104 夜会では定番3
何ともお粗末な嫌がらせ。
プリメラは、レティシアがパーティー会場を去って行く惨めな姿を見たかったのだろう。汚れたドレスに涙して逃げ出せば尚よしと…期待していたのかもしれない。
ここは魔法の国、ワインの染みを消すのは簡単。ただし、ドレスに魔法を施すならば人前を避けて一旦会場から離れるのが淑女の礼儀作法。
ワイングラスを投げた瞬間に勝ちを確信したプリメラは、自分のシナリオ通りだと喜び…笑ったのだ。
♢
「…遠慮なさらずに、こちらのワインをどうぞ…」
すました様子でワインを勧めるレティシアとは対照的に、恥をかいたプリメラの顔は身に着けている派手なドレスと同じ、真っ赤な色をしていた。
呆気にとられている仲間の令嬢たちと比べてややふくよかな体型のプリメラは、美少女の部類に入る容貌をしていながら…ドぎついメイクと性格の悪さが濃過ぎて“残念”としか言いようがない。
会場内では周りの目もある。唇を噛み締め憎しみのこもった目つきでレティシアを睨むプリメラだが、ご自慢のシナリオが灰と化した今、グラスを受け取るしかなかった。
「…い…いただくわ…」
「今度は、落としたり躓いたりなさらないようお気をつけください。ご令嬢が怪我をしては大変ですもの」
微笑むレティシアが左手でグラスを渡し、添えた右手でプリメラの露出した手首に軽く触れれば…案の定、銀の指輪が邪気にピリリと反応する。小さくても、その強力な浄化の威力は何度も実証済みだ。
(あなたのその毒気、抜いてあげる!)
「プ…プリメラ様!他の場所へまいりましょう!」
「そ、それがいいですわっ!この席ではプリメラ様も不愉快ですもの」
「プリメラ様!…プリメラ様?行きましょう?!」
プリメラ、プリメラと…免罪符の如く連呼してやかましい。いつも同様の騒ぎを起こしては、四人で悦に入っている様子が目に浮かぶ。旗色が悪くなった仲良しグループは、明らかに焦っていた。
(…何でもいいから、早く立ち去って欲しい…)
レティシアのほうが帰りたい気分だが、そうもいかない。貴族との関わりが煩わしく不快だと言って、いつも顔を歪めるアシュリーの気持ちを深く理解する。
「わっ…私、とんでもないことをいたしました!!」
「「「プリメラ様っ?!!」」」
「申し訳ございません!グラスを投げつけるなんて…あぁ…どうお詫びすればよろしいのでしょう!!」
「「「えぇっ?!!」」」
その場でガクガクと震え出し、床へペタリと座り込んだプリメラが、いきなり懺悔を始めた。
三人の令嬢はわけが分からずに、顔を見合わせて唖然としたまま立ち尽くす。
(…めちゃくちゃ浄化されてる…)
こんなに短時間で180度態度を改めた者はレティシアの記憶にない。元は素直、いや…きっと頭の中が空っぽなのだ。
「お詫びですって?ご令嬢は先程『謝りました』と、仰っていたではありませんか…もう結構ですわ」
「でっ、でも……あぁっ!」
レティシアがドレスを右手で軽く叩くと、ワインの染みが銀色に発光してチラチラと美しく舞いながら消えていく。瑠璃色に落ちた赤いワイン一滴の穢れも見逃さない強烈な輝きは、舞台上でレティシアが祝福を授かった時と少し似ている。
その眩しさは、間近にいたプリメラが目を覆い隠す程。
「…聖魔法…?!」
小さな声で呟いた後、プリメラはヒュッと息を呑む。精霊たちの祈りが込められた、清らかに閃々と瞬く魔法は聖女のもの。信仰心など皆無のプリメラにも分かった。
「このドレスは、聖女であるサオリお姉様が…私にプレゼントしてくださいました」
「…聖女様…お姉様…?…贈られたドレス……もっ…申し訳ございません…」
「この通り、汚れはすぐに消えます。ご心配には及びませんけれど…残念ながら、こちらの世界ではワインを人にかけて楽しむ方がいらっしゃるようね」
口元は緩やかな弧を描いているのに、腑抜けた状態のプリメラを見下ろすレティシアの青い瞳は凍ったように冷ややか。取り巻きの令嬢たちも、ワイングラスを握りしめて立ち竦む。
「ご令嬢方は、そのワインをどうなさるおつもり?」
「「「…っ…!!!」」」
祝福を受けたところで所詮は平民だと、三人の令嬢たちはレティシアをナメていた節がある。最強の“侯爵令嬢”という盾を失い、自分たちへ矛先が向いた途端…俯いて黙り込んだ。
「私のドレスには聖魔法がかかっていて、汚れたり破れたりしたらサオリお姉様は分かるそうなの…」
「「「…………」」」
「ワインは、飲んで楽しんでいただけるとうれしいわ」
♢
数多く催されるパーティーの中で、令嬢同士の揉め事や家門の上下関係によるマウント取りはよくある。従って、レティシアは夜会の前にサオリから情報を貰っていた。
常識のある貴族ならば“聖女の妹”に悪意をぶつけることは絶対にしない。
ただし、貴族特有の会話を巧みに使ってレティシアを品定めして来る場合がある。相手の不敬を問える身分の高い男性=アシュリーと一緒にいれば安心だと、サオリには言われていた。
レティシアは異世界人であっても、召喚されたり聖力を持った特別な人間ではない。名を聞けば、平民だと誰にでも分かる。
貴族たちは、政治に介入しない平和の象徴である清廉な聖女や、家門を持たない平民が己の私欲を満たしてくれるとは考えないだろう。
「貴族令嬢に絡まれたら、それはレティシアが魅力的だという証拠。嫉妬しているのよ」
たった一度きりのパーティー、多少の困難ならば乗り越えようとレティシアは覚悟を決めていた。
「まぁ、何かあるとしたら…侯爵家のプリメラとかいう、馬鹿で小生意気な娘くらいかしら?」
現在、数少ない公爵家には妙齢の女性がいない。
令嬢の中で一番身分の高いプリメラは、パーティー会場には自分より格下の貴族令嬢しかいないと驕り高ぶっていた。彼女に意見する者は誰もおらず、やりたい放題。
「ギャフンと言わせてやればいいわ」
レティシアは、サオリの不敵な笑みを思い返す。
(サオリさん、ドンピシャですよ)
身支度に時間を掛け、遅れて感謝祭へとやって来たプリメラが会場入りしたのは“祝福の儀式”の後。
神に対する崇敬の念が薄い彼女は舞台上で行われる神事に見向きもせず、いつも通り令嬢たちを従えて会場内を歩いて回る。
スタイルがよく、品のいいドレスを着たレティシアを目にすると、うっかりドレスにワインを零したフリをしてパーティー会場から追放してやろうと企む。
しかし、レティシアは28歳の異世界人。今夜は相手が悪かった。
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「今宵は、我が王国の護り神と国民を結ぶ年に一度の感謝祭である。その祝いの場で、聖女殿の妹君に無礼を働いておきながら…揃って黙りとは驚いた」
「「「「…!!!!…」」」」
へたり込むプリメラの後方から現れたのは、険しい表情をしたアフィラム。
一体いつからこのやり取りを見ていたのか?レティシアはドキリとする。それは、プリメラたちも同じだった。
「…アフィラム殿下に…レティシア・アリスがご挨拶を申し上げます…」
「うむ、大事ないか?」
「…はい…」
「この者たちの言動は、日頃より目に余る」
(今の状況で口を挟めるのは、アフィラム殿下だからよね)
アフィラムの登場に顔面蒼白のプリメラは、立ち上がってよろめき…何とか淑女の礼をする。令嬢たちも慌ててそれに倣った。
「ア、アフィラム殿下に…ご…ご挨拶を…」
「ウィンザム侯爵令嬢…バルクレー伯爵令嬢、タナトゥス伯爵令嬢、ガレット伯爵令嬢…挨拶は結構だ」
「…っ…殿下…」
「「「…………」」」