101 夜会3
満を持して“王国の護り神”神獣サハラが悠然と立ち上がる。周りの空気を震撼させる圧倒的な存在感に、全員の視線が釘付けとなった。
慈しみの眼差しでサオリを甘く見つめながら歩み寄り、大きく腕を広げた後にゆったりと優しく抱き締めて…額へ口付けをする。神力の威力は、愛しい花嫁を包み込むと温もりと癒しに和らいだ。
あまりにも美しい神獣と聖女の抱擁に、貴族たちは吐息を漏らす。
サハラが『クオン』と呼べば、椅子から元気よく降り立ったクオンが両親に飛びつく。サハラはクオンを片腕で軽々と抱き上げた。
「我が花嫁の呼び掛けに耳を傾け、皆よく集まってくれた。今宵の祭りに心を寄せる全ての民に…大地の恵みがあらんことを…」
耳に直接語り掛けて来る神の声に痺れ、貴族たちは畏れ多いと口々に感謝の言葉を述べては頭を下げ、大きな拍手で喜びを表す。ある種の陶酔状態に入ったかのように、会場内の熱気が異様な高まりを見せる。
それに応えて、神獣サハラ、聖女サオリとクオンの三人が揃って手を振り笑顔を向けた。
♢
夜会のメインイベントであったレティシアのお披露目を見届けたサハラとクオンは、舞台上から立ち去る。
サオリを伴い、国王や王族が起立して見送る前を悠々と歩いて…舞台の端に立つアシュリーとレティシアのほうへ向かって来た。
(サハラ様は早々に退席するのね。…確かに、会場内をウロウロ歩き回るわけがないわ)
お皿を手に料理を物色する姿を勝手に想像して、思わず緩んだ口元を引き結ぶ。
サオリの座る椅子がなかったのは、一つの椅子で十分事足りるからだと…レティシアが理解をした時、すぐ側にはサハラが立っていた。
「アリス、いい名を授かったな」
「ありがとうございます、サハラ様。お姉様、今日は本当にいろいろとお世話になりました」
「お疲れ様、よく頑張ったわ。さぁ、もうここからは舞台を降りて自由よ。いい夜を過ごしてね。大公、アリスを頼みましたよ」
「…はい、聖女様」
「アリス!もう僕とは家族みたいなものだよね?」
「クオン様、よろしくお願いいたしますわ」
レティシアは屈んでクオンと向き合う。
人化しても変わらない、ビー玉みたいな丸くて青い瞳をうれしそうに細めてレティシアの首に抱きつくと…頬にチュッと可愛らしいキスをする。
「…んっ…」
「夜会だから、子供の僕はもう宮殿に戻らなきゃいけないんだ。…またね、アリス」
「は、はい。また…ですね」
まだ小さな子供なのに、上目遣いで囁いて大人を動揺させるとは…末恐ろしい。
──────────
「大丈夫か?」
「…あっ…」
アシュリーはレティシアの細い腰にさり気なく手を回すと、身体を引き寄せた。
レティシアは、足元がふらついていたことに気付く。
「すいません、ホッとして気が抜けていました。パーティーは初めてなもので、会場の雰囲気に当てられてしまったみたいです。ふふっ…堂々としていらしたのは、殿下のほうでしたね」
少し上気して白い肌をうっすらピンク色に染めたレティシアは、いつもより艶っぽく微笑む。髪からは香油と思われる上品な花の香りがした。
腰に回した手に高くなった体温を感じて、アシュリーはゴクリと喉を鳴らす。
今すぐ抱き締めたくなる危険な衝動をどう解消すればいいものか?自然と手に力が入って、気持ちの昂りと同時に魔力香が強くなり始める。
最近のレティシアは濃い香りを感じても心地よさを維持できているため、この程度ならば問題はなかった。
「……殿下?お疲れですか?」
「いや…うん、そうだな…早めに休憩を取れるといいのだが。ここからは、王族も会場内に出る。先ずは、両陛下にご挨拶をしておこうか」
「はい」
アシュリーはレティシアの手を取り、国王と王妃の下へ向かう。
本当は、レティシアをこのまま元いた奥の控室へ連れて戻りたい。しかし、お披露目を終えたレティシアを同伴して歩いてこそ、彼女の庇護者としての立場をより明確に周りに知らしめることができると…アシュリーは心の中で葛藤する。
「レティシア・アリス、祝福の儀式は大変に素晴らしいものであった」
「国王陛下、ありがとうございます」
「レティシア・アリス、聖女サオリより話は聞いております。喜んであなたを迎え入れましょう」
「王妃陛下、ありがとうございます」
パーティーの場で長々と挨拶をするのは不作法。
ほんの少し言葉を交わすと、続いて舞台上にいた宰相セドリックと魔法師団長イーサンにも声を掛けた。
「あぁ、聖女様と妻から話は聞いているよ」
二人共がにこやかに挨拶をしてくれて、レティシアはホッとする。パーティーの前に、サオリが事情を説明しておいてくれたお陰だった。
♢
「では、会場へ降りようか」
「えぇ」
舞台から降りる階段の先に目を向けると、アシュリーを目指してジワジワと若い令嬢たちが包囲網を狭めて来ている。豊満な胸の中心ギリギリを攻めたドレスが非常に際どい。女性のレティシアでも二度見した。
「レティシアは、料理が楽しみなのか?」
「…あ、はい…楽しみです。お肉が大変美味しそうでしたので」
「ふむ、ローストビーフだろう…?」
「へ?」
(映像を見られてた!)
「後でルークに頼んで、控室へ料理を持って来させよう。私も一緒に食べたい」
「…先に、ちょっとつまむくらいはいいですか?」
「構わない、私が会場内では食べられないというだけだ。…最近は昼食が別々で、少し寂しい思いをしている」
「……う……」
「さぁ、手をこちらへ」
アシュリーが階段を先に数段降りた後、振り返ってレティシアの手を取り…腰にも手を添える。
「少し、フワッとするよ」
「え?……きゃっ…」
アシュリーの黄金の瞳がキラッと光った途端、レティシアは宙に浮いた。
(…ウソッ!!!)
経験したことのない浮遊感に目を丸くして固まったまま、人形のように音もなく床へ着地。瑠璃色のスカートがふんわりと広がり、ミルクティー色の長い髪がゆっくりと肩へ舞い降りる。全てがスローモーションに見えた。
「……な……え?…魔法…?!」
「こういう魔法は初めてだったか?」
「は、初めて!…です!」
正に夢の世界。レティシアは青色の瞳を煌めかせて、興奮した様子で頭を小刻みに振って頷く。
ここで、アシュリーはしまったと思う。
無邪気に喜ぶレティシアの表情は、誰にも見せてはいけなかった。周りを見渡せば、多くの貴族令息たちの目が…すでにレティシアに吸い寄せられてしまっている。慌てて大きな身体を盾にして、視線を遮った。
「魔法、すごいですねっ!」
「…ドレスで転げ落ちては…いけない…」
鈍感な彼女は、相変わらず異性の反応を気にしていない。アシュリーは小さなため息をつくと、神秘的な瞳が自分だけに向くよう…腰を抱き寄せる。
周りの令嬢を警戒していたレティシアは、令息など眼中になかったのだ。
一方の令嬢たちは、難攻不落、女性に冷徹とも言われる若き大公の新たな一面を目の当たりにして呆然。一体誰が最初に声を掛けて玉砕するのかと…足踏み状態だった。
「…失礼…」
レティシアを連れた真顔のアシュリーが、ツカツカと早足で人混みを抜けて行く。
ここから10話くらいの間には、新たな展開に話を進められたらいいなと…頑張って書いております。
いつも読んて頂きまして、ありがとうございます。
─ miy ─