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プロローグ

 それは嫌にじっとりとした梅雨の日の事だった。


「……豚野郎が、飛んだ」


 俺は格安アパートのきったねぇ畳の上で胡坐を掻きながら、スマートフォンを片手にそう呟いた。


 空中浮遊の話ではない。


 丁度、今日で35歳を迎えるという、そんな節目の日に、俺の働いていた会社が倒産したのだ。社長の自己破産だったらしい。


 音信不通の豚を訝しんだ専務が帳簿を覗いたところ、3日前に会社の金が全て引き出されていたという。どうやら計画的な倒産だった様だ。


 思えばこの13年間は色々な事があった。休日出勤にサービス残業。ブラック企業特有の役満デスマーチに耐えながら、家ではカップラーメンを啜る日々。


 最高連続勤務の記録は、途中で数えるのをやめた。


 そういえば社会人三年目には世界中にダンジョンも現れていたな。

 ある日突然自分の生活がファンタジーに溢れると思っていたけれど、そんな事はなかった。現実は常に現実としてそこにあり、俺の前に積み上げられた書類の山が魔法でどうにかなる事はなかった。


 しかし会社が無くなっても社員達にはまだ後処理の仕事が残されている。関係者各位への土下座、事業撤退の手続き、PCデータの削除。

 退職後は失業手当の申請に家族への説明。そしてその後は……その後は?


 おじさんを入社させたい企業を探す地獄の就活マラソンに、就職してからは年下の上司に見下されながら新しい仕事を覚え、休日出勤とサービス残業に耐えながら、家でカップラーメンを啜るのか?


 俺は現実逃避がてら、何とはなしに現在の豚がどう過ごしているかを想像してみた。

 空港で止められず順調に海外へ出荷されたなら、きっと今頃は海辺で醜く太った体を焼いているだろう。ビーチパラソルの畔でブルーハワイを飲みながら、ブロンドの美女にヤシの葉を扇いで貰っているのだろう。


 真面目な人間が損をするとは、正にこの事だ。


「無理、絶対に無理」


 そう吐き捨ててから数分後、俺は部屋の真ん中に置かれた椅子の上に立っていた。目の前には萎びたロープが垂れ下がっていて、それは天井の梁に繋がっている。


「ははは、大きいネクタイだ。スーツでも着たら良かったかもしれないな」


 湿った笑い声も乾かぬうちに、俺は椅子から飛び降りた。


 かつてない程の衝撃が脳を揺らし、脊髄の関節が悲鳴を上げる。

 ロープは喉ぼとけに食い込み、首の血管を締め上げていた。

 行き場を無くした血液が頭部に溜まり、沸騰した様にグツグツと煮え滾っている。

 対照的に体が冷たくなって、末端は凍り付いたかの如く動かなくなって来た。

 

 脳みそが爆発でもしそうな勢いで暴れ狂うと同時に、人生の最後を悟る。


 しかし、次の瞬間。俺は地面に尻もちをついていた。


 間髪入れずに脳天へ折れた梁が落ちて来る。


「……コントかよ」


 咽て堰込みながら、俺は涙ながらに枯れた声で笑った。

 手元を見れば、ロープは真っ二つに千切れている。萎びていたのが悪かったのか、それとも体が頑丈だったのか。今となっては、もう分からない。


 だが無性に、田舎の母に会いたくなった。

 会って、謝って、叱られて……


 思えばネクタイを首に巻くという行為で、俺は自らを家畜化していたのだ。

 笑いも出ぬ程の皮肉だが、ならば、その枷を断ち切った今。


 俺は尚も社会の奴隷であり続けるのだろうか?


 宿舎は燃え、目の前の扉は解放された。

 それでも俺は、自分の可能性から目を背け続け、囚われた家畜であり続けるのだろうか?

 そうある事を望むのだろうか?


 気が付けば、俺は大家の怒鳴り声を背に受けながらアパートを飛び出していた。


 向かうは大手ギルド。

 

 いつか憧れた最も自由な職業。剣と魔法の世界に住む、冒険者となる為に。


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