150 ジュリオン・トラス2
「父上!」
「もう来たのか…ジュリオン」
ルブラン王国、トラス侯爵家当主の執務室。
朝早く国王に呼び出され、昼前にやっと邸へ帰り着いたクロードは、すぐさま駆けつけたジュリオンの姿を目にして…項垂れた。
「…そのご様子では…」
力なく呟いたジュリオンの瞳が、光を失ったかのようにみるみる曇り始める。
クロードは小さくため息をついた後、ジュリオンをソファーに座らせ…強張った肩を撫で解す。
「私は朝食もそこそこに邸を出て国王陛下へ拝謁を賜り、馬車に揺られ…今戻った。茶の一杯くらい飲ませて貰いたいところだぞ?」
「大変…申し訳ありません、気が急いておりました」
「…やれやれ、部屋に使いをやるまで待てないとは…」
ゆっくりとソファーへ腰掛けて向かい合うクロードを、ジュリオンはすがるような目で見つめる。
「何から話すべきか…まぁ、結論から言おう。レティシアに会う許可は得られた」
「…っ…!!」
不安気な顔つきが一変、目と口をパッと勢いよく開いたジュリオンは、緊張と驚きのあまり脱力して…ヨロヨロとソファーに片手をついた。
「ただし、予想通りこちらの希望はほぼ通らなかった。
レティシアが暮らすラスティア国へは入れない。数日間滞在をして、何度か会う機会を作れないかと思って願い出ていたが…面会はアルティア王国の王宮内で一回のみ、それも半日だけだ」
「…つまり、滞在するなという意味ですね…」
「そうだな」
「“聖女の妹”という王国内での公的な立場を利用して使者を送ったのですから、レティシア個人の時間を充てる必要がないと判断されても仕方がないでしょう。
誓約の裏をかいて無茶を言っているのは私です、レティシアと少しでも話ができるのならば…どのような状況でも構いません。父上には大変ご面倒をおかけしました、本当にありがとうございます」
「…うむ…」
そもそも、誓約上はラスティア国でのレティシアの生活に一切関われない。それは、レティシア本人の意思でもあったはず。
一度誓った約束を後になって理由をつけて覆すなど、ラスティア国大公への無礼極まりない行いと受け取られても仕方がなく、また…私的な部分とはいえ、商売人としては信頼を失う行為だといえる。
それでも、クロードはジュリオンのためを思い行動に踏み切った。
欲を出し過ぎれば、根っこから断ち切られて終わり。
ほんの少し加減を見て要望を上乗せしておくことで、削ぎ落とされた後も最低限の望みだけをどうにか死守できている。
ジュリオン単独では警戒されるだろうと、婚約者のブリジットを連れて行く作戦が功を奏したのかもしれない。
「知らせを受けたレティシアが、面会を了承したと聞いている。…ルブラン王国国王の名がなければ、耳に届かなかった話かもしれんがな。使者として向かった王宮魔法使いパウロは彼女に会えておらず、今のところそれ以上の情報は何もない」
ジュリオンの『会いたい』という欲求を満たすことがどれ程に大事か…よく分かっているクロードは、たとえ嫌々であったとしても、レティシアの許しが有り難いと身に沁みて感じる。
「片道四日間、場合によってはそれ以上かかる道のりだ…往復十日くらいの旅になりそうだな。
ブリジット、案内人や世話役、護衛に王宮魔法使い、諸々…全てお前の管理の下、同行させることになる。責任重大だが、やれるな」
「やります」
「ならば…よかろう。ブリジットは初めての長旅、十分に気遣ってやるんだぞ。ここを離れて仲を深める…またとない機会だ」
「…はい…」
「半年も経てば、お前たちは結婚準備で忙しくなる…おそらく、次はない。今以上の禍根を残さぬよう、最大限の礼を尽くせ」
「心得ております」
「それから…ジュリオン、悪いことは言わない…妹への恋情がまだ残っているのなら、気持ちを整理して解消してきなさい。それができる最後の機会になる」
「………父上…」
「レティシアは…聖女殿の妹レティシア・アリスとして、新しい人生を歩み始めているのだ。お前も前へ進まねばなるまい」
将来のトラス侯爵家を背負って生きて行く、長く続いていくであろうジュリオン自身の未来に目を向けて欲しいと…クロードは優しく諭した。
──────────
「いいこと、レティシア…いえ、今日はアリスね!私が先に挨拶をして確かめるから、呼ぶまで大人しくしているのよ」
「はい、お姉様」
「大公は、私と一緒に行きましょう」
「聖女様の仰せのままに…。レティ……ん、アリス」
「はい、殿下」
「…抱き締めさせて。とても不安なんだ…」
「え?…い、今ここで…?」
「カイン、ゴードン、ルーク…後ろを向いていろ」
「「「…はっ…」」」
今日は、ルブラン王国から遥々やって来たトラス侯爵家のジュリオンと対面し、会食をする日。
王宮の隣接地には、来賓用に用意された特別な建物がある。
そこへと続く真っ白で長い回廊、美しい庭園に沿って花々に囲まれた緩やかなS字状の通路を歩いている途中、アシュリーは立ち止まってレティシアを腕の中に包み込む。
ピタリと身体を寄せたアシュリーから香る爽やかな魔力香にレティシアがうっとりしていると、チュッと額に口付けられてしまった。
(…あ…殿下、別に不安じゃないんでしょう?…私は香りで分かるんですよっ)
レティシアがジロリと見上げれば、ニヤッと悪戯っ子のような笑みを返してくるのだから困ったものだ。
「今日のドレスもよく似合っている、明るい色合いが可愛いらしい。あのデザイナーが選ぶものは、生地も上質でいいな」
「黄色って、初めて着ましたね」
「…金ピカが嫌だっていうから…」
「嫌…って、アレはめちゃくちゃお値段が高いに決まってます、私が身に着けていいドレスではありませんよ」
「…ふぅん…」
アシュリーは愛おしそうにレティシアの柔らかな髪を撫でて再び額に口付け、恭しく手を取り歩き出す。
「まぁいい、次の機会に着せるとしよう。…では、行こうか」
♢
「アルティア王国、守護神の花嫁聖女様、ラスティア国ルデイア大公殿下、初めてご挨拶を申し上げます。ルブラン王国より参りました、ジュリオン・トラスでございます。こちらは、私の婚約者ブリジット・コールマンにございます」
「聖女様、ルデイア大公殿下、お目通りが叶い大変光栄でございます。…ブリジット・コールマンと申します」
「本日は貴重なお時間を賜り、誠にありがとう存じます。私、ジュリオン・トラスは…この度いただきましたご恩情を、生涯忘れることはございません、心より厚く御礼申し上げます」
揃って深く丁寧に頭を下げる二人。張り詰めた空気の中、身を固くしている様子が窺える。
聖女サオリの神聖なオーラ、大公アシュリーの魔力の威圧感。防御力ゼロの者が間近で浴びれば、圧倒的な強者を前に身体が萎縮してしまうのは当たり前。
レイヴンの魔法をはじめ、加護をいくつも与えられているレティシアが特別なのは…言うまでもない。
「遠い国から、よくお出でになりました。
数々の珍しい献上品は、例外的な扱いとして頂戴することといたしましょう。さぁ…顔をお上げなさい」
「「…はい…」」
サオリは、背筋をピンと立てたジュリオンとブリジットをじっくり眺める。
ルブラン王国では見ないサオリの黒い瞳に、ジュリオンは惹き込まれそうになり…思わず目を瞬かせた。
「トラス卿は…どうやら、悪い気を抱え込んでいるようね」
「…っ…わ、私が…で…ございますか…」
「世の人、皆が聖人だとは言いません。ただ、あなたは少々溜め過ぎではないかしら。その自覚はあって?」
「……あ……」
「上手く発散できない、或いは…まだ発散し足りない…たとえば、意趣返しとか…」
心を見透かされているような怖れを感じ、一歩後退ってふらついたジュリオンをブリジットが支える。
「私、妹のアリスをとても可愛がっておりますの。
どこへ向くか分からないその毒気を放置したまま会わせるわけにはいかない、強制的に捨てていただくわ」
「…ジュリオン!…っ…聖女様…どうかお待ちくだ…」
─ 聖なる癒しの精霊たちよ 我に従い穢れを祓いたまえ ─
サオリの詠唱により銀色に輝く光の輪が床に突如として現れ、ジュリオンが眩しい光に覆われると、ブリジットはそこから弾き出された。
─ 浄化の聖光 ─
──────────
レティシアは、サオリに言われた通り…隣室で大人しくアシュリーが迎えに来るのを待っている。
「…んっ?!」
(…何だろう?今のピリッとする感じ…)
とうとう150話まできました。
いつも読んでくださる皆様、誠にありがとうございます!
次話の投稿は10/12の予定です。宜しくお願い致します。
─ miy ─