119 治療3
「魔法薬が完成したよ」
日付が変わって深夜一時過ぎ、アシュリーの手を握ったままベッド脇でウトウトしていたレティシアは、スカイラの声でハッと目を覚ます。
サオリは湯浴みと着替えを済ませ、パトリックは雑務処理を終えて、それぞれ治療室内でスカイラがやって来るのをじっと待っていた。
「よかった!こんなに短時間で…流石はおばあ様だわ」
「大魔女様、ありがとうございます!ありがとうございます!」
「何だか久しぶりに緊張したねぇ。さぁ、皆で見ておくれ…レティシアは起きているかい?」
「はい、大魔女様。本当にお疲れ様でございました」
スカイラは手招きをして三人を集めると、目薬のような小さな容器をテーブルの上に並べた。
「これが呪いを解く魔法薬だ。私の作る解呪薬は通常なら三回も飲めば完了するが、意識がはっきりしない大公に飲ませやすいように一回の分量は少なく、その分回数を多くしなければならない」
「九回分…三倍ですね」
容器は全部で九つある。レティシアは、最初よりも紫色が濃くなった魔法薬を眺めた。
「実は、魔法の拘束を解きながらジワジワと段階的に呪いを弱らせる作戦には、こっちのほうが向いているんだよ。熱がどのくらいで下がるかは、薬を飲ませて様子を見ていくしかない。五回飲むまでに回復の兆しが表れればしめたものさ。レティシア…」
「…はい…」
「早速、大公に飲ませてみよう」
テーブルから容器を一つ取ったスカイラは、レティシアの手に魔法薬を握らせる。大魔女の黒い瞳に見つめられたレティシアは、小さく頷いた。
「薬は、容器から直接口の中に入れればいいのですか?」
「貴重な薬だからね…零したり吐き出さないように注意して、全て飲ませないといけない。唾を飲み込むタイミングに合わせるといい」
「私にできるでしょうか?あまり自信がありません」
「いい方法が一つだけある、耳を貸しな」
「はい」
─ 口移しで飲ませるのさ ─
「…えっ…口?!…む…無理です!」
「別に恥ずかしがることはない、これは大事な医療行為だよ。口移しで少しずつ与えるのが一番上手くいく」
「…医療行為…」
「秘書官は、大公のためなら協力を惜しまないんだろう?」
「…それは…」
(あぁ…確かに、私『何でもやる』って言いました)
「レティシアが無理なら、パトリックにやって貰う」
「……は?…大魔女様、どうして私が?」
「私とサオリは女性だ、大公に触れて何かあったらどうするんだい。残るは男性のお前さんだけさ。まぁ…女と付き合ったことがなさそうだし、ちゃんとキスができるのかも怪しいがねぇ」
「キキキッス?!…いや、何か魔法あるでっ…モガッ」
「ちょーっと黙ってて」
パトリックはサオリに口を押さえられ、羽交い締めにされる。
「レティシア、このキス未経験の男に大公の唇を渡していいのかい?」
「…いえ、やります…私にやらせてください…」
何か言いたげなパトリックの目つきが怖かった。
──────────
「レティシア、一人で閉じこもっちゃったけれど…大丈夫かしら?」
「部屋を追い出された我々は待つしかないね。別にキスが初めてってわけでもないだろう?」
「えぇ…でも、今までは大公がレティシアに…」
「あの、少々よろしいですか?」
治療室前の待合所で三人並んで座っていると、右端にいたパトリックが手を挙げて身を乗り出し、スカイラとサオリの会話に割り込む。
「何だい?」
「大魔女様は『口移しで』と仰いましたが…つまり、レティシアも魔法薬を口に含むわけです。危険はないのでしょうか?」
「強い薬だから、少量とはいえよくないね」
「えっ?」
「大丈夫、加護持ちのレティシアには影響がない」
「…最初っから、レティシア一択じゃないですか…」
「そうだよ」
「……そうだよ?」
なぜ自分を巻き込んだのか?!と、パトリックはスカイラに鋭い非難の目を向けた。
「当て馬のお陰で、すんなり了承したろう。そんなに怒るとは…まさか、大公とキスがしたかったのかい?」
「違います」
「あら、補佐官…大公に失恋しちゃったの?」
「違います!」
薬草茶を貶した仕返しとばかりにスカイラに弄ばれたパトリックは、話を元に戻して尋ねる。
「あの魔法薬は魅了入りでは?どうなるのですか?」
「今はもう魅了の効果はないに等しい状態だ。それに、二人は両想いだから…どの道関係ない」
「両想い?殿下がメロメロなのは最早隠しようがありません。ですが、レティシアは…」
「馬鹿だね、もうすぐメロメロになるんじゃないか。何のための口移しだと思ってるんだい」
「魔法薬を飲ませる医療行為…と、大魔女様がご自身で仰っていました」
パトリックは眼鏡を持ち上げ、キリッと真面目な顔で答えた。
「…ポンコツめ…」
──────────
──────────
「…口移しなんて初めて…失敗できないわ…」
(やることは、キスと同じよね?!)
「…これは大事な医療行為…医療行為よ…」
(急がないと!殿下が苦しんでいるの!)
アシュリーと二人きりになった治療室内で、レティシアは自問自答を繰り返す。落ち着かない心臓の音が、ドクドクと身体全体に鳴り響いて騒がしい。
「…よし…」
両手の拳を握り締め、気合を入れる。ベッドの端に腰を下ろして、アシュリーの長い睫毛、高い鼻梁、形のいい唇と順に眺め…適度に彫りが深いその美しい顔立ちに思わず吐息を漏らした。
(意識が混濁していても、声は届くかもしれない)
「私は、殿下の黄金の瞳が恋しいです…早く目覚めてください。…今から少し、お身体に触れますよ」
先ずは半量ずつ、二回での口移しに挑戦してみる。覚悟を決めて口に含んだ魔法薬は、見た目に反して無味無臭。水よりも多少粘り気のある唾液に近い液体で、溢れにくく扱いやすそうに思えた。
両手をアシュリーの頬に添えて、慎重に唇を重ねる。
「……ん……」
わずかに開いているアシュリーの唇の隙間に舌を差し入れるようにしてジワジワと広げ、咥内に魔法薬をトロリと流し込む。
張り詰めた空気の中で、鼻から息が抜けていく音がやけに気になった。
─ コクリ ─
(…っ…飲んだ?)
喉元が上下に動いているのが分かる。難なく成功した喜びに興奮して、今の感覚を忘れない内にと…急いで残った魔法薬を口に含み、同じことを繰り返した。
「…ん……んっ…?」
─ ジュッ ─
咥内へ侵入したレティシアの舌に、アシュリーの舌が弱々しく吸いつく。
喉を鳴らして魔法薬を欲しがり、舌を甘いキャンディと勘違いしているかのような動きをする。ぬるぬると擦り合わせるのが痺れるくらいに心地よくて、抜け出せない。
「…ふ…ぅん…っ…」
(はっ!…私ったら何をしているの?!)
アシュリーと離れたレティシアは、のぼせた頬を叩いた。