66 ラスティア国
アルティア王国からラスティア国の宮殿、その地下室にある転移魔法陣へひとっ飛び!
目を瞑っていたレティシアは、アシュリーが笑い出すまで着いたことに気付かず…必死にしがみついていた。
案の定、出迎に来ていたルークにジト目で見られてしまう。
「ルーク、首尾はどうだ?」
「宮殿内は整えてあります」
一歩前へ進み出て状況報告を始めたルークの…ふとした表情に、疲労の色が窺える。
「レティシア、応接室で一度休むほうがいい。話もある」
「そうしたい気持ちは山々ですが、その前に先輩秘書官の皆様へご挨拶をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「君を雇用したことは先に知らせている、急ぐ必要はない」
「…尚さら、ご挨拶しなければ…」
♢
アシュリーが数回ノックをして秘書官室の扉を開けると、広い室内にいた秘書官たち…六人の男性がザワッとして一気に起立する。
「「「…………」」」
「皆、ご苦労。…さぁ、入って」
アシュリーの側に仕えている五人の従者とは明らかに違う、貴族と思われる男性全員が…レティシアをジッと見ていた。
「話は聞いているだろう。彼女が新しい秘書官だ」
「皆さま、はじめまして…お仕事中にお邪魔して申し訳ありません。この度、新しく秘書官となりましたレティシアと申します。分からないことばかりですので、いろいろとご指導くださいませ。よろしくお願いいたします」
「「「…………」」」
レティシアはニッコリと笑顔で丁寧に挨拶をするが、誰一人反応せず動きがない。アシュリーを前に、緊張の面持ちでピシッと直立したままだった。
「約半月留守にしていたが、皆のお陰で大きな問題は起こらなかったと聞いている。今後もよろしく頼む」
「「「はっ、殿下」」」
どうやら、彼らはアシュリーと交わす挨拶を待っていたらしい。
予想以上に冷たい視線を浴び、タイミングを間違って先に挨拶をしてしまったレティシアは、深く後悔をする。
「さて、改めて紹介しよう。彼女は、私の大事な個人秘書官のレティシアだ。特に語学が堪能で、他国から届く全ての通信文に対応ができる貴重な人材となる。詳しくは後で説明するとしよう」
秘書官たちに向かって話す時のアシュリーの声は、やや低めで抑揚がない。
(やっぱり、殿下はご機嫌が悪いみたい)
「…先ずは、挨拶だが…」
そこからは、三人の秘書官、それぞれの秘書官を補佐する文官…と、六人がレティシアに次々と挨拶をしてくれた。
「これで挨拶は一通り済んだ。レティシア、手間を掛けたな…ありがとう」
「い…いいえ、とんでもございません」
『挨拶が必要だ』と主張をしたのはレティシアのほう。しかし、今の言葉を聞いた秘書官たちは、アシュリーの指示でここへやって来たと理解するだろう。
レティシアが肩身の狭い思いをしないようにと考える、優しい配慮が身に沁みた。
「ルーク、彼女を応接室へ。私も後で行く」
「承知いたしました」
アシュリーはレティシアの背中にそっと手を添え、ほんの数歩の距離を優しくエスコートする。
すぐ側に控えていたルークが一礼してレティシアを誘導すると、今度は全員の視線がレティシアとルークへ移った。
──────────
「…どうした…?」
「…ぅん?…」
応接室内の扉横に立ってレティシアを護衛するルークは、椅子に座り、丸いガラステーブルの上に頬を乗せて突っ伏す…若干ブスなレティシアを見て思わず問いかけた。
「いや、やっぱり…貴族…苦手だなって。何だろう、あんな値踏みするような目をして…」
「まぁ…俺もそう思うから気持ちは分からんでもないが」
女性秘書官が今まで一人も存在しなかったのは、アシュリー側の都合。
ただ…それを知っていようと知らなかろうと、地位や身分を示す“家名のない者”を快く思わないのが一般的な貴族だ。秘書官室勤めの六人は、アシュリーがどれ程レティシアを大切に想っているのか、想像すらできないだろう。
今ごろ、どんな話を聞かされているのか…ルークには、強張った顔をする秘書官たちの姿が目に浮かぶようだった。
「そこの甘い菓子でも食って、とりあえず機嫌直せ。殿下が来られて、そんなブサイクな顔してんのを見たらガッカリされるぞ」
「ブサイクで悪かったわね…別にいいの、無理して笑顔を見せていたら、この先もたないじゃない。殿下はお優しいから許してくださるわ」
「…いいのかよ…。さっきの秘書官たちは、それなりに殿下を恐れているんだけどな」
ルークの呟きは、レティシアの耳に届かない。
レティシアは知らないが、アシュリーの叔父である前君主がおおらかで豪快な人物であった分、アシュリーはそれを補うように細やかで几帳面…厳しい人物だと言われている。
「あの部屋に放り込まれたら、苦労しそうね」
「心配しなくても、殿下はあんな男だらけの部屋にレティシアを入れたりはしない。そのために、俺とカリムは先にこっちへ戻ってたんだ…安心しろ」
「ありがとう…ねぇ、ルーク」
ムクッと起き上がったレティシアは、焼き菓子を手にルークを手招きする。
「何だ?……っ…んっ…?!」
「はい」
ルークの口にはクッキーが突っ込まれていた。二枚いっぺんに。
「疲れた時には甘いものがいいの。多分、私のせいで準備とかが大変だったんでしょう?」
「…っ…モゴッ…んんっ…」
「咀嚼してから喋ってね」
レティシアは半分笑いながら、自分は上品に菓子をつまんで紅茶を味わう。…と、ゴクリとクッキーを飲み込んだ?ルークが、真っ赤な顔をして口元を押さえている。
(えぇ?!…ちょっと、まさか?喉に詰まった?!)
慌てて立ち上がると、テーブルにセットされていた予備のティーカップにポットの紅茶を注いだ。
「気遣いが…雑だなっ!」
「ルーク、飲んでっ!」
ルークは、湯気の立つティーカップを握りしめて差し出すレティシアの真剣な顔を見て…目が点になっていた。
「…っ…熱っつい…!!」
パッ!とティーカップを手放したレティシアは、後退った途端…椅子の脚に踵を引っ掛け、のけ反るように体勢を崩す。
目の前にティーカップを投げ出されたルークは、それを片手で掴み、もう一方の手をグンと伸ばしてレティシアの腰を素早く抱え込む。
レティシアは、ルークの腕の中で心臓をバクバクさせながら…その俊敏かつしなやかな動きに驚いていた。
…ポタ…ポタ…
わずかに、ティーカップから紅茶が滴る。
「…ナ、ナイス…キャッチ…」
「…アホか…何してんだよ…」
大きくため息をついたルークは、レティシアを軽く抱き寄せながら…熱い紅茶の入ったティーカップをテーブルの上に置いた。
「手を見せろ、大丈夫か?」
「あっ、驚いただけ…私、怪我はしないから。ルークがクッキーを詰まらせたと思って…でも、紅茶が熱かった、ね」
「ちょっと落ち着け。あんな小さいクッキーを、俺が飲み込めないわけないだろう?…二枚だったけどな」
「…う…ごめんなさい。顔が赤くて…てっきり」
「……とにかく、問題ない。いいか、俺は護衛だ。仕事中に菓子や紅茶を勧めるのはやめろ…変に混乱させんな。火傷や怪我をしなくたって、レティシアに何かあったら俺は間違いなく殿下に殺される。分かったか?気をつけ…」
そこでピタリと急に話すのをやめたルークは、扉のほうを向いた。
不思議に思ったレティシアが小首を傾げる。
…コン…コン…
軽いノック音の後、こちらの返事を持っているようで入室して来ない。なぜだか、ルークが苦々しい表情をした。
(殿下とは違う…一体誰?)
「はい、どうぞ?」
「失礼する」
扉が開いて入ってきたのは、金髪の男性。
伏し目がちに少し頭を下げる男性は、整った顔立ちで声もいい。
(帯剣しているから、騎士?見映えのする金髪イケメン…もう美男子はお腹いっぱいかも)