90 側近2
「…あなたは、元々トラス侯爵家のご令嬢で…王子とは婚約を解消したという話でしたね?」
「えぇ、そうなんです。ふふっ…お戻りになったばかりですのに、よくご存知ですね?アンダーソン卿」
「数多の情報を受け取り、処理するのが…私の仕事ですので」
パトリックは、事務机の上に積まれている書類に目を向けた。
アシュリーやパトリックが不在の時は、ユティス公爵が雑務を手助けしている。
「私のことはどうぞ“レティシア”とお呼びください。私は異世界の者ですので…少し変わっていると思うのですが、アンダーソン卿は気にせず普通に接してくださってとてもうれしいです」
「…………」
胸の前で手を合わせてニッコリと微笑むレティシアの姿に、パトリックは数秒動きを止め、ズレてもいない眼鏡をかけ直してまじまじと眺めた後…その自分らしからぬ無遠慮な行動と、アシュリーの鋭い目線にハッとして軽く咳払いをした。
「殿下のお気持ちを正しく読み取ることも、私の大事な仕事の一つであると申し上げておきましょうか。ですから、えー“レティシア”のことを無下に扱うなど、私にできるはずがありません」
「…まぁ…」
後半棒読みだったことが少々残念だが、アシュリーの側近として信頼関係が確立しているパトリックにしか言えない言葉な気がして…彼が若干輝いて見えたレティシアは、パアッと表情が明るくなる。
(何だか、とっても素敵な人じゃない?)
一方のパトリックは、今の話のどこにそんな反応を示すポイントがあったのか?サッパリ分からない。
「アンダーソン卿はモテそうですね。もしかして、もうお相手がいらっしゃるのですか?」
「…は?私がモテ……モテるわけないでしょうっ?!」
「え?その気持ちを読み取るスキルを、意中の女性にお使いになればいいのでは?」
「そんな特殊能力ではありません。そう上手くいかないから恋人がいないわけです。仮に恋人がいたとしても、一ヶ月山奥に閉じ込められている間に破局してますよ」
(顔立ちは綺麗、頭もいいのに人気がないなんて、この世界の令嬢たちは一体どこを見てるの?)
「…レティシア、もうその辺にしておいてやれ。パトリックの恋愛事情を聞いて、どうするつもりだ?」
「…どうって…」
すっかり蚊帳の外となってしまったアシュリーは、レティシアの手をキュッと握って自分に気を引かせようとする。
パトリックの前で堂々とそんな行動をするアシュリーに、レティシアは驚く。
(ちょっ、ちょっと?!)
「パトリック、私の感情を読むなら今だぞ?」
「はぁ…では、私は今日戻ったばかりですので…これにて失礼をいたします。レティシア、殿下をよろしく頼みます」
「ゆっくり休んでくれ」
「…お、お疲れ様でございました…」
──────────
急に二人きりになった執務室で、アシュリーはレティシアの手をまだ離さない。
(パトリックとばかり話していたから…拗ねたの?)
「レティシア、さっき話に出た元・婚約者の王子なんだが」
「……はい、…え?彼が何か?」
話があるからとアシュリーに呼び出されていたことを、レティシアはすっかり忘れていた。
「王位継承権を剥奪されて王宮から追放処分を受けた後は、浮気相手の男爵令嬢の家で生活することになった…と、そこまでは知っているか?」
「…いいえ…初めて聞きました…」
♢
『二人は婚約者なのだろう?夫婦になればいい』
ルブラン王国国王は、まるでゴミを見るような目つきで…フィリックスとアンナにそう言い放つ。
二人は別れることを許されず、アンナの父親であるパーコット男爵は国王から圧を掛けられ、平民フィリックスを引き取る他に道がなかった。
第三側妃は一ヶ月の幽閉生活後、その座を失いはしなかったものの…数人の侍女のみを与えられ、古びた離宮の奥へと追いやられる。表舞台には一切出れなくなり、側妃としての価値は最早ないに等しい。
国王が側妃にまで厳しい処罰を下すほど、トラス侯爵家はルブラン王国にとって大きな存在だった。
身分を失っても我儘放題のフィリックスは、男爵家に対して不満しかなく、荒れた生活をしていた。
パーコット男爵は、三日で嫌気が差す。
役立たずのフィリックスは今さら矯正不可能、アンナの婿養子や後継ぎになど絶対にできないと判断。
アンナを除籍したくても許可を得られないと考えたパーコット男爵は、縁切り状に署名をさせ、アンナを男爵家から平民フィリックスへ嫁に出す…所謂“駆け落ち婚”という形で追い出した。
幸いなことに、王命は『二人の結婚』。ギリギリそこを外さずに守り、多少の支援さえしておけば問題はない。
自分たちが何の書類にサインをしたのか?理解できていないフィリックスとアンナ。街外れの一軒家に平民夫婦として放置されたことに気付いたのは、随分と経ってからだった。
一向に働く素振りを見せない王様気取りのフィリックスと、贅沢三昧する目論見が大きく外れたアンナは毎日喧嘩が絶えない。
それでも最低限の暮らしができていたのは、パーコット男爵家から週に一度届くわずかな食料や金品、そして…第三側妃の生家から秘密の援助があったお陰である。
♢
「最初の本人たちの希望通り結婚させたんですね。上手くいくとは思えませんが…」
「まぁ…無理、だろうな」
「罪滅ぼしをさせるなら、先ずはフィリックスに罪悪感を持たせるべきではないでしょうか?」
「ちょっとやそっとでは更生しないんだろう。男爵家に預けたといっても、王族から平民にするとはなかなかない処罰だ。身を以て思い知れ…というところかな」
結局、放り出しただけではないか?とレティシアは思う。
「婚約の解消は、今の私には絶対に必要でした。それが一方的な婚約破棄であろうと、平民になる私にとって自由になれれば同じですが、現世のレティシアには違ったんです。トラス侯爵家の名誉のために、何年も我慢をしながら証拠を集め、それを残してこの世を去る選択をしました」
「…………」
「魔法石の映像は、所有者が亡くなれば契約が消えて誰でも見れます。彼女は家族がちゃんと証拠を見つけられるように、侯爵家に手紙が届く手配までしていて…」
引き出しの中身を知らせるために出されたその手紙は、差出人であり…別人となって生きていたレティシアの手元へ戻って来た。
「だから、私がフィリックスの愚行を暴き婚約を解消したんです。でも、私はトラス侯爵に全てを任せるべきだったのでしょうか?それによって、処罰の内容が変わっていたかもしれないと思うと…」
優れた仕事の手腕を持つトラス侯爵ならば、もっと別の手立てを考えたかもしれない。
(私はフィリックスが憎くはあるけれど、現世のレティシアのように直接苦しんだわけではなかったから)
「今さらですよね」
「…レティシア…」
アシュリーはレティシアを優しく抱き寄せて髪を撫で、爽やかな魔力香で包み込む。
「トラス侯爵は商人気質。レティシアがフィリックスを断罪することこそ最も効果的であると、十分に理解していたはずだ。心のどこかで、そう望んでもいただろう。ルブラン王国国王が身内にも厳しいというのは有名な話、誰もが知っている…当然トラス侯爵もね。
常に篩にかけられている中で、フィリックスはボロを出した。私が思うに、彼はとっくに見切りをつけられていたよ。だから、処罰は変わらない」
「…そう…ですか…」
「君には聞かせなくてもいい話だったな。辛いことを思い出させて…悪かった…」
アシュリーは、レティシアの髪にチュッと口付けた。
「…だ…大丈夫です。殿下は、いろいろと気にかけていてくださったんです…ね」
(でも、ここは執務室ですよ?)
ふと…いつも執務室内にいる護衛騎士がいないことに気付いたレティシアは、アシュリーが人払いをしていたことを知る。
──────────
この話には続きがあった。
半月前、フィリックスとアンナが忽然と姿を消す。
家は酷く荒らされ、慌てた男爵家が二人を捜索したものの未だ行方不明だという。果たして、男爵家にとって害でしかなかった二人を必死に探したかどうか?…正直微妙ではある。
現在『第三側妃が二人を匿っている』という見方が強まっているが、それが真実かどうかは分からない。
この失踪事件については、レティシアに話さないほうがいいだろうと…アシュリーは黙っていることにした。
お読み頂きまして、誠にありがとうございます。
何とか90話まで投稿することができました。読んでくださる皆さま方がいることに感謝致します。
この作品、やはり時々行き詰まってしまうので…今も頑張っているところであります…(-_-;)…。
次は、アルティア王国感謝祭前日のお話となります。
※次話の投稿は4/19を予定しております。
少し間が空きますが…宜しくお願いいたします。
─ miy ─