97 夜会は中止?
「…お姉様…」
「レティシア…?」
室内へ入ろうとしたサオリが、テーブルとソファーの隙間の床に投げ出された長い足を発見して、ピタリと歩みを止める。
「………大公?」
「…えっと…」
(…殿下は、おっぱいパニック中です…)
「どうやら…見てはいけないものを見てしまったようね」
「え?…お、お姉様…?」
サオリは、そっと後退りをして静かに部屋の扉を閉めて消えてしまった。
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「お怪我がなくて、幸いでした」
「とんだ醜態を晒した…本当にすまない」
レティシアのふっくらとして弾力ある柔らかい胸の感触に気付いた時、これ以上触れてはならないとアシュリーの身体が直感的に反応した。
床に転がって冷静さを取り戻せば、恥ずかしさと後悔で起き上がれなくなる。
しかし、しきりに怪我を心配するレティシアの呼び掛けを無視できず、現在は並んでソファーに座っていた。
「私は女性の扱いを習ってはいても、実践経験がほぼない。恋人同士の話を見聞きしただけで知ったつもりになって…この一ヶ月、私と触れ合う君にはかなり負担を掛けていたのだろうな」
「女性との触れ合いが経験不足なのは…そうならざるを得ない理由があったからで、殿下が悪いわけではないでしょう?私が嫌がることはなさいませんし、エスコートも完璧です」
「私は一時の感情に流されて、その…決して故意ではなかったが…君の胸に自分の身体を無理やり押し付けた。…つまり、足りないのは経験だけではない。未熟な私をどうか許して欲しい」
「…殿下のお気持ちはよく分かりました。確かに、正しい紳士の行いとは言えないですよね。…謝罪を受け入れます」
「…申し訳なかった…」
項垂れるアシュリーは、まるで…悪さをした後に反省しながら飼い主の帰りを待つ大型犬のよう。レティシアは怒る気になれない。
「そういえば、今朝は…クオン様が私の胸に顔を埋めて、抱きついて?寝ていました」
「な…何っ?!…まさか、聖女宮で一緒に寝たのか」
同様の状態で目覚めた経験のあるアシュリーは、その光景がはっきりと目に浮かぶ。
「いいえ、夜中にこっそり忍び込んで来られたようです。私は人化したクオン様を見るのが初めてで、驚いてつい大声を上げてしまって…大騒ぎに」
「得体の知れない男が胸に顔を埋めていれば、叫んで当然だ」
「殿下ったら…クオン様はお子様なので許されますよね?」
「…ぅん…まぁ…」
クオンは母親であるサオリも認める“おっぱい星人”。アシュリーの読みでは間違いなく確信犯だが、そうとも言えず言葉を濁した。
「すぐにクオン様だと気付きましたけれど、お姉様に見つかって大目玉を食らってしまったんです。サハラ様に瓜二つの可愛らしいクオン様が涙目で、ちょっと可哀想でした。それで、私のエスコートをする話もなしに…」
「…なるほど…」
そういうことかと…アシュリーは小さく肯く。
エスコートといっても、クオンの場合はレティシアと手を繋いで入場するだけの簡単なもの。レティシアが次世代の神獣クオンとも親しいという事実を、周りにしっかり印象付けるのが目的だ。
アシュリーにレティシアのエスコート役が回ってきた理由は、サオリが禁止したレティシアとの“添い寝”をクオンが強行したためだった。
「クオン様はまだ幼いので、女性の胸に母のぬくもりを感じたりもするでしょう。でも、世の中には…元・婚約者みたいな人間も大勢いる」
「…………」
「私は、殿下のお人柄を心から信頼しています」
「ありがとう。…しかし、私も男だ。異性への関心は人並みに持っている。今日のレティシアは特に女性的な魅力に溢れていて…困ってしまうな」
「…殿下…」
「大丈夫、おかしなことはしないよ」
今まで、女性を避け続けて来たアシュリーは、どうなっても構わないと思える程の“触れたい欲”を持った覚えが一度もない。
レティシアに出会うまでは。
愛情と欲望の狭間で大きく揺らぐ自分の気持ちが切なくて、きっとこれも恋心なのだと…諦めたように吐息を漏らす。
「君には嫌われたくない…私は、レティシアが好きなんだ」
(……えっ?)
二度目の告白と同時に肩の力がスーッと抜けたアシュリーは、強張っていた表情が崩れた。
無言のまま微動だにしないレティシアの長い髪を愛おしそうに撫でると、物憂げな甘い声で囁き始める。
「レティシア、本当は着飾った君を他の者たちに披露したくない。私だってドレス姿は初めて見たのに…」
(……はい?)
「しかも、こんなに大胆なドレスを着て…駄目だよ、このまま部屋へ閉じ込めてしまいたい」
(……へっ?)
熱を帯びた蜂蜜色のとろける眼差しと、独占欲強めな言葉の数々に…レティシアは自分の頬が紅潮して、心臓が再び激しく騒ぎ出すのを感じていた。
(…ど…どうしよう…殿下が変だわ…)
期間限定の間柄と分かっているのに、急に告白したりするだろうか?もしかして、転倒のショックで、どこか頭のネジが緩んでしまったのかもしれない。…いっそ、そうであって欲しい。
「殿下、さっき頭を打ちませんでしたか?」
「打ってない」
「具合が悪いところは?」
「悪くない。…いや、悪い…恋煩いだ。胸が締めつけられる」
(……何て?)
「兄上たちがレティシアを見つめているだけで、嫌で堪らなかった。君を取られやしないかと怖くて苦しかった」
「…取られるって…そんな…」
「誰にも渡さない」
アシュリーは、レティシアの熟れた林檎のように真っ赤になった頬を両手で優しく包み込む。
(イヤーーーーーッ!!)
目を逸らせないくらい間近にアシュリーの顔。
完全にキャパオーバーに陥ったレティシアは、目がチカチカして身体が小刻みに震え………気を失った。
「……感謝祭をやめて、結婚式にしようかしら?」
扉の外で室内の様子を窺っていたサオリが、真剣にブライダルプランを練り始める。