おっさん、新天地に行きたい
夜になっても、その騒ぎは収まらなかった。
『ガクさまと話せたら幸せになれるらしい』などという噂が広まり、宿の周辺には女性たちの行列ができるほど。
「なんなんだよこの事態……」
玄関で対応していた女将も笑っていた。
「ガクさま、あたしゃあこんな光景、初めて見ましたよ。あんた、なにかの“神様”みたいじゃないですかい!」
――――神様。
そう呼ばれても、もはや否定できないほどの事態になっていた。
夜の静けさがようやく訪れたのは日付が変わる少し前だった。
宿の周囲に集まっていた女性たちも、ようやく帰っていき、宿にはいつもの静寂が戻る。
「ふう……今日は疲れた……」
ベッドの上に倒れ込む俺。
だが、安息の時間は束の間だった。
「お兄ちゃん。今日こそお風呂一緒に入ろ?」
「いつも言っているがさすがにそれは1人で入ってくれ」
扉の向こうから聞こえたのはグレイの無防備すぎる声だった。
「ちょっと待て! お前、なにをやって……!」
「ほらほら。脱いで脱いで!」
「ちょっと待て――――あ……」
グレイに無理やり脱がされそうになった俺はバランスを崩して湯船に顔から突っ込んでしまう。
もう……無理。
おっさんにそんな体力残ってないぞ。
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翌朝――――。
俺の部屋にやってきたアリシアとグレイが鉢合わせた。
「アリシアお姉ちゃん。朝早いね!」
「グレイこそ、こんな時間に。元気でいいわね……まさか、一晩ここにいたとかじゃないわよね?」
「ん? 一緒に住んでいるんだからいるにきまってるじゃん?」
「そ、そうよねー」
険悪な空気が一瞬にして漂う。
「アリシア。いつも言っていることだが、小さな女の子に変なヤキモチを焼くな。別にライバルになんかならないだろ」
俺のフォローをよそにアリシアとグレイの睨み合いは加速していった。
「あたしは幼いころからガクさんと一緒に過ごしてきたのよ。誰よりも彼のことを知ってる」
「そうなんだ! 仲良しなんだね」
「そうよ――――だからあんまり変なことしちゃダメよ。間違っても求婚とかしちゃダメだからね。妻という席はすでに先約があるのよ」
「せ、先約……よくわかんないけどわかった!」
なんというかこの2人はいつもこんな感じだ。
アリシアはグレイのことを年下の女の子として見ていないせいか、同世代の女子と話すノリで会話をしている。そのせいでグレイがついてこれていないようだ。
「アリシア。グレイはお前の妹みたいなもんなんだからもっとこう手心を加えてというか……な? わかるだろ?」
「そうね。ちょっと大人げなかったわ。熱くなってしまってごめんなさい」
「うんいいよ!」
これが俺たち3人の日常であった。
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その後、街で買い物をしていたら、見知らぬ女の子に声をかけられた。
「ガクさま……っ! 握手してください! サインでもいいです!」
「え、ちょ……?」
「わたし、ずっとファンだったんです! いつも困ってる人を助けてくれて……! しかもイケオジ!」
「イケオ……?」
もはや事態は俺の理解を超えていた。
どこをどう間違ったら、『スキル無しでキモい』と罵られていた俺がこんなにちやほやされる存在になったんだ?
「なぁグレイ。お前、これ、どう思う?」
「神さまだよ、お兄ちゃんは!」
「お、おう……」
一ミリも答えになっていない……。
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その夜、宿の食堂で俺、アリシア、グレイの3人と食卓を囲む。
……ちょっと前までは1人悲しくベンチで弁当を食べていた俺だが、今はこうして毎食誰かと食事を共にしている。
騎士団の仕事が忙しいときはアリシアがいないこともあるが、グレイがいつもいてくれるので騒がしくていい感じだ。
「アグノスもいいけどな……ちょっと騒がしいから別の街に行きたい。例えばだがチュラスとか。ほら市場が有名な街だ」
商人ギルドとの縁も切れたわけだし、別の街に行くのもありだと思っていたんだ。
話を切り出すと2人が一斉に俺を見た。
「市場に行きたいわね」
「お前……市場好きだよな」
「べ、別にあたしが好きとかじゃなくて……ガクさんに喜んでもらいたくて」
騎士団長とかいうたいそうな肩書を持っているが、市場でショッピングをしているときのアリシアは年相応の女の子だ。
「嘘だー。お姉ちゃん、キラキラしたものがほしくて言ってるだけでしょ!」
「コ、コラ。グレイ! もう……あんたったら」
その後、1時間かけて食事と雑談を楽しんだ俺たち。
多くの困難を乗り越えた先に手に入れたご褒美と考えるなら、素直に受け取ってもいいのだろうか。
いや、いいはずだ。
俺はそうちょっとだけ鼻の下を伸ばして、満更でもない笑みを浮かべるのだった。