182 隠し事2
「…ラファエル様、ご迷惑でなければ…」
レティシアは、剣術の稽古を再開できないか?と問い掛けた。以前よりも時間に余裕のできたロザリーと一緒に、再び指導を受けられるのであればうれしい。
ラファエルが成人して、正式に後継者となった暁にはそうもいかなくなる。共に苦難を乗り越えた二人が顔を合わせる機会は、この先どんどん減って行くように思えた。
一方、ラファエルはそんなレティシアの気持ちを知ってか知らずか…少し悩む。後継者教育を受けて社交界へ出るまで一年足らず、学ぶべきことは山積み。
加えて、国王から直々に頼まれ、ユティス公爵家はケルビン・ウィンザムを預かっている。ラファエルは、空いた時間があれば彼と過ごすよう心掛けていた。
「ロザリーとランニングをしたり、ちょっとした練習は続けています。できれば、しっかり身体を動かす時間を週に一度持てたらいいなと思っていて。勿論、ラファエル様がご無理をなさる必要はありませんけれど…」
「…週に一度?…それくらいなら…」
「やっぱり、今はお忙しいのでしょう?」
「たとえ短時間だとしても、稽古は毎日欠かさない。レティシアの気持ちはよく分かるが、私の一存では何とも…大公殿下がお許しになれば喜んで指導しよう。確か、大公邸にも立派な鍛錬室があったな…」
「え?…お邸へ来てくださるの?」
「……まさか、毎回私を訪ねるつもりで…?」
「…はい。よく考えたら…居候中でもないのに、公爵家へ軽々しく足を踏み入れてはいけませんよね」
「義父上がレティシアは娘同然だと言っていただろう?変に気を遣わなくてもいい。そうではなく、夜の稽古に出掛けるつもりだったのかと驚いている」
移動魔法陣があるとはいえ、公爵邸は遠い。誘拐事件の後で、おそらくは護衛を数人引き連れての外出や移動となるに違いないと聞いて…レティシアはハッとした。
「…あ…」
「君は大きな事件の被害者だから…大公殿下のご意向に従うべきだと思う。無論、我が邸でも危険な目には二度と遭わせないと約束する」
レティシアは秘書官に雇われただけあって人当たりがよく、語学力に秀でており、事務作業や整理整頓が得意。その上、活発で行動力もある。何より、この世界の常識にとらわれない自由さが目映い。貴族令嬢と比較してはいけないと重々承知していても、一風変わった思考と言動が大変興味深く、見守る側はいつの間にか惹きつけられて目が離せなくなってしまう。
レティシアを大事に想うアシュリーが日々感じている小さな苦労は、今やラファエルにも透けて見えていた。
「剣術の指導をお願いしたのは私なのに、わざわざ来ていただくのが申し訳なく思えて…でも、ラファエル様の言う通りね。自分の身近にしか目を向けていなかった…恥ずかしいわ。私の護衛騎士や、事件で大変だった公爵家の方々へ対する配慮が全く足りていませんでした」
「人に頼らず、自分から動くところがレティシアらしいな。まぁ、もう少し…大公殿下のお気持ちを考えて差し上げてもいい気はするが…」
しおらしく素直に反省するレティシアの様子にラファエルが苦笑いをした時、内扉が軽くノックされる。
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今日のアシュリーは、お茶休憩を取れなかった代わりに早く邸へ帰って来て、夕食や入浴など…レティシアとの時間を存分に愉しむ。
ここ数日スキンシップを抑え気味にしていたアシュリーが、食事では雛鳥のように口を開けてフルーツを強請り、浴室では髪を洗って欲しいと子犬のように擦り寄った。
(母親からの愛情を確認して、安心する子供みたい)
大きくて逞しい身体をした彼の初心で甘えん坊な姿を見ていると、レティシアは慈愛の深い気持ちが湧き上がる。強靭な男らしさもいいが、時にキュンと心が弾む可愛らしさを見せるアシュリーは罪な男だった。
感じたことのない愛しさの感情に溺れて自我を失いそうなのに、それが嫌ではなく寧ろどっぷりとはまって流されてみたい。アシュリーといる自分は、こんなにも幸福感に満たされているのだと実感する。
彼になら全てを捧げても構わない。そう思えたからこそ、レティシアはプロポーズを受けた。
「叔父上と相談して、刻印の儀は十日後に行うと決めた」
「公爵閣下の別荘が楽しみね。それまではお仕事を頑張らないと!」
「魚釣りをしに行こうと思っていないか…?」
「…そ…ちょっとは、やってみたいわ…ちょっとよ?」
最近は、ソファーもベッドの上も変わらなくなりつつある。どちらかというと、ベッドのほうがそのまま眠れるため便利にすら感じていた。
レティシアを後ろから抱え込んで、背と腹をピタリとくっつけて肌の温もりを与え合う…いつもの姿勢を取ったアシュリーは、そっと頬を寄せて来る。お互いの息遣いと胸の上下がシンクロして、一つに溶け合っていく感覚に思わず目を閉じた。
「もう私から離れることはできないけれど…いい?」
「…ん?」
首を伸ばして覗き込む麗しい横顔がすぐ側にある。ズルいくらい長い睫毛は、伏し目がちなアシュリーの美しさを彩るほんの一部でしかない。
(本当に綺麗な人ね…何回そう思ったかしら?)
彼の様々な表情を目にする度に、心臓が跳ね上がった。今後、一生この胸のトキメキを感じて生きて行けるとは贅沢過ぎる。二度目の今生は長生きできるよう…レティシアは神様へ願うばかりだ。
「離れてくれって言われても、離れませんよ」
「…私もだ…よかった…」
「…っ、苦しい…求婚を受けたのに、まだ何か心配事?」
ギュッとレティシアを締めつけていた両腕が緩み、金色の瞳がこちらを向く。
「…レティシアの前世の世界に“番”という言葉はあるか?」
「つがい…番?パッと思いつくのは、動物のカップルね。強い絆で結ばれているとか…そういうイメージ。どうして?」
「言葉の意味合いは近いな…ここでは、主に獣人族の運命の相手を番と言う。獣人たちは、自分と番うべき伴侶と必ず出会えるとは限らない。たった一人しかいない番を求めて、放浪の旅へ出る者もいる」
「会えたら奇跡なのね」
「そうなるな。年齢や性別に関係なく強く惹かれ合う。上手く結ばれても、甘い愛情ばかりではなく激しい欲望にも支配される」
アシュリーが何を言いたいのか?彼から詳しく話を聞いている内に、獣人族が匂いで相手を見つけるという話で…レティシアは少しピンと来た。
「異種族間でも運命の相手は存在する。神獣と花嫁は番以上に強く結ばれる間柄。異世界から召喚する程に、サハラ様は聖女様を待ち望んでおられた。実は、神獣と繋がりのある我々王族の中には番を持つ者が時々現れる。…父上がそうだ」
「え?」
「父上は番である母上だけしか愛さない、だから側妃を持たなかった。母上と出会った瞬間に、特別な香りで番だと気付いたらしい。母上は、レティシアのように父上の魔力香が分かる」
「…それって…あれ?…もしかして、殿下は私から匂いがしていたりするの?」
「………すごく甘い香りがするよ…」
「…初耳…」
レティシアの耳の後ろや首元に鼻先を埋めて、アシュリーがクンッと息を吸い込む。
そういえば、偶にこうして『甘い』と呟いていたかもしれない…考えを巡らせている間に、悪戯な唇が首筋に何度も吸い付いてゾクゾクさせられる。
「レティシアは、私の番だ」
「……一体いつから?」
「呪いが解けた後に、初めて香りを感じた。…だが、私がレティシアに恋をしたほうがそれよりもずっと早かったことは、知っているだろう?」
アシュリーは番の強制力と自分の恋心は別物だという思いが強く、レティシアと恋人になって以降もこの話をして来なかった。
「知っているも何も…私の記憶に間違いがなければ、殿下は解呪までに二回告白しているわよ?」
「………うん…」
「私は、殿下が運命の相手だと思っていたけれど…殿下にとって、私もそうだったのね?」
「……振られても…告白しておいてよかったな…」
「ふふふっ…おかしい。でも、急にどうしたの?」
呆然とするアシュリーの顔を見て笑うレティシアは、与えられる愛情を微塵も疑ってなどいない…或いは、気持ちをちゃんと汲み取ってくれている。これだから、レティシアには敵わない。完全にアシュリーの杞憂だった。
「…いや、父上から叔父上を見習うように言われて…」
「公爵閣下を?…閣下は愛妻家ですものね」
「叔父上にそれを伝えたら、見習いたいならばレティシアに隠し事はするなと…言われた」
「…大変、まだあったの…隠し事…?」
本日の公開が遅くなりまして、大変申し訳ございません。
いつも読んで下さいまして、誠にありがとうございます。
次話の投稿は、8/14~18頃を予定しております。宜しくお願いします。
─ miy ─