グレイとのデート 前編
「ねえねえ、お兄ちゃん! これ見て!」
朝の宿で朝食を済ませた直後、グレイが勢いよくなにかの紙切れを差し出してきた。
銀色の髪が跳ね、ぱっと明るい紫の瞳がキラキラと輝いている。
今日もこのお嬢さんはかわいい。
「ん? ……これは?」
「『アグノス甘味フェスティバル』! 今日から始まるんだって!」
チラシには『老舗から新店まで20店舗以上が集結!』。『1日限りのスイーツ食べ歩き』といった、いかにも甘党にはたまらないキャッチコピーが並んでいる。
「甘味フェスティバル、ねえ……」
異世界だから甘味はそんなにないと思われがちだが意外とあるんだよな、と村上岳の記憶に意味もなく語り掛けてみたりする。
最近はガク・グレンフォードの記憶と村上岳の記憶がごちゃ混ぜになっているので、たまには別人格として話しかけてみるのも悪くないとは思っている。
(いつかは完全に1つになるだろうな……)
「甘いもんか……」
年を取ると甘いスイーツがきついんだよな。
なんていうか胃もたれじゃないけど……。
「お兄ちゃん、いこ? いこいこいこいこ!」
ぐいぐいと袖を引っ張られる。
元奴隷だったグレイにとってこうした平和なイベントに参加できること自体が初体験だ。なによりこんなにも目を輝かせて楽しみにしている姿を見ると、断れるはずもない。
ええい!
大事な娘のためにお父さん頑張っちゃうぞ!
未だに娘なのか妹なのかポジションがよくわからないが、グレイが大切な存在であることには変わりない。この子のためにも一肌脱ぐか。
「……わかった。じゃあ、今日は2人でスイーツ巡りだ」
「やったああああああああ!!」
グレイが飛び跳ねながら、俺の腰に思いきり抱きついてくる。
「お兄ちゃん、大好き!!」
そう叫びながら、はにかんだ笑顔を見せる。
俺は少しばかり照れながら、彼女の頭をそっと撫でた。
「ほら、行くぞ。最初の店、並ぶらしいからな」
「うんっ!」
まるで親子のような――いや、兄妹でもいいのか――姿で俺たちはアグノスの街へと繰り出した。
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フェスティバルの会場はアグノス旧市街の中央通り。
通常は市場として賑わっているが、今日は甘味一色だ。
街の広場から通り全体にかけて、色とりどりの屋台や露店が立ち並んでいる。
「お兄ちゃん! あっちに蜜リンゴ屋さんがあるよ!」
「おい、走るなって……!」
グレイは10歳らしい小柄な身体で、屋台の匂いにつられてぴょんぴょんと跳ねながら駆けていく。俺はその後ろ姿を追いながら、ほんの少し息をついた。
「10歳児、元気だよな~」
屋台の前には丸々としたリンゴを串に刺して焼き、上から琥珀色の蜜をたっぷりとかけたものが並んでいた。
表面はつやつやと光り、鼻を近づければ甘く香ばしい香りがする。
「1つください!」
グレイはすでに注文していて、屋台のおじさんがにこやかに串を手渡した。
「へへ、ありがと!」
「お兄ちゃんのぶんもあるよ~。はいっ」
俺の手にもあたたかい蜜リンゴの串が渡される。
「……じゃあ、いただくか」
「うん!」
かぶり、と一口かじると、蜜の甘さが口いっぱいに広がった。
リンゴの酸味と焦げ目の香ばしさが絶妙で、思わず目を細める。
「……うまいな、これ」
「でしょー!? こういうの初めて食べた!」
グレイは頬をパンパンに膨らませながら、ニコニコと笑っている。
その笑顔はこの世界で――――いや、前世の記憶を合わせても、特に無邪気で心を温かくさせるものだった。
「昔はこんなの絶対食べられなかったな……」
グレイがぽつりと呟いた。
「……お兄ちゃんと一緒じゃなかったら、こんな場所にも来れなかった。ありがとう、お兄ちゃん」
「……礼を言われるようなことじゃない。俺はただお前を見てられなかっただけだ」
そう答えながら、俺はもう一口、蜜リンゴにかじりついた。
「でもね、でもね。こうやって一緒に食べて、一緒に歩けることが……すっごく幸せなんだよ」
その言葉に、思わず胸が熱くなる。
こいつは、ほんの少し前まで『奴隷』として商品同然に扱われていた。
それでも、こうして笑っている。
――――それだけで、救った意味があったように思えた。
「次はあっちのチョコレートの屋台に行くよー!」
「お、おい待てって!」
俺はグレイのはしゃぐ背中を追って、また通りを駆け出した。