2 婚約破棄2
ルブラン王国国王の命により、王宮に呼び出されたトラス侯爵と娘のレティシア。
トラス侯爵は国王の下へと急ぎ向かい、レティシアが応接室で待機していたところ…アンナを伴ったフィリックスが突然やって来て、現在に至る。
♢
「どうした、レティシア。ショックで言葉が出ないのか?だが、今日は黙ったまま帰ることは許さないぞ」
「侯爵令嬢だか何だか知らないけどぉ~フィリックス様にポイされちゃって!惨めで可哀想っ、アハハッ」
レティシアを嘲って笑う…アンナのケタケタと下品な声が応接室に響く。
フィリックスは“自分がレティシアを捨てた”という優越感に浸り…ニヤリとした。たとえ、レティシアが何も言わず『人形』のように黙っていたとしても、いつもより数段気分がいい。
泣き言の一つでも零したならば、胸のすく思いがすることだろう。
「私、あなた方とよろしくする気はありませんよ…?」
これが、フィリックスの待ち望んでいたレティシアの第一声だった。
「………は?……おいっ!!」
一瞬の間を置いて、バンッ!と…テーブルに勢いよく両手を突き、立ち上がるフィリックス。
あまりにも大きな音に、隣のアンナがビクついている。
「『婚約破棄』がどうしたっていうの。そんなもので、私が動揺するとでも?」
黙ったままでは云々…と言いながら、フィリックスは反論されるとは思ってもいなかった様子。
独りよがりですぐに激高する未熟な王子を前に、レティシアはフン!と鼻で笑って呆れた顔を見せる。
「…レティシア!…おまっ…」
「ショック?惨めで可哀想?…どちらでもないわ。なぜなら、あなた方が婚約しようが結婚しようが、私は一切興味がないから」
レティシアの小さく愛らしい唇から発せられたその言葉は『心底どうでもいい』と、フィリックスには聞こえた。
いつもと全く違う、レティシアの態度と言葉遣い。
そこに気を取られたフィリックスは、不敬な言動に対する怒りも忘れて唖然とする。
「もういいかしら…分かったなら、この部屋から出て行ってくれない?」
そう言うと、レティシアはフィリックスを鋭く睨み付け…恐ろしい程に美しく、冷めた表情でため息をつく。
「…………何だと…?」
「な、何なの!この女は!!」
思っていたような反応が返ってこなかった上に、出て行けと言われ…苛立ったアンナが、ギャンギャンと騒がしく吠え立て始める。
しかし、フィリックスはそんな声など一つも耳には入らない。突っ立ったまま、黙ってレティシアをじっと見下ろす。
反り返って腕を組んだレティシアは、瑠璃色の瞳でフィリックスを真っ直ぐに見据えながら平然としていた。
─ レティシアが私を見ている ─
そう感じた途端、フィリックスの全身がカッと火照ってくる。
こんな熱い感覚は初めて…つまり、レティシアはどんな感情を抱いていたとしても、こうして目を向けて訴えかけて来ることなど過去に一度もなかったのだと、フィリックスは気付いてしまった。
──────────
「随分と騒がしいな…?」
アンナが喚き散らしている応接室に、今度は国王とトラス侯爵、国王の護衛官たちが現れる。
レティシアのほうから出向く予定が、どういうわけか国王自ら会いに来てしまった。そのため、国王は本来出会うはずのなかったアンナと…ここでバッタリ遭遇することに…。
場の空気が読めないアンナは、軽くノックをしただけでゾロゾロと室内に入り込んで来る者たちの偉ぶった態度が気に入らず、眉を吊り上げ拳を振り回して叫ぶ。
「ちょっと、勝手に入って来ないでよ!ここにフィリックス様がいるのが見えないのかしら、無礼者っ!!」
困ったことに…アンナは“王子の婚約者”になると決まってから、自分まで王族になった気分で…見境なく他人に噛みつくようになっていた。
「…っ…!!…ちっ…」
アンナの言動に驚き焦ったフィリックスが『父上』と言おうとしたところを、国王が手で遮る。
「ほぅ、では…そういうお前は誰なのだ?」
「私は、フィリックス様の婚約者よ!」
「…誰が、そう認めた…?」
「誰?…勿論、フィリックス様よ!二週間前に、そこにいる元婚約者の前で私にそう言ったもの!」
アンナが意気揚々として、椅子に座るレティシアを指差した瞬間…フィリックスの顔色がサーッと青ざめていく。
国王は大きく目を見開いてジロリとフィリックスを睨みつけた後、アンナの前で犬を追い払うかのような手付きをする。
「誰か、この女を…すぐに王宮からつまみ出せ」
「…はぁっ?!何ですってぇ!!」
「自国の王に“無礼者”とほざく貴族など、要らぬと申しておるのだ」
「…王?…え、えっ!!…ウソ!…まさか、この人が王様?!」
無知なアンナは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で国王を眺めた。
呼ばれた護衛兵が駆け足で部屋に入って来たその足音に飛び上がり、ギョッとしているアンナを…フィリックスが慌てて背に庇う。
「父上!その…これは…違うんです。アンナは悪くありません!」
「あぁ…そうだな。悪いのはお前だ、フィリックス」
「…へ?…いえ、違っ…」
「何も違わぬ、お前もつまみ出されたいのか…?」
「…っ!…父上…」
非常識なアンナを守ろうとしたフィリックスは、国王を始め、トラス侯爵や護衛官…下っ端の護衛兵たちからも冷ややかな視線を浴びる羽目になった。
「フィリックス様っ…助けて!…アンナ、知らなかっただけなの。王様?…あ…国王様、本当にごめんなさい!」
アンナは、フィリックスの背中にガッチリとしがみつく。
自由奔放で、ちょっと礼儀知らず。そんな貴族らしくないところもアンナの魅力だと感じていたフィリックスだったが…それは学園内だから許されたのだと、窮地に立たされた今やっと理解をする。
そもそも、学園が掲げている“学生は皆平等”という理念すら建前に過ぎないのだから。
フィリックスは、アンナのせいで自分の印象がこれ以上悪くなることを恐れた。
「えっと、お父様!私はアンナです。フィリックス様の婚約者になりました。私たちは、学園で運命の出会いをした恋人同士なんですよ!」
『もう喋るな』と、心の底から思うフィリックスの願いは叶わない。
アンナが長い自己紹介を語り始めたと同時に、背中にすがりつく手を力任せに振り解く。
「…すいません、父上。出過ぎたことを申しました」
「えぇっ、やだ!…ねぇ、フィリックス様?!」
護衛兵に囲まれたアンナは、最後まで何かを大声で叫びながら…あっという間に連れて行かれた。