132 変化3
「耳飾りは…赤い…これにしよう」
「畏まりました。アリス様は髪が淡いお色ですから、小ぶりな赤い宝石でもよく目立ちますね。お選びになったドレスは、優雅で品があって…柔らかな印象のアリス様に大変お似合いです」
「ふむ…やはり、少し胸元と背中が開き過ぎではないか?」
「大公殿下、背中の開きを半分にしたばかりではありませんか。ご立派なお胸と白い肌をお持ちですのに、隠すなんて勿体ない…」
ここは、所謂…王室御用達の高級ブティック。
通常であれば宮殿や貴族の邸へデザイナーがやって来るものだが、立派な大公秘書官という肩書きを持つレティシアは、王族でも貴族でもなく…居候の身。よって、ブティックへはアシュリーの顔で入店している。
アシュリーとやり取りをしているのは、この店のトップデザイナーのカナリヤ(40歳)だ。レモンイエローの髪色は正に錦糸雀。肉付きのいい体格はどっしりとしていて、高貴な圧にも負けない感じがいい。
アシュリーが選んだのは、シャンパンゴールドの軽くて柔らかい布地のお茶会用デイドレス。
胸元や肩、スカートにドレープが入っていて、布の細やかな光沢が美しい。シンプルで装飾は控えめ、女性らしいラインのドレスは、パーティー用とは違いスカートの膨らみも抑え気味だった。
試着をしたレティシアも、このドレスならば動きやすいと賛成する。高級店のドレスはお幾らなのか?ついつい価格を気にする言葉を零すレティシアの口は、アシュリーの唇に塞がれてしまった。
露出度の高いドレスで着飾った女性と付き添いの男性が一緒に試着室へ入ると、なかなか出て来ない場合も多く…こういった店では余計な詮索をしない。
「男性は私と父上だけだが、従者たちがいる…上から羽織るショールも頼む」
「えぇっ…これ以上隠されるのですか?!」
「私的な茶会だ、服装に規定はない。好きにさせて貰う」
見目好い女性をこれでもかと盛装させ、自慢気に連れ歩いて披露するのは男の大きな夢の一つであるというのに、譲らないアシュリーの独占欲がカナリヤのデザイナーとしての誇りを退ける。
「さ、左様でございますか。ですが…お茶会の席が不慣れと仰るアリス様には、せっかくのショールが邪魔になりましょう」
「…………」
「ショ…ショート丈のケープをご用意するのは如何ですか?それなら、お茶会が始まる直前に簡単に取り外せます」
頭を抱えたカナリヤは、茶会寸前までレティシアの肌を隠す苦肉の策で…アシュリーの欲を何とか満たすことに成功した。
「カナリヤ様、アリス様のウエストラインを整えました。かなり布地が余るのですが…カットせずに、スカートのこちら側にもドレープを作ってはいかがでしょうか?」
「あら、そうね…お胸にボリュームがおありだから、そうしてもよさそうね。じゃあ、黒いベルトを少し太くして…」
カナリヤの指示通りに動く数人の女性に囲まれ、鏡の前でドレスのサイズ調整をしているレティシアの姿を、アシュリーが満足そうに眺めている。
「アリス様は本当にお綺麗ですわね。新聞のお写真よりも素敵なお嬢様で驚きました。それに、美の女神様のようなスタイル…完璧でいらっしゃいます」
「あぁ…彼女は、私だけの女神だからな…」
──────────
ブティックでドレス選びが終わった後、アシュリーが『一緒に街へ出よう』と言い出す。
以前の一日体験とは違い、今度は本物のデートだ。いつの間にか、レティシアのワンピースや靴がちゃんと揃えられていた。最早行く選択肢しかない。
「殿下の髪を触るのは、久し振りですね」
再び馬車に揺られながら、聖女宮で治療を受けた後結っていなかった艶々の黒髪をレティシアがハーフアップに整える。アシュリーはコートと上着を脱いで、軽い認識阻害の魔法を自分とレティシアに施す。こうしておけば、スリなどの物盗り被害を防げて便利らしい。この魔法をもっと強くすれば、透明人間になれるのかもしれない。
「本来なら、私は人目につかぬよう姿を変えるべきなのだが…このままでも構わないか?」
「はい」
「伯爵の姿のほうが好きなら…そう言ってくれ」
「いいえ、私の好きなタイプは殿下ですよ」
丸い大きな瞳を向けてハッキリと答えるレティシアの言葉がアシュリーのハートに突き刺さって、うれしさのあまり暫く悶絶した。
♢
高級ブティックのある大通りから馬車で五分も走れば、小さな店が立ち並んだやや庶民的な街並みへと景色が変わっていく。
アシュリーと共に人通りの多い下町風な石畳の商店街を歩き回る。ぼんやりしていると、すれ違いざまに誰かと肩が触れるくらいに賑わっていた。
「あれは露店かしら?もしかして、食べ歩きができるの?…あ、あっちは公園ね」
「公園というか広場だな。催事場としても使われている。感謝祭では、ここで無料の食事が振る舞われた。…レティシア、走るな」
「早く、早く!」
大きな噴水のある広場の出入口には、様々な屋台が週替わりで出店していて、時々蚤の市などの大規模な催しも行われる。
「これは人気商品の“ロップサンド”だ。食べてみるか?」
「…くぅ~…いい匂い!私を太らせる誘惑め…」
たった今、甘いアイスを二個も食べたばかり。甘いものの後で、丁度塩っぱいものや濃い味のものが欲しくなっていた。レティシアは、アシュリーが手に持つホットドッグ的なサンドを恨めしげに睨む。
「なぜそんな顔をする?」
「サハラ様が、もっと肉をつけろ!太れ!って言うから…つい。私、抱き心地悪いですか…?」
「いや…悪いと思ったことはない。サハラ様は、私の看病をしていたレティシアの身体を心配したんだろう。気にするな…ほら、口を開けてごらん」
アシュリーはレティシアの口元へ“ロップサンド”を運ぶ。ハムハムと口を動かし、一口分を切り離そうと懸命に頑張る姿は…子兎にしか見えない。
「…フッ…餌付けがクセになりそうだ…」
「…んむっ、おいふぃ…」
レティシアの青い瞳がキラキラして、美味しいと訴えて来る。アシュリーも思わず一口かじって肯いた。
「これは人気があるはず!濃いめの味付けの甘辛いお肉が柔らかくて、噛まなくても溶ける…しっとりパンと合うわ」
「うん、気に入ってくれたようでよかった」
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「殿下、お帰りなさいませ。随分とごゆっくりでしたね」
執務室へ戻ると、見張りのいない室内で一人黙々と事務処理をしていたパトリックが顔を上げる。
「それは嫌味か…?」
「冷やかしです」
「まぁ…今日は、甘んじて受けよう」
「『女神』との逢瀬はいかがでした?」
「パトリックのお陰で、わだかまりが解けた。感謝する」
「………はい?」
パトリックは眼鏡をグイッと持ち上げ、アシュリーの顔色がすこぶるいいことをしっかり確認した。
自分が何に貢献したのかは分からないが、二人の関係が進展して主人の精神が回復したと知ってホッとする。
「店の手配も助かった。今日は、もう帰っていいぞ」
「お給料はいただけるので?」
「無論だ、また明日から頼む。あぁ、給料のない男も一人いたな…仕方がない、撤回しておいてやるか」
「分かりました、ありがとうございます。レティシアに引き継ぎをしてから、帰らせていただきます」
「ご苦労だった」
アシュリーは執務机に積まれた書類に目を通しながら、個人秘書官室へと入っていくパトリックの背中を見送った。
「幸せ過ぎてもおかしくなるのが恋か。パトリックにまで嫉妬をしてしまう私は…かなり厄介な男だな。…重症というのは的を射ている…」
ここまでお読み頂きまして、誠にありがとうございます。
最近、一話の文字数はどのくらいが適正なのかな?と…分からなくなってきました…。
一話を書くのにとても時間がかかっているので、気にするのはそこではない!と突っ込まれるところかもしれませんが…読みにくかったら…申し訳ありません。
次話の投稿は7/21を予定しています。よろしくお願いいたします。
─ miy ─