78 秘書官レティシア2
「個人秘書官室、といったところだ」
ルークの言った通り、ちゃんと専用の部屋が用意されていた。
レティシア、アシュリーとカイン、ついでにルークも一緒に…個人秘書官室内を見学する。
縦に長細く奥行きのある部屋に、大きめの事務机と椅子のセット、事務机の前には来客用の椅子が二つ。
どうやら、訪問者とは事務机を挟んで向かい合って対話をするスタイルのよう。壁沿いを全て本棚で埋め尽くすこの部屋が明るいのは、天窓から差し込む光のお陰だ。
「机から後ろは、レティシアの私的なスペースになる」
「…私的?」
「休憩室だと思えばいい」
「なるほど」
うなぎの寝床のような造りは、部屋の幅が狭めなため、大きな事務机が長い部屋を効率よく分断する形になっていた。
事務机の後側に独立した部屋が一つ、そこが宮殿でレティシアに与えられた私室となる。
ソファーとテーブルセット、ベッド、クローゼット、シャワーや洗面など必要な設備が一式揃っている上に、大きな出窓もあり…ワンルームマンションのようだった。
(あれ、普通に暮らせるんじゃない?)
元々は、アシュリーが休憩や仮眠をするために使っていた部屋をレティシア用に改装したもの。
廊下へ繋がる普通の扉、執務室と直接行き来ができる扉、私室へ入るための扉、三つの扉全てにレティシアの魔法掌紋を認証する特別な魔導具を取り付けて、セキュリティを強化してある。
「この扉があれば、殿下に呼ばれてもすぐに行けますね」
「何かあったら、いつでも私のところへ来るといい。執務室を挟んだ反対側には、ゴードンやルークたちの私兵待機室もある」
「分かりました。殿下、私一人のために…素晴らしいお部屋を用意してくださいまして、ありがとうございます」
「その言葉、準備をしたカリムが聞いたら喜ぶだろう」
満面の笑みを浮かべるレティシアに、アシュリーが微笑みを返す。
カインは二人の様子を羨ましそうに見つめ、ルークは執務室の入口を眺めていた。
─ コン…コン ─
執務室の扉が控えめにノックされる。
アシュリーが入室を許可して呼び込むと、廊下へ立っていた騎士、執務室内にいた騎士を含む総勢12名の騎士たちがゾロゾロと現れた。身体の一部に鎧を身に着けている騎士もいて、時折ガチャガチャと金属音が鳴る。
王族同士の争いを嫌う祖先の考えから、ラスティア国は独自の騎士団を持たない。そのため、ラスティア国内で騎士と呼ばれるのはアルティア王国の騎士団から派遣された者だけ。
ラスティア国は、王国騎士団に所属する騎士の赴任先の一つだった。
レティシアとの顔合わせに呼ばれたのは、アシュリーの護衛騎士。非常時にはアシュリーの盾となり、日頃は立ちっ放しの過酷な任務を担う精鋭たちだ。
(…流石に皆さん体格がいい。腕が太い…胸板厚っ!)
アシュリーの前に整列する騎士をカインが一人ずつ紹介。レティシアと個別に言葉を交わすことのない簡単な挨拶は、本当に顔を合わせるのみ。それだけでも、私兵である従者sの自由さとはかなり違うと分かる。
「皆、いつもご苦労。新しく設けた個人秘書官室を訪れる者は、必ず執務室の前を通る。見知った秘書官や文官だからと気を許すことなく、不審な動きをする者がいないか確認を怠らないようにして欲しい」
「「「「…はっ!…」」」」
果たして、秘書官室の者たちはやって来るだろうか?と、レティシアは首を捻った。
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初日を無事に終えたレティシアを早めに帰し、アシュリーがホッと一息ついたころ…ユティス公爵が執務室へ顔を出す。
「叔父上?どうされました」
「レイ、少し話せるか?…作業しながらでいいぞ」
レティシアを預かると決まった時、ユティス公爵は、二人の関係が期間限定であることや、聖女サオリの言いつけによって毎夜アシュリーが公爵邸へ通うなど、多くの事情を知る。
話だけを耳にすれば、二人は一時的に契約を結んだ間柄と受け取れなくもない。
しかし、ユティス公爵が邸で目にしたのは、人を惹きつける美貌と澄んだ青い瞳を持つ少女と、少女に恋い焦がれ熱い視線を注ぐアシュリーの姿だった。
「女性が側にいる時はいつも表情の乏しいお前が、幸せそうないい顔をしていた。この目で見るまでは信じられなかったよ、私まで心が弾む思いだった」
「レティシアのお陰です」
「随分と積極的に触れていたな?」
「彼女が嫌がるならば、触れたりはしません」
「嫌がられたことは?」
「…ないです…いえ、レティシアは侯爵令嬢の時に兄からかなり溺愛されていて、私以上に親密でした。この世界の貴族男性と女性の正しい関係性を…彼女は知らないのだと思います」
そう言いつつ、アシュリーは自身との触れ合いを阻害しないのならばそれでもいいと…正すつもりがない。その代わりレティシアの側には護衛を置き、誰彼構わず近付かないよう守らせている。
「兄がいたのか?ふむ…ルークとも仲がよさそうだったからな。あの容姿では、成人して社交界へ出れば周りが放っておかないだろう。しかし、チヤホヤされたいタイプには見えないから不思議だ」
「えぇ、だからこそ…好ましく思うのかもしれません」
「あぁ、確かに…レティシアと話していて、刺々しさや悪意のない会話とはこれ程楽なのかと驚かされたよ。同じ年頃の貴族令嬢たちとは別の生き物かと思った」
「全くその通りです」
「お前が彼女を好いているのは、傍から見ていて十分過ぎるくらいに分かる。レティシアは恋愛に疎いのか?それとも、先のことを考えて素知らぬ振りをしているのか?」
「彼女との関わり方がこの先どう変化するのか、まだ何も見えていません。それはお互い様です。レティシアは、おそらく少し鈍いのでしょう」
「…ほぅ…私がレイと同じように触れたとしても…レティシアは特に気にも留めない…」
「……叔父上…私は気にしますよ?」
アシュリーの持っていたペンの先が、書類の上で音を立てて折れた。