114 聖女宮4
「…その、緑色の頭は…パトリックじゃないかい?ちょいと、顔を見せてご覧よ」
「…っ…?!」
「ほら、早くおし!」
名を呼ばれた上に急かされ、サハラを前にして恐々と顔を上げたパトリックは、淑女の顔を見てしばしポカンとする。
「わ…私は、確かにパトリック・アンダーソンでございます…が…?」
「あははっ!私だよ、古の大魔女“スカイラ”さぁ」
「………え?………えーーーっ?!」
パトリックが知る“古の大魔女”は、100歳を超えたような年老いた見た目と、しわがれた声が特徴の老婆。腰は90度に曲がり、杖をついて歩いていた。
「…だっ、大魔女様っ?!…まさか…」
目の前で『大魔女スカイラ』と名乗る淑女は、身体にピッタリと張りつく黒のドレスをしゃんと着こなし、深いスリットからは生足を見せている…大人の魅力増々な“美熟女”。パトリックの記憶にある姿との共通点は紫色の髪だけ、つまりは別人だ。
「コレコレッ!こういう反応が堪らないんだよねぇ」
ケタケタと笑う豪胆な性格のスカイラと、呆れた顔をして眺めるサハラ…その二人をレティシアは見ていた。
「ほ…本当に、大魔女様で??」
「そうさ、パトリック。いや…まぁ、本当の姿なんてのは、とうの昔に忘れちまったよ」
「…話し方は…大魔女様のような…」
「ぅん、寂しいことを言うねぇ…一ヶ月共に過ごした仲じゃないか?」
「おっ…おかしな表現をするのはよしてください!あれは、私の職務の一環です!」
初心なパトリックが焦って否定するのを見て、スカイラはまた笑い出す。
♢
「……サハラ様……」
「何だ?」
「殿下を聖女宮へ運んでくださって、ありがとうございました」
「別に大したことはしていないがな」
「サハラ様がいなければ、殿下が治療を受けるまでに時間が掛かってしまったと思います…っん…」
レティシアを抱え上げるサハラの腕の力が、どういうわけかグッと強くなった。『下ろして欲しい』と言い難い妙な空気が気不味い。
「…ふむ…」
「……あの……古の大魔女様というのは…」
黙っているのも変な気がして、レティシアは思っていた疑問を声に出してみる。
「スカイラは、不死かと言われる程に長生きをしている最高位の魔法使いだ。今の姿が何歳かは知らぬがな」
「サハラ様のお知り合いですか?」
「アヴェルと親しい。王子や姫が生まれる度にやって来ては、名付けを一緒に考えたりしていたか?…その縁で、花嫁の召喚に力添えを頼んだ。スカイラはサオリの後見人で親代わりを務めているが、滅多に人前へは出て来ない」
「…そうなんですね…」
(アルティア王国と深い繋がりを持つお方で、且つ…レアキャラでいらっしゃる)
レティシアが小さく頷いていると、サハラが耳元へ口を寄せて囁いた。
『………もっと…胸以外にも肉をつけろ』
「…へ?……肉?」
何か聞き間違えをしただろうか?と、レティシアはサハラを見上げる。彼の視線は、ワンピースを押し上げて膨らむ胸に集中していた。
残念なことに…俗化してしまった神獣は、獣化した時のみ眩い清さを取り戻せるらしい。
「…どこを見て、何を仰っているのでしょう…」
『分かったか』
「…善処いたします…」
目が合えば、生気を奪われてしまいそうなくらい妖艶に微笑む。胸を両手でそっと覆い隠し、言動と表情のバランスが壊れているサハラを睨みつけると、わずかに片眉を上げてレティシアを床へと下ろす。
『こんなに骨張っていては、抱き心地が悪い』
「…ほ…骨っ…?!」
身体の肉付きなど、単にサハラの好みの問題ではないかと腹立たしく思う一方で、アシュリーにも抱き心地が悪いと思われているのだろうか?と…そこが少々気になった。
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「大魔女殿…貴女様がこの夜会にお越しであったとは存じませんでした。大変申し訳ございません」
「国王陛下、このような時にまで堅苦しい挨拶をなさる必要はございませんよ。お会いするのは、随分とお久しぶりですねぇ」
治療室から一人だけ出て来た国王クライスは、サハラと言葉を交わした後、スカイラにも敬意を払う。
スカイラはというと、幼子に向ける慈愛に満ちた眼差しをしていた。
「スカイラ、大公の様子を見に行くぞ。サオリが待っておる、早く行ってやらねば」
「…あぁ、そうだね…」
(…お二人がここへ来られたのは、殿下のため…)
連なって歩いて行く二人の背中へ、軽く頭を下げた国王が振り返る。その視界にパッと映ったのは、神妙な面持ちで立っているレティシアだった。
「レティシア・アリス」
「…こ、国王陛下…」
「そう怯えるな…我が王国で、聖女殿の妹という地位は決して低いものではないぞ。そなたは堂々と前を向いているほうが好い」
「…申し訳ございません…」
国王と対面して緊張するのは当然のこと。
それ以上に、アシュリーの具合と、治療室内でサオリから今回の経緯を聞いた国王が、新たな異変をどう感じ取ったのかが気になる。レティシアは俯いたまま周りの空気を吸い込み、ゴクリと喉を鳴らす。
「謝らずともよい、顔を上げよ」
「…はい…国王陛下…」
畏怖する気持ちを押し隠し、眉目秀麗な国王を真っ直ぐに見つめた。
レティシアの深い海を思わせる潤んだ瞳が気に入っている国王は、口元を緩め『それでいい』と呟くと…レティシアの頬に優しく触れる。
「このような事態になって、さぞ驚いたであろう」
「私は…その…責任を感じております」
「…なるほど…」
身体を強張らせるレティシアの手を取り、背中を支えた国王は、ソファーに座るようさり気なくエスコートをした。身に染みついている美しい所作は、ワンピースを着たレティシアが相手でも不自然さは微塵も感じられない。
「少し私と話そうか。…お前たちも楽にしていい」
「「「…はっ…」」」
カイン、パトリック、ゴードンの三人は、跪いた姿勢から素早く立ち上がり、壁際へと静かに移動して行く。
「レイを悪夢から救ってくれたそうだな?」
「…お役に立てて…光栄です…」
「見れば分かる程に顔色がよくなっていた。長い間、辛く苦しかったはずだ。王族を代表して、いや…兄として礼を言う…ありがとう」
「とんでもございません」
「まだ表情が硬いな」
「…どうか、ご容赦ください…」
「ふむ……レイにしたように、そなたが私の髪に触れたらどうなるのだろうな…」
「………はい?」
「私には魔力の滞る箇所はない。つまり、そなたの持つ力の効果がより正しく伝わる。私の髪を撫でてみたいとは思わないか?構わないぞ」
(他の人の髪を?考えたこともないわ…私は、殿下のために…殿下だから…)
国王が、なぜそんな突飛な発想をしたのかはよく分からない。ただ、レティシアは否定するのみ。
「どうした?」
「国王陛下、髪は魔力の象徴だと聞いております。興味本位で『触れていい』などと軽々しく仰ってはなりません。…と思います。確かに、加護や魔術を授かった私の身体に不思議なことは起きておりますが、私自身には魔力も何の力もないのです。それに、私は大公殿下にのみお仕えする個人秘書官でございます。国王陛下の髪を撫でるわけにはまいりません」
「…ほぅ…小さいのに、しっかりしていて揺るがないな…」
(…私、一応28歳なので…)
「レイだけではなく、もう少し私にも気を許して欲しいものだが…まぁよい、やっといい顔付きになった。では、改めて今回の件について話そうか」
「…あ…」
いつも読んで頂きまして、誠にありがとうございます。
6月、今年ももう半分になるのですね。
そして梅雨。体調管理には気をつけたいものです。
次話の投稿は6/8を予定しております。宜しくお願い致します。
相変わらずのスローペースで、大変に申し訳ありません。
─ miy ─