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気の毒な男  作者: Zu2
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第一章 馬鹿僧

 私は、この四月に念願の異動を果たし、今までとは全く異なる部署に勤務することとなった。ようやく異動したというのに私が冴えない顔をしているのは、本当に経験のない仕事内容にかなり戸惑っているだけではなく、さらに追い討ちをかけるがごとく、頭のおかしな連中が仕事をぶん投げてくるからだ。どうしたものか?ずっとこの言葉ばかりが頭の中をよぎっている。そもそもどうしたものか、と自問自答したところで、何も答えなど出やしない。わかってはいるものの、何故かずっとこの言葉がつい口に出てしまい、ただでさえ老けた印象をあたえがちな額のシワが、より一層深く刻まれてしまっている。本当にどうしたものか?

 正直今までだって、かなり他人から無理難題を押し付けられて苦労してきた。まあ、そうは言いながらも、何故か最後には上手くこなしてきた。それが今回ばかりは、『仕事を押し付けられる』というよりは、『責任のみを押し付けられている』という感じで、内容が分かっていない私には全く歯が立たない、といった感じなのだ。

 隣の席の若造は、まるで自分はちゃんと苦労してきましたよとでも言いたげな誇らしげでかつ無愛想な(つら)で『一年前は自分もあなたと同じ状況でしたが、一人で全部調べてこなしていましたよ』的な物言いをして、あらかじめ決められてしまっている曰く『私の担当』とやらの書類を、ハンカチ落としのごとく、私が席を外しているときに馬鹿みたいに置いていく。席に戻り、しばらくこれは何の書類なのか判別するために私が確認をしていると、ようやく『ああそれはこの担当の書類ですよ』と、クソくだらない事務担当表とやらを指差しながら言うのみで、結局そもそもその担当って具体的に何をどうするの?という部分には一切触れようとしない。『去年の書類見てやってみて下さい』などと言うがそもそも書類の保管場所すら全く分からない。他の部署であれば、共通起案システムの検索で、紙媒体がなくとも、何とか概要がつかめそうなものだが、ここはこの庁内システムとは切り離された課内のみの独自のオフコンで処理しているものだから、はっきり言って分かりようがない。何言ってんだこの小僧、そう思いながらも、変にヘソを曲げて仕事をいざ聞こうにも教えてもらえないでは、自分としても困るので、かなり我慢を重ねながら頭を下げて過ごしている毎日である。しかもこの小僧、早番のくせに一向に早く出勤してきたことがない。私より早く来たのは一回くらいはあるかと思い出してみるが、本当に一回もない。私は遅番と言われながらも、一応はこの課では経験が一番浅い下っ端だという認識のもと、四月からずっと誰よりも早く出勤を続けている。それが私が自分自身にずっと課してきたルールである。ぎりぎりで出勤しておいて、挙げ句の果てに私が朝一番からずっとこの書類をどう処理するのか、と頭を悩ませながら格闘している脇で、平気でうちわなんぞ扇いでいやがる。俺が入社した当初の二十歳の頃でこんな態度の馬鹿がいたら、当時の四十代、五十代のオヤジが切れまくっていたはずだ。年上に対する敬意というものを、全くと言っていいほど感じない。バカか小僧。しかもこの小僧、実は三十歳らしい。信じられない。最初の歓送迎会で『自分は結構いい加減なんで間違ってる書類とかあると思うんで指摘して下さい』なぞとほざいていたが、いざ指摘したら、『じゃあイイっすよ、俺がやりますから』などと逆切れし始めた。謙虚をかましておきながらこれである。最初は、私が作成もしていない私作成の起案書が机上に置かれていて驚いた。何だこれは?恐る恐る内容を確認していると、『ああそれ、作っときましたから』と、さも当たり前のように言い放った。自分で作成したのだから自分の名前で書類を回せば良いだけのことであるが、何かあっても明らかに責任を私に押し付けるためだけにこうしたとしか思えない。そして、一応怒らないように自分でも驚くほどの我慢をしながら自我を保ちつつ、書類の内容以前に、いくらこの課の仕事の勝手を知らない私でも、流石にそのやり方は違うだろと思う部分を丁寧に、『勝手に私の名前で書類を作成して勝ち誇っているクソガキ』に向かって指摘を始めてみた。

 「最初に文書番号をどうしているか確認したよね?これって特殊なルールでもあるか、例えば事務内容を分類して種類ごとで区別する番号付番するとかあるのか尋ねたけど、課内の通し番号の付番で良いって言ってたよね?でもこれ番号勝手に三百も飛ばしているよ。」

 先程の逆切れは、私のこの台詞に対する反応であった。そもそも他人の名前で勝手に起案書類作成するなんてのは、今まで相当な色んな馬鹿を見てきたが、少なくとも私は初めての経験であった。添付資料をあらかじめ作成しておいたんで、っていうならもちろん「ありがとう」って感じであるが、これはない。あり得ない。

 『朝もいつも早番ぎりぎり、あるいは遅刻しているとも言えるが誰一人指摘されることもない調子ぶっこいたこのクソガキ』は、おまけに無愛想で声もボソボソ小さくて聴き取れやしない。イライラが募る一方だ。

 何だか思い出すだけでかなり疲れてしまった。

 早く電話取り次げよ、馬鹿が。

 小声で話してるんじゃねえよ、気持ち悪い。

 驚いたことに、このクソガキ、結婚にあこがれている、というらしい。こんな馬鹿と結婚しようとする馬鹿な女はいねえよと思うが、それ以前にこのクソガキは本当に病気かと思われる発言を繰り返して恐ろしい。

 「ねえ、彼に良い人紹介してやってよ。付き合ってる人いないんだってさ。」

 なぜよりによって私に馬鹿僧の話を振ってくるのか?知るかそんなもん。しかも続けて言う馬鹿僧の台詞は、まさに驚きの連続である。

 「付き合うってどうすればいいのか、わからないんですよ。学生の時は自分が何もしなくても付き合えたことあるんですけど、今は『いいなあ、この人』って思ってもどうすればいいかわからず、結局そのままなんです。」

 「自律神経失調症かな。交感神経と副交感神経がきちんと切り替わらないんです。ストレスでそうなることがあるんです。ストレスを自分でどう発散させていいかわからないんです。」

 本当に馬鹿だと思った。他人にストレスを与えている張本人が、こんなにも無自覚なのだ。本当の本当に、心の奥底から、『早く死んでくれ』そう思わずにはいられなかった。殺人を行った人間に対して、心神喪失状態で責任能力があったかどうかが焦点です、などと報道されることがあるが、そういう事件を聞くたびに『責任あるに決まってるだろ。無罪になったり、刑が軽くなること自体がありえない』と思うが、まさにこいつの台詞を聞かされた瞬間は、凶悪殺人犯を目の当たりにしたような戦慄を覚えずにいられなかった。

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