93 感謝祭(前日)3
「…うーん…どれもしっくり来ない…」
サオリは名前の候補を書き出した紙と睨み合い、腕を組んで唸っていた。明日のお披露目で、レティシアに与える相応しい祝福の名を考えて悩んでいる。
本来、神殿などの神聖な場で厳かに執り行なわれる祝福の儀式。祝福の証となる大切な名前は、聖女であるサオリの閃き次第。
「名前は、普通公表しないものですよね?」
「私が祝福で授ける聖名は真名とは違って、称号や肩書き、名字と同じ。知られても大丈夫よ。真名は魂に刻まれる名で、生まれた瞬間に決まるらしいわ。魂と繋がっているから、契約にその名を使えば生死を左右する。悪い例が呪いというわけ」
「…恐ろしい…」
「あ、真名でピンと来たかも!“アリス”はどう?」
「アリス?…それって…もしかして、私の本名から…」
(あれ?私、サオリさんに有栖川って言った?)
「実は、私“鑑定”の能力で真の名も見れるの」
「えーっ!」
確信があったわけではなく、単に本名を言わないようにしていただけ。それが真名であった事実に、レティシアは仰天した。
そして、この世界には漢字が存在しないため、未知の文字である“有栖川瑠璃”を見ても誰も読めないと初めて知る。つまり、厳密に言えば“ルリ”と“瑠璃”は別物だ。
「真名は生きている限り変わらないと言うわ。でも、レティシアは魂が傷付いたせいで真名に変化が生じたのかもしれない」
魂と身体が一致せずに不完全である理由が…何となく分かった気がした。
──────────
「レティシア・アリス…いいじゃない?決まってよかった、結構難しくて…」
「漢字みたいに言葉の意味やイメージがパッと思い浮かばないと、ちょっと大変そうです」
「祝福を与えるのは年に数人でも、私は毎回辞典片手に奮闘しているわ。以前は、大公も小さな子に名前をつけるのに…何か本を持ち歩いて旅していたわね」
「殿下が?」
15歳になる少し前から知見を深めるために他国を周っていたアシュリーは、多くの事件や出来事に遭遇し…時には人命救助などの手助けをすることもあった。現在側に仕えている従者たちも、アシュリーに助けられて忠誠を誓っている。
早熟なアシュリーに子供らしさはなく、見た目は大人のようだったとサオリは話す。
「かわいい子には旅をさせよと言いますが、15歳の王子様がお忍びで?」
「成人すれば、他国への訪問は公式行事になる場合が多いの。きっと、いろいろと煩わしさを感じるはずよ」
「あぁ…なるほど、納得です」
成人した今、大公よりも伯爵の身分が使い勝手がいい。彼がわざわざ“シリウス伯爵”に化ける謎がここで解けた。
「どの国にも暗部は存在しているし、犯罪に巻き込まれて親を亡くす幼子は少なくない。中には名前もなく放置されている子たちもいて、施設に預けても酷いところでは番号で呼ぶと聞いたわ。だから…大公は助け出した子供には必ず名前をつけていた…」
「…殿下らしい…」
「レティシアは、ユティス公爵家にいるんでしょう?後継者の男の子は知っている?」
「ラファエル少年ですか?」
「そう、その“ラファエル”も大公がつけた名前よ」
「…え?」
「この王国の貴族令息だった彼は、家督相続に巻き込まれた被害者。家族と乗っていた馬車ごと深い谷底へ突き落とされて…両親と妹を目の前で亡くしたの。もう三年以上前の話。血だらけの男の子を抱えた大公が聖女宮へ駆け込んで来た日のことは、鮮明に覚えているわ」
「…………」
レティシアは絶句する。その場面を想像しただけで背筋がゾッとした。練武場で剣を振るっていた逞しいラファエルの姿と、サオリの話が結びつかない。
「大破した馬車の外へ投げ出されていたのに、彼には転落による外傷がなかった。魔力の源が酷く捻れていて、魔力暴走を疑ったけれど、現場には暴走した魔力の痕跡が残されていないというの…」
「それは…どういう?」
「かなり特殊な魔力暴走だと思うわ。生まれつき魔力の源に捻れや異常があったことに気付かず、平凡な貴族として生活をしていた。でも、馬車の転落が引き金となって一気に魔力が暴れ出したのよ」
「本当は、魔力量が多かった…?」
「多分ね。溢れ出た魔力で転落死こそ免れたものの、解放された魔力を上手く発散できずに体内で小爆発が起きてしまった」
「暴発したんですね」
「その通りよ。臓器の損傷がかなり激しくて、大量に血を吐いたショック症状まで起こしていた。最初は助からないと思ったわ」
「…あぁ…」
小さく呻いたレティシアが、思わず手で口元と腹部を覆う。
丸一日意識のない危険な状態が続いた少年は、聖女サオリの癒しの力に命を救われる。
♢
「ラファエルって、綺麗な子でしょう」
「はい、とても魅力的な少年です」
「大公は谷底で泥と血に染まった瀕死の姿しか見ていなかったから、面会できるようになって初めて対面した時に『君は天使みたいだね』って…そう言ったのよ。あれは、それまで全く表情のなかったラファエルが、唯一反応した言葉だったわ」
(天使…“ラファエル”って、確か天使の名前よね?殿下は名付けの才能があるのかしら?)
意識が戻った後、ラファエルは固く口を閉ざして自分の身分を一切明かそうとしなかった。
家門の名が悍ましく穢れて思えたに違いない。アシュリーはその意を汲んで、新しく別の人生を歩ませると決める。
「児童教育に力を注いでいたクロエ夫人にラファエルを預けたのは、最早運命だと思うの。公爵ご夫妻の深い愛情を受けたからこそ、彼はもう一度貴族として生きる覚悟を持つことができた」
「それで、後継者になったんですね」
「えぇ、成人までの一年でまた大きく成長するはずよ」
──────────
──────────
「あれ、ザックさんだ……ザックさーーん!」
窓の外、薔薇園の中にユティス公爵家の庭師ザックの姿を見つけたレティシアは、テラスに出て大声で名を呼びながら手を振った。
ザックは、大きなバケツにシャベルや鋏を入れてトコトコ歩いていたところ、ヒラヒラと両手を動かすレティシアに気付く。
「おっ?…おぉ!秘書官の嬢ちゃんじゃあないか?」
「こんにちは!」
「ザック、ご苦労さま。精が出るわね」
「とんでもございません、聖女様。こちらの庭園は魔法で管理されております。私は月に数回、チラッと見回るだけにございますよ」
「魔法だって万能とは言えないの。こうして見に来てくれるから、皆が管理に手を抜かないのよ?お陰で、私は大好きな美しい薔薇を毎日堪能できるわ」
ホホホ…と、サオリが上品に笑う。
ザックは眩しそうにサオリを見上げると、深く一礼する。
「誠に有り難いお言葉です。聖女様、今日はこれにて失礼をいたします。嬢ちゃん、また公爵家でな」
「はい、ザックさん。また」
♢
「レティシアは、ザックとも顔見知りなの?」
「あの広い公爵家で、偶々お会いして」
「老若男女問わず、すぐに仲よくなるのねぇ」
『レティシアーーーッ!!!!』
(この声はっ!!)
─ ポーン! ─
「キャーッ、クオン様っ!」
レティシアの胸元目掛けて飛び込んでくるクオンを、レティシアはしっかりと受け止めた。
(可愛いモフモフのトラちゃん!!)
「…クオーン…明日の準備は万全なのかしら?」
『あっ、母上。はい、勿論です!』
「…レティシアは、獣も…イケるのねぇ…」
『レティシア!今日一緒に寝ようね!!』
「それはさせませんよっ、クオン。あなたは男子です!」
『…は、母上ぇ…』
(えっ…別にいいのに?…一回、お昼寝しましたよ?)
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─ miy ─