最低の人間③
大田区には四千もの工場がある。
「ものづくりの町」として知られている。金属加工を生業としている工場が多く、そんな町工場のひとつ「優成機械工業株式会社」に仲崎勇次は勤務していた。
「お話をお伺いしたい」と声をかけると、勇次は「社長、ちょっとタバコ吸って来ます」と工場の奥に怒鳴ってから、無言で工場の外へ出た。
仲崎勇次は三十代。光輝の兄だが、似ていない。体格が良く、細い目に長い顔で、モアイ像を思わせる。
工場の外には長椅子と灰皿が置いてあり、休憩所兼喫煙スペースになっていた。
勇次は作業着のポケットから煙草を取り出すと、ライターで火を点けて長椅子に腰を降ろした。高島に小笠原、それに佐伯の三人は立ったままで、勇次に質問を始めた。
高島が尋ねる。「仲崎さん、お父さんが行方不明になっているのをご存じですか?」
「ああ、そうかい。それで?」感心がなさそうだ。
「最近、何時、お父さんと会いましたか?」
「さあ? 一週間くらい前かな」
「何故、お父さんを訪ねて行ったのですか?」
「子供が親を尋ねるのに、いちいち理由なんか要るのか?」
「お父さん、大金をお持ちだったとか? 金を借りに行ったと聞きましたが」
「ふん、光輝のやつだな」と勇次が言う。鋭い。「ああ、確かに親父が大金を持っていると聞いて、金を借りに行ったよ。でなきゃあ、あんなクソ親父、誰が会いに行くものか!」
「お父さんがお金を持っていると誰から聞いたのですか?」
「黒田さんだよ」と勇次が答えた。
黒田昭正は勇次が勤める優成機械工業の同僚だ。勇次の父、幸太郎とは長い付き合いだと言う。
「で、お金を借りることはできましたか?」
「いいや。金は無いと追い返された。『金を持っていたとしても、お前になんぞ、貸してやらん。どうしても欲しければ俺が死ぬのを待て』と言われたよ」
勇次は忌々しげに吸いかけの煙草を灰皿に押し付けた。
「その話を誰かにしましたか?」
「ああ、したよ。丁度、光輝のやつから電話があったんで、親父の金の話をした。あいつ、『よし、親父が金を持っているかどうか、俺が確認して来てやる!』と言っていた」
「今朝ほど、光輝さんがお父さんを尋ねたところ、留守でした。部屋の中に争った形跡があり、お父さんを探しています。何処にいるのかご存じありませんか?」
「はは。じゃあ、光輝のやつ、親父を殺して金を奪ったんだ。きっとそうだ」
兄弟で相手が父親を殺したと主張している。歪んだ家族だ。
「いえ、弟さんは、あなたがお父さんを殺害して金を奪ったんじゃないかと言っています」
「光輝の野郎・・・ふん。知らねえよ。俺は」
「お父さんはどうやってお金を手に入れたのですか?」
「さあね。うちにあったお宝を売って金に換えたって、黒田さんは親父から聞いたらしい。けど、うちにお宝があったとは思えない。あれば、とっとと売っていたはずだ。あの親父のことだ。人を騙して手に入れた金に違いないな。でなきゃあ・・・」勇次は下から高島を見上げて、にやりと笑った。「人でも殺して手に入れた金だろうな。何せ、あいつは、お袋を殺して金を手に入れた最低の人間だからな」
「お母さんを殺した?」
刑事を相手に人殺しの話とは聞き捨てならない。
「ああ、そうだよ。親父はお袋に保険をかけて、車に突き飛ばしやがった。今のあのマンションは、その時の保険金で買ったものだ。光輝はまだ小学生だったんで、よく覚えていないだろうけど、俺は当時、高校生だったからな。親父がお袋を突き飛ばすのを、はっきりとこの目で見た」
勇次が高校に上がったばかりの頃だと言うので、もう二十数年前の話になる。
金に困った幸太郎は妻、真理に生命保険をかけた。そして、一家で食事をした帰り道、真理を車道に突き飛ばし、事故に見せかけて殺害したと言うのだ。
勇次の話によると、幸太郎が真理を殺害した経緯はこうである。
長い陽が落ちかけた夏の日の黄昏時だった。突然、幸太郎が「皆で食事に行こう」と言い出した。仲崎家は幸太郎の放蕩のお陰で常に金がなく、一家で食事に出ることなど皆無だった。喜んだ真理は幸太郎の気が変わらない内にと、勇次と光輝を急き立てて食事に出かけた。
外食と言っても、金がないので近所の大衆食堂に行った。それでも真理や勇次、光輝は久々の外食に大はしゃぎしながら、一家団欒を楽しんだ。
日が沈んで行く歩道を一家四人で歩いて家に戻った。人通りは少なかったが、交通量の多い道路だった。黄昏時で視界の悪い時刻だった。勇次、光輝の兄弟が前を歩き、後ろから幸太郎夫婦が後から付いて歩いていた。
突然、勇次の傍らを通り過ぎた車が急ブレーキを踏んだ。
急ブレーキの音に、勇次が後ろを振り返ると、車に撥ねられた真理が宙を舞う姿が目に飛び込んで来た。まるでストップ・モーションのようだった。そして勇次の目には、真理を突き飛ばした幸太郎の伸びた手が見えた。
「親父がお袋を突き飛ばした姿が頭の中に焼き付いている」語気は荒かったが、勇次の表情は苦悩に満ちていた。
まるで悪夢だ。母親を路上へと突き飛ばした父親の姿が、頭を離れないのだ。
真理の死後、保険金と賠償金を手にした幸太郎はマンションを買い、生活が派手になった。真理の死を嘆き悲しんでいるようには見えなかった。
「あんな親父の傍に居たくなかった」
勇次は、高校を卒業すると家を出た。高校時代の勇次は手の付けられない不良で、地元の暴走族に属していた。それでも勇次には早く家を出て独立したいという目標があったので、高校だけは卒業しておいた。そして暴走族から足を洗った先輩の伝手で、今の優成機械工業に就職した。
「俺の親父は、あんなクソ野郎なんかじゃなくて、社長さんだよ」
勇次は工場を振り返りながら言った。
優成機械工業を経営する社長の秋元優成は、無口で岩のような顔をした男だが、面倒見の良い人物で、「身寄りはいない」と言う勇次を黙って雇い入れた。
勇次を前に、「俺は不良少年の更生に興味はない。お前が本気で金属加工を勉強したいのなら、俺も本気で教えてやる」と秋元は言った。
「手に職さえつけていれば、何があっても食っていける」が秋元の口癖だそうで、勇次に対して、惜しみなく自らの加工技術を伝授してくれた。教えは厳しかったが、秋元の愛情を感じることができた。父親譲りのギャンブル癖は抜けないが、勇次は工場でも指折りの加工職人となっているようだった。