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186 刻印の儀



「すごい景色!…鳥の鳴き声が聞こえる」


「あれは、タカの声だな」



“刻印の儀”を執り行うユティス公爵家の別荘は、アルティア王国の中心部から北へ向かった森林地帯にある。

森の古城と呼ばれる別荘付近一帯は、大昔、ラスティア国と同じく小国として繁栄を誇っていた場所。廃国後…樹々に囲まれて久しい現在、元君主の住まいであった歴史ある城だけが別荘となって遺されていた。


昨日、思い掛けず早く邸へ戻ったアシュリーは、レティシアの名を記して血判を押した特殊な魔法紙を手に別荘を訪れ、儀式の準備を完璧に整え終えてしまったらしい。



「偶には、喧騒を離れるのもいいだろう?」


「えぇ、街中とは音や周りの空気が全然違う!」



魔導具を使った簡易魔法陣で辿り着いた転移先は、別荘の小塔。城でいう物見塔。

小さな円柱形の塔は屋根より高い位置に設けられているため、360度ぐるりと見渡せる素晴らしい眺望と山の頂に立ったかのような開放感が味わえる。


雄大で豊かな自然に興奮したレティシアが展望スペースの端へ足を進めた途端、アシュリーが素早く腰を抱えて引き戻す。魔法を使ったのか、フワリと足元が浮いた。



「…え、あっ…」


「時折、強い風が吹いて危ない…私の手を離すな」



互いの指を絡み合わせる恋人繋ぎをして『離すな』と、不意打ちの甘い囁きが耳に響いてドキッとする。

大して広くはない塔を一周ゆっくり歩いて、緑豊かな風景を一緒に眺めた。アシュリーは立ち止まって遠くを指差しては、この土地の地形や昔話を教えてくれる。



「標高が高い分、涼しいのね」


「専ら避暑地として使われている。子供のころは、叔父上に連れられて兄上や姉上たちと毎年遊びに来ていたんだ。公務で多忙な父上に代わって、いつも私たちの面倒を見てくれた」


「公爵閣下らしい…想像がつくわ」


「叔父上はボート漕ぎや魚釣りが好きで、暑い時期に水辺で楽しめるこの別荘を気に入っていた」


「魚釣り!」


「ハハッ…やりたいか?私は釣りよりもボートで遊んでいた。兄上たちと競争して負けた後は、腕が痛くて…食事の時にフォークが握れないと悔し涙を流したものだ…」



今日は護衛騎士や従者、使用人を側から外しているせいか、少し砕けた口調で屈託のない笑顔を見せる彼が目映い。古城デートに胸が高鳴りっ放しのレティシアは、美しい眺めと清らかな空気ではなく、麗しい恋人と爽やかな魔力香へ…無意識に目や鼻が惹き付けられてしまう。



「ここへは久しぶり?」


「…うん…そうだな。私が魔力暴走を起こした後は、一人だけ離れた宮殿で過ごす私を気遣って…別荘へ出掛けなくなった」



アシュリーは、幸せだった懐かしい記憶が鮮明な程、呪われた年月をより一層疎ましく感じた暗い過去を思い返す。宿命というべき過酷な運命を乗り越えて、これから先はレティシアと共に新たな思い出を積み重ねて生きて行く。そこには、光り輝く未来しか見えない。



「…殿下…」



淡々と話すアシュリーの整った横顔を見つめていると、陽の光を浴びて艶めく黒髪が風になびいて、蜂蜜色のあたたかな眼差しがこちらを向いた。



「だから、レティシアと一緒に別荘へ来れて…本当によかったと思う」


「…私にとっても、この別荘は忘れられない場所になるわ。今度は遊びに来ましょう」


「あぁ、レティシアが叔父上の娘になったら皆で来るのもいいな。ラファエルは来たことがないはずだ」


「素敵、楽しみね。公爵閣下は私を早く娘にしたいって、三ヶ月以内に手続きをしようと仰ってくださったの」


「叔父上と叔母上は、君が可愛くて仕方がないらしい。…でも、レティシアは私のものだよ?」


「…はい、私は…殿下のものです…」



頬を染めて微笑むレティシアをふんわり抱き込んだアシュリーは、髪、額、目元、頬へと順に口付け、最後に手入れされた柔らかな唇を優しく塞いだ。

甘美な砂糖菓子を口に含むかのように…唇を繰り返し食んでは吸い上げ、角度を変えて執拗に啄む。



「…っ…殿下…ン…唇が…すり減っちゃう…」


「…今日からは我慢しない…」



そう言って、恍惚とした表情でグイグイ迫って来る。まだ昼前、人目がなくても屋外だというのに、首筋や胸元へチュッチュと口付けを始めたアシュリーは濃い魔力香を放っていた。

初夜目前の恋人同士、抱き合って口付けを交わすのはやぶさかではない。とはいえ、このまま行為が進めばレティシアは立っていられなくなる。



(…ひゃぁぁぁ…!)



腰や背中を撫で上げられ、ゾクゾクする感覚に身震いした瞬間、アシュリーの動きがピタリと止まった。



「………先ずは…着替えようか…」


「え?…あ、そうだわ…私、ドレスを脱がなきゃ…」


「着替えたら、別荘の中を簡単に案内しておこう。魚釣りをしながら食べられるように、昼食の用意もさせてある」


「わっ、釣ってもいいの?!」


「勿論だ」



やっと二人きりになれたと…舞い上がって感情に流されてしまったアシュリーは、綿密に立てた計画を狂わせてしまう(すんで)のところで踏み留まる。


実は、国王クライスと結婚の承認を約束してくれた王族…つまり、アシュリーの家族全員が勢揃いして出立を見送りたいとの申し出があり、出発前に王宮へ立ち寄ったのだ。ここでも、カナリヤ作のドレスが役に立つ。


男性たちはアシュリーに、女性たちはレティシアに群がり、閨の儀式の成功を各々が祈るという…非常に恥ずかしい状況の中『しっかりやれ!』と皆に背中を叩かれて、アシュリーは賑々しく送り出されていた。





──────────





小塔から降りた後、レティシアを待っていた侍女長パメラとロザリーに着替えさせて貰い、アシュリーと別荘内を探検する。


大公邸や公爵邸と同様、主に住まいとして使われる本邸の部屋数は三十余り。移動しながらざっと見て回るだけでも小一時間は掛かった。

外観は、ヨーロッパ調の優雅で繊細な古城とは一味違い、どっしりと貫禄があり重厚感溢れる石造り。アーチ状になった入口付近の苔むした外壁が歴史を感じさせる。落ち着いた雰囲気が、厳かで神秘的な森によく似合っていた。


一通り散策をした後、今度は初めての釣り体験を楽しんだ。ワンピース風のチュニックの下にズボンを穿いたレティシアが、糸を垂らした釣り竿の先を凝視する。

途中、アシュリーから手渡された昼食のロップサンドに青い瞳を煌めかせてかぶり付く。大きな湖の畔に座って二時間もすれば、20センチ前後の淡い虹色の魚がバケツ一杯釣れた。


アシュリーの提案で、手漕ぎボートにも挑戦する。どうやら魔法を使わず純粋に体力とオールで漕ぐだけの船らしく、それならば魔力がなくても楽しめるかと思いきや、グラグラと不安定で思いの外難しい。

アシュリーの腕前は錆びついておらず、レティシアを乗せて全く危なげなく湖を三周。得意気な表情で夢中になって船を漕ぐ様子は、少年時代に戻ったようだった。




    ♢




「もうすぐそこだ」


「あら…何だかいい匂いがしてきたわ」



今夜は大事な“刻印の儀”を控えているため、夕食の時間が早くなっている。

昼食が軽めだったお陰で、空腹加減も丁度いい。レティシアは、美味しそうな香りに鼻をひくつかせた。



「焼き魚の匂いだな。せっかく釣った新鮮な魚を食べないのは、勿体ないだろう?」


「へっ?あの虹色のキラキラした魚が食べれるの?!」


「少し小ぶりだが、塩焼きにすると美味い」


「バケツ一杯よ?一体何匹食べればいいのかしら。調子に乗って釣り過ぎたかも…明日も食べる?」


「…ハハッ…」



レティシアをエスコートして長い廊下を歩くアシュリーが、肩を震わせ笑う。今日の彼は、とにかく笑顔が朗らかだ。



「心配しなくても、皆で食べればいい」


「…皆…?」


「旦那様、お待ちいたしておりました。レティシア様、今宵もお美しいですね」


「ありがとう、侍従長。これは、侍女長が選んでくれたドレスなのよ」


「左様でございましたか。大変お似合いでいらっしゃいます」



大広間の扉前には、侍従長のセバスチャンが立っていた。オフホワイトのシルク生地に、金糸と銀糸の華やかな刺繍を施したイブニングドレスを身に着けたレティシアを、眩しそうに眺める。



「セバス、皆集まっているか?」


「はい、旦那様。警備のために騎士が数人、席を外しているだけでございます」


「そうか」


「では、扉をお開けいたします」



ギイッと…重そうな音を鳴らして開いた分厚い扉の向こう側には、従者sや侍女たち、そして30人程の使用人が席に座っていた。アシュリーとレティシアが入室すると、全員が立ち上がる。



(…えぇっ?!)



ユティス公爵邸で、使用人や居候者たちと一緒に賑やかな食堂で食事をしていたレティシアは、大公邸では立場上そうもいかない。


借り物の別荘へ多くの使用人を連れては来れないものの、アシュリーは日ごろの忠誠心に深く感謝をし、この日のために力を尽くしてくれた者へ労をねぎらう場を設けつつ…側付き以外の使用人ともレティシアが触れ合う機会になればと、食事会を開いた。



「…殿下…」


「ふむ、焼き魚は売り切れになりそうだ」












この度は、私的な事情により投稿予定が大幅に遅れましたことを心より深くお詫び申し上げます。申し訳ございません。

お読み下さいまして、誠にありがとうございます。


次話の投稿は10/1~5頃を予定しております。宜しくお願い致します。

(投稿が少し遅れます。申し訳ありません。10/5追記)


        ─ miy ─


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