173 新生活三度目
大会議室では、通常十人以上が集まって議論や討論で意見交換をしている。
大会議室と距離が近いこの応接室は、会議参加者やその側近たちの控えの間としても使用されるため応接室としては広め、大小サイズの違うテーブルやソファー、椅子がセンスよく据えられていた。
「さて、座って話をしよう」
クライスに促されたレイヴンは、大きな楕円形のテーブルの周りを取り囲む幾つもの小ぶりなソファーの中から、元々座っていた一人掛けのソファーへサッと腰掛ける。続いて、アシュリーとレティシアもクライスと丁度向き合うよう…二人掛けのソファーに並んで着席した。
(…狭くない…?)
アシュリーのエスコートを受けて腰を下ろしたソファーは、二人掛けかと思いきや1.5人掛け…おそらくは恰幅のいい男性や、ドレスを身に着けた女性向けではないだろうか?…隣で素知らぬふりをして密着するアシュリーの横顔を思わず見上げた。
今さら席を代わるのは無理だと分かっていても、目で訴えずにはいられない。ところが、レティシアの視線をアシュリーは微笑みで躱し、こっそりと手まで握ってくる。
(へ?…殿下…まさか、最初からそのつもりで?!)
困惑気味に頬を染めるレティシアの耳に、同情するかのようなクライスの咳払いが聞こえた。
♢
「一人残されたカストルの次男…ケルビンの身の上を案じていたのだが、ユティス公爵の庇護下に置くと決まった」
「叔父上のところへ?」
王太子時代に生前のカストルと交流のあったクライスは、グラハムが引き起こしたウィンザム侯爵家の陰惨な事件に心を痛め、両親と兄姉を突然喪った上に幽閉生活を余儀なくされたケルビンを不憫に思っていた。
「確かに…分家筋へ預ければ、また同じ目に合わないとも限りません。ユティス公爵家には同年齢のラファエルもおりますし、いい環境だと思います。…レティシアと入れ違いになったな」
「えぇ、ユティス公爵ご夫妻の下なら安心ですわ」
「ケルビンは、利用価値があるとグラハムに軟禁されていた。土属性の魔法に秀でていて、以前は花の手入れが好きな少年だったそうだ。亡くなった庭師には遠く及ばなくても、公爵家の広大な土地で草花や自然と触れ合うのは悪くないだろうと思う」
「土属性なら、領地開拓や魔法石の採掘にも役立つ能力…街中で生きる者だけが国を潤しているわけではありません、いいご縁ではないでしょうか。きっと、神々のお導きあってのことです」
「…私もそう思いたい…」
アシュリーとレイヴンの言葉に、自分の判断が間違っていなかったと安堵したのか…クライスの表情が和らいだ。
クライスの疲労度を見る限り、あまり長居はできない。
高貴な香りと適度な渋みのある最高級紅茶の味を堪能し終えたタイミングで、三人は応接室を出る。レティシアは帝国へ戻るレイヴンに別れを告げ、その足で聖女宮に向かった。
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「レイヴンの報告が終わったのね、よく来てくれたわ。同化した後の体調はどうかしら?」
美しく咲き誇る大輪の薔薇と、華やかで情熱的な甘い香りを楽しめるお気に入りのテラスで、ガーデンベンチに座ったサオリがレティシアを笑顔で迎える。
「…あらあら…今にも泣き出しそうな顔をして…あなたに初めて会った日を思い出すわね。さぁ、隣へお座りなさい」
「…サオリさん…っ…ザックさんが…」
明るい陽射しをたっぷりと浴び、風に揺れる生き生きとした薔薇を目にすると、麦わら帽子を被ったザックがひょっこり姿を現す絵が思い浮かぶ。
サオリは、青い宝石のような瞳からポロポロと涙を零すレティシアの肩を優しく抱き寄せた。
「えぇ…病気で先は長くなかったとしても、穏やかな最期を迎えられずにこの世を去るだなんて、本当に無念でならない。大事に育てられた弟子たちが、彼の遺志を継いで行くでしょう」
「…はい…」
「ザックにユティス公爵家を紹介したのは私だったのよ…まさか、こんな事件に遭うだなんて思いもしなかった」
「………サオリさんは悪くない…」
「え?」
「…ロザリーは、私のために街へ出掛けて…それで…」
「レティシア?…私が気弱なことを言ってしまったせいね…違うの、よく聞いて…私たちには何の罪も責任もない」
サオリは頭を振りながら語尾を強め、俯いてしまったレティシアの固く握られた拳を自分の両手で包み込んだ。
じんわりと伝わって来る清らかな温もりに、レティシアはゆっくりと顔を上げる。
「咎を背負うべき者は別にいるわ」
「…分かっています…でも、つい考えてしまうんです…」
「そうね…私たちは人間だもの、理屈では感情を抑えられなくて当然よ」
「…もし、私がアルティア王国へ来なければ…」
「大公が聞いたら卒倒するわ、やめてちょうだい」
サオリが眉間にシワを寄せて険しい顔つきになったかと思うと、レティシアをギュッと…愛情一杯に抱き締めた。
「ご…ごめんなさい。今の私は、殿下との出会いを後悔したりしません。サオリさんやロザリー、ザックさんも…この王国で皆さんと過ごした幸せな時間を、全部否定することになるから」
「そうよ、レティシア。ザックが亡くなって悲しくて悔しい…だけど、彼は私たちに素晴らしい庭園を数多く残してくれた。こうして薔薇園を眺めれば、いつでもザックを偲ぶことができるわ」
「はい…あの太陽みたいな明るい笑顔を…思い出します」
(…私、現世の記憶は二度と失いたくない…)
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「旦那様、レティシア様、お帰りなさいませ」
「セバス、今戻った。…首尾は?」
「整ってございます」
大公邸の最上階には、ユティス公爵邸と同じく地下室の他にもう一つの魔法陣が備わっている。
本館の最上階は改装中で、ここへ初めて立ち入った…いや、アシュリーに抱き上げられて魔法陣で帰り着いたレティシアは、侍従長セバスチャンの出迎えを受けた。
満面の笑みを浮かべるセバスチャンは、実は侍女長のパメラと夫婦。さらに、息子と娘も現在アシュリーに仕えている。
前君主ユティス公爵が大公邸を去る際、セバスチャンを新しい侍従長に任命し、邸に留まる多くの男性使用人の取りまとめを託した。
大公邸が女人禁制となったため、クロエ夫人の側仕えだった妻と娘は公爵邸へ移り、セバスチャンと息子は大公邸に残る…要するに、一家は男女に分かれて別居生活を送っていたのだ。
今では家族揃って仲良く暮らしているセバスチャンは、アシュリーに大きな変化をもたらしたレティシアに毎日感謝している。
「レティシア、やっと君の部屋が完成した。待たせてすまなかった、今日からは新しい部屋で過ごして欲しい」
「…え?」
「仮住まいの離れにございましたレティシア様のお荷物は全て侍女たちが移動させております、ご安心くださいませ」
「そ…そうなのね、いない間に引っ越しが終わっているなんて…お手間を掛けましたわ、侍従長」
「とんでもございません」
「部屋はこの階にある、このまま行こう」
「この階って…あっ、殿下…私歩きます!下ろしてください」
「旦那様、クローゼットは依然空きが多うございます。その辺り、きちんとお考えくださいませ」
「…うむ、その内な…」
「…旦那様ぁ…」
レティシアを抱え、アシュリーは歯噛みするセバスチャンの前を足早に通り過ぎて行く。
♢
「「大公殿下、レティシア様、お帰りなさいませ」」
部屋の前や廊下には騎士と侍女が数人立っていて、全員が深々と頭を下げる。
侍女によって左右の扉が大きく開かれると、真新しい部屋の香りがレティシアの鼻先を掠めた。
「…っ…わぁぁ…」
「どうかな?」
高級な調度品の大きさや重厚感を感じさせない高い天井と広い空間に、バルコニーの向こう側から薄いカーテンを通り抜けて降り注ぐ柔らかな光が反射して、部屋全体が輝やいて見える。
お姫様抱っこが恥ずかしいという気持ちも吹っ飛ぶくらいに、ゆったりと優雅で綺麗な部屋だった。
目を引いたのは、深い色合いのウォルナットで作られた上品な机と、ぎっしり本の詰まった本棚。床に降り立ったレティシアは、机の滑らかな木目を手で撫でる。
「これ…勉強机?」
「君は、読書や勉強が好きみたいだから」
「ふふっ、刺繍よりはね。素敵!本もたくさん読みたいわ!!」
本棚には新しい本ばかりでなく、古い書物や他国の文字で書かれた伝記など、様々なジャンルのものがバランスよく混ざっていた。
(一冊一冊…殿下が選んでくれたのかしら?)
良質な木製の家具がベージュの床材に馴染んで、落ち着いた雰囲気が心地よい。ヨーロッパ調の白いイメージや、豪奢な貴族の部屋とはひと味違う…レティシアのために丁寧に設えられた特別室だ。
「今日からここで?…こんな立派なお部屋を…私が使ってもいいの?」
「勿論だよ…気に入ってくれた?」
「…気に入らないわけがないわ…夢みたい…」
「………喜んで貰えたなら…よかった…」
レティシアの反応に好感触を得て、肩の荷を下ろした解放感で立ち尽くすアシュリーに…そっと抱きつく。
「殿下、ありがとうございます」
「…うん…あぁ、隣の部屋には浴室があるんだ、見てみる?」
「大浴場を作ったりしてない…?」
「ハハッ…!!」
いつもの笑い声が、広い部屋に響いた。
読んで下さいまして、誠にありがとうございます。
大型連休、GWですね。皆様が楽しいお休みを過ごせますように!
次話の投稿は5/6~10頃を予定しています。宜しくお願い致します。
─ miy ─