ナイフの強化スキルが……消えただと!?」
スキルが使えなければ、ただの雑魚だ。
俺は一気に詰め寄って、1人の腹に拳を叩き込む。
「――――ぐ、ぐえっ!」
残り2人もグレイの蹴りと俺の連携で簡単に戦闘不能にした。
案外グレイって動けるんだね。
「お兄ちゃん、つよーい!」
後日、この3人は騎士団によって引き渡され法により処分されたらしい。
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翌日、俺は高台から街を眺めながら、ひとつの確信を胸に抱いていた。
――――このスキルはあまりにも強すぎる。
契約社会という『常識』に依存するこの世界ではもはやチートを超えて『神の力』だ。
――――だが、それでも俺は使う。
前世で虐げられ、今世で追放された俺が唯一手にした逆転の切り札。
これで俺は『俺自身の人生』を取り戻す。
「この世界の契約地獄をこの俺が終わらせてやる――――そしてヤツらに報いてやる」
俺はグレイと並んで歩き出す。
そして、次なる舞台へと足を踏み入れるのだった。