95 王族とレティシア2
王族としてこの特別室に集まったのは七人。
前国王夫妻と、その子供たち…現国王クライス、宰相夫人エスメラルダ、魔法師団長夫人シャーロット、騎士団長アフィラム、ラスティア国大公レックス…の五人。
本来なら、この場に王妃や宰相、魔法師団長が王族の伴侶として同席してもおかしくはないのだが…レティシアの期間限定という立場は微妙で、今後王族と関わりを持つかは分からない。
何より“聖女の妹”として紹介されるレティシア自身が、公の場に出ることを一度きりだと決めており、高貴な身分の者との接触を好まず…ラスティア国で秘書官として普通に暮らすことを望んでいる。
よって、極々身内での顔合わせとなっていた。
前国王アヴェルの妻…アシュリーの母である前王妃ヴィヴィアン以外は、黒、または黒に近いグレーの髪色をしていて、瞳の色はそれぞれ少しずつ濃さの違う黄金色。これが、王族の色とされている。
♢
国王クライスに手を引かれ、レティシアが最初に挨拶をしたのは前国王夫妻。
「父のアヴェルと、母のヴィヴィアンだ。今はこの王宮ではなく、離宮に住んでいる」
「初めてお目にかかります…レティシアでございます」
噂で“イケメン”と聞いていても、実物はそうでもなかった、自分の好みとは違った…という話は往々にしてある。
しかし、前国王アヴェルはレティシアが見惚れるくらいに格好いい男性だった。そう思うのは当然、アヴェルの遺伝子を色濃く継いでいるのは間違いなくアシュリーだからだ。
涼やかな目元に真っ直ぐな鼻筋、凛々しい見た目は勿論、逞しい体躯までそっくり。今、アシュリーの30年後の姿を目にしている…レティシアはそんな錯覚に陥った。
アヴェルの魅力は、見た目の美しさだけではない。内面から滲み出る風格と男らしい色気、目線や表情、動きの一つひとつが悠々としていて、海闊天空な人柄を想像させる。
鋭さなど全く感じさせないようでいて、不思議と隙がない。
「はじめまして、ようこそアルティア王国へ。君に会えてとてもうれしく思うよ」
「…わ…私も、大変うれしく存じます…」
(顔や骨格が似ていると…声も似るのね)
「可愛らしいお嬢さん、先程はクライスが強引で…ごめんなさいね」
チラリと国王へ目線を向けた後、前王妃ヴィヴィアンはレティシアにニッコリと微笑み掛けた。
「この世界の暮らしには、もう慣れましたか?」
「周りの方々からのお力添えをいただきまして、少しずつ慣れてきたように思います」
アヴェルの寵愛を受けるヴィヴィアンは、小柄で可憐な佇まいの女性。50歳を超えているとはとても思えない。
「妹のエスメラルダとシャーロットだ。宰相と魔法師団長に、それぞれ嫁いでいる」
距離にしてわずか1.5メートル…ほんの少し横へとズレるだけなのに、国王はレティシアの手を恭しく取り移動をする。
正装した女性をエスコートする男性の細やかな気配りだと分かっていても、貴族特有の所作にレティシアは慣れない。
女性王族の二人とは、サオリも交えて和やかに会話をした。
美しく聡明で社交的なアシュリーの姉たちは、情報収集に余念がない。『恋人はいるの?』『結婚願望はある?』と、隙を見ては詰め寄って来る。
「騎士団長をしている、アフィラムだ。よろしく」
「アフィラム殿下、レティシアでございます。どうぞよろしくお願いいたします」
アフィラムは国王に紹介されるのを待たず、エスメラルダやシャーロットの隣にいたレティシアに直接話し掛けて来た。
彼もやはりアシュリーと似ている。日に焼けて精悍な顔つきに、意志の強そうなキリリと太い眉。少しタレ目なところが怖過ぎなくていい。
「王国騎士団の皆さまには、いつも大変お世話になっております」
「皆が職務に励んでいるようで何よりだ。チャドク王子の件では、私も証拠の映像を確認した。ザハル国へ経済的な制裁を加えはしたが、あなたには苦労を掛けて申し訳なく思う」
「お心遣いありがとうございます。ザハル国の一件は、王国へ全てお任せしてしまって…先にお礼を申し上げるべきでしたわ、大変失礼をいたしました」
レティシアはドレスを着た淑女の礼などすっかり忘れ、厳正な対応と処分に感謝を込めて…国王とアフィラムへ丁寧に頭を下げた。
「アフィラム…常日頃、気位ばかりが高い貴族令嬢たちを相手にしていると、彼女の姿は特別新鮮に感じられるな」
「はい、陛下。とても好ましいと思います」
アフィラムは側に立つレティシアの全身…主に、顔や胸辺りに視線を彷徨わせた後、何と話し掛けようか迷って指先で口元を拭う。
「王国の騎士団へ報告に訪れるカインが…毎回あなたのことを私に話して聞かせる。実は、こうして会える機会を心待ちにしていた」
「それは…光栄に存じます。え…と、イグニス卿が私の話をアフィラム殿下に…?」
「………そうだが?」
「…まぁ…」
(一体、どんな話をしたのかしら?)
アフィラムは、未婚で見目麗しい男性王族。『会いたかった』と告白を受けた女性は、歓喜に湧いても何らおかしくはない。しかし、レティシアに胸躍る素振りは一切見られず、それどころか何かを怪しんでいる気配すらある。
アフィラムは、虚を衝かれたような顔をしていた。
「イグニス卿が余計な…いえ、大袈裟に話していないことを心から祈ります」
♢
「レティシア」
「殿下!」
国王とアフィラムは、レティシアがアシュリーの声に瞬時に反応し、表情がより一層明るく変化したのを目にする。
ラスティア国でトップのアシュリーも、成人王族の中では最年少。とはいえ、静かに立って待ち続けるのはもう限界だった。
ツカツカと歩み寄ったアシュリーは、着ていたコートの留め金を力任せに引き千切って脱ぐと、レティシアの肩へ羽織らせる。
「殿下…?」
「おいで」
「…はい…」
アシュリーはレティシアをコートごと抱え、国王とアフィラムの前から連れ去った。
「座って」
「…はい…」
尋常じゃないくらいフッカフカのソファーに、レティシアは沈んだ。
アシュリーは、サイドテーブルに置かれていたアイスティーをグラスに手早く注いでレティシアに手渡す。
「飲んで」
「…はい…」
言われるがままアイスティーを口へ流し込めば、喉から全身へと水分が染み渡っていく。レティシアは、ひどく喉が渇いていたのだと気付いた。
一気に飲み干して空になったグラスがサッと手から取り上げられる。アシュリーはグラスを無言で眺め…サイドテーブルへ戻すと、気遣わし気にレティシアの顔を覗き込む。
「大丈夫か?」
「ん…はい。ありがとうございます…殿下」
「…うん…」
まだ感謝祭が始まってもいないのに、アシュリーは疲れ切ったようにその場でしゃがみ込み、床へ向かって一度大きくため息を吐いた。
レティシアはアシュリーのコートを両手で手繰り寄せ、爽やかな香りの中に身体を埋めて恍惚としている。
無意識に魔力香を求める様子に気付いたアシュリーは、彼女が自分の香りだけを感じ取れると確信をして、ざわついた感情が穏やかに変化して行くのを感じながら目を細めた。