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トマトが我が家を嫌ってる。

作者: 若野路

 小学校の時、植物を育てる授業があった。夏休み前はピカピカだった私たちの苗は、夏が終わるころにはしなびて枯れていた。


 「げっ私今日12位だ」


 たまたまつけたテレビの占いは、私の星座の順位を言って終わった。


 「あら、忘れ物に気をつけなさいよ」

 「うーん大丈夫でしょ。もう行くね」


 そんな占いなんて非現実的なものだ。今日はちゃんといつもの時間に起きてるし、朝食も食べた。順調な朝だ。


 「…あ、トマト枯れてるよ」


 外に出ると植木鉢に入れられた弟のトマトの葉っぱはしなびて黄色くなっていた。


 「ええ、もう?まだ夏が始まったばかりじゃない」


 母が玄関から顔を出して、しなびたトマトの苗を見て嘆いた。母の言う通り夏は始まったばかりで、お盆だってきていない。


 「タケ、全然水やりしないからじゃん。私行くね」


 私は枯れたトマトと母を置いて、さっさと家を出た。


 朝のホームは夏休みが始まったせいか人の数が少ない。サラリーマンはいつも通りのメンバーが、涼しげな服を着て一生懸命汗を拭いている。

 学生がほとんどいないから、制服姿がいつもより目立っていた。


 「おはよーう」

 「うおっ…おはよ」


 ホームに並んでいたレイに声をかけると、大げさに肩を揺らして野太い声を上げた。


 「今の声なに?どこからだしたの」

 「うるさいな、びっくりしたんだよ。リン今日の小テスト勉強した?」


 レイは顔を赤くしながら耳に着けたイヤホンを外した。


 「え、何の教科?聞いてないよ。てか夏休みの補習なんだからテストなくない?」

 「英語だよ。一昨日テッセン言ってたじゃん」


 言われてみれば聞いた気がした。血の気がないユウレイみたいな英語の担当教師の顔を思い出して、私は深く息を吐いた。放課後をテッセンと過ごすのはごめんだった。呪われそうだし。


 「…何限?間に合うかな。再テストある?」

 「1限でぇす。50点満点で45点以下再テスト」


 にやにやと笑いながらレイが言った。

 運が悪い。ちょうどホームに滑りこんできた電車はなぜかいつものように満員だし、一限目だと今からやって間に合うかどうかだ。


 「あーあ、朝からトマト枯れてたせいだ」


 私は水やりもしないでトマトを放置していたタケを恨んだ。


 「なにそれ。夏始まったばっかじゃん。まだトマトは枯れないでしょ」


 それが枯れてたんだよ。我が家は全員、植物や動物を育てるのに向いていないから。




 家にトマトが来たのは、タケの小学校が夏休みに入る3日前だった。


 「ねえちゃん、これ、毎日水やらないとダメ?」


 何を当たり前のことを。私は姉の威厳たっぷりにうなずいた。


 「もちろん。朝と夕方に毎日水をやるの。夏は暑いからね」

 「じゃあ、冬だったら水やらなくていいのかな」


 それは知らない。冬にトマトはならないんじゃないだろうか。でもスーパーにトマトはある。私は温室を説明するのが面倒だったので適当なことを言った。


 「冬は乾燥するから水がいるわ。姉の肌と同じよ」


 タケはトマトを眺めるのをやめて、私を見上げた。


 「でもトマト、姉ちゃんと違っていつもつるつるだよ」


 私は静かにタケ拘束して家の中に連行した。人に言って良いセリフじゃなかった。


 それからタケがトマトに水をやっていたのかは知らない。そもそも家に来た時点でだいぶしなびていた。たぶん、小学校でもあまり水はやっていなかったんだと思う。

 私もトマトの苗を植えた記憶はあるけれど、水をやった記憶はない。兄弟はよく似るというし、たぶんタケも水はやったことがないんじゃないかと私は適当にアタリをつけていた。


 「レイってさ、トマトに水あげたことある?」


 冷房がガンガンに聞いている割に暑苦しい車内で、私は声をひそめてレイに訊いた。レイは勉強しろよとでもいうかのように私をじろりと見て、首を縦に振った。


 「小学校でしょ?水やらなかったら枯れるじゃん」


 それはそうだ。じゃあどうして私のトマトは枯れなかったんだろう。


 「私のトマト枯れてなかったけどなあ」

 「お母さん水あげてくれてたんじゃない?」

 「うちの母はそんなに優しくない」


 あのトマトの苗から私はトマトを取ることができただろうか。覚えていないけど学校が始まるころには枯れていた。というか植木鉢ごと存在が消えていた。私はあのトマトの木をいったいいつ、どこで捨てたんだろうか。


 勉強には集中できそうにもない。



 小テストの結果は散々だった。45点にはかすりもしない27点。大きく再の文字が書かれたプリントを折りながら、私はやっぱり朝のトマトを呪った。


 「今日のてんびん座、何位だと思う?」


 満点のプリントをファイルにはさみながら、レイが私の質問に答えた。


 「……9位」

 「ぶっぶー、12位でしたぁ。だから今日は

運が悪いんだよ。もう無理」

 「でも占いで最下位の時って案外運がよかったりしない?」


 斜め前に座っていた羽部が振り返って言った。


 「私は最悪。再テストだし。羽部は?」

 「46点。それは昨日の自分のせいじゃん」


 今のは慰めてもらえる流れだったと思う。わたしは口をとがらせながらレイを見た。

 レイはカバンを横に掛け直しながらちらりと笑って見せた。


 「まあ、頑張ってね。おとめ座は何位だった?」

 「知らない。12位しか観てないもん」

 「なにそれ」

 「あ、おとめ座2位だよ。私も同じの観た」


 羽部が私の代わりに答えた。


 1位の日は何となくそれはそれで運が悪いから、私の中では2位が一番当たりの日だった。恨めしい。


 「ラッキー。羽部放課後カラオケ行こうよ」

 「いいね。リンは?」

 「だから再テスト。それに弟いるから無理だよ」

 「タケちゃんだっけ?」


 レイの言葉に羽部が目を輝かせた。


 「小学生だよね。やっぱり生意気?」


 私はトマトと肌を比べられたことを思い出して深くうなずいた。


 「いいねえ、小学生かあ。私も小学生の時に高校生のお姉ちゃんほしかったなあ」

 「小学生から見たら高校生っておばさんだよね」


 羽部がうんうんとうなずいて、レイが懐かしそうに言った。


 「やめてよ。ババアはまだ早いって」


 そういえば小学生のころに近所の悪ガキが高校生に向かってババアと叫んでいた。


 「ババアとは言ってないよ」

 「さすがにババアはないって。リン最低」

 「私が言ったわけじゃないもん」

 「じゃあ今誰発言したのよ」


 詳しく説明してあげようとしたけれど、ちょうど先生が入ってきてHRが始まってしまった。

 そして当然の如く、私たちはその話題をすっかり忘れてその日を終えた。





 「ただいまぁ」

 「あ、おかえり姉ちゃん」


 再々テストになりそうな予感を抱えながら家に帰ると、タケがテレビゲームをしていた。

 派手なエフェクトが画面に飛び散っている。タケはテレビから目をそらさずに母からの言付けを伝えた。


 「お昼、冷蔵庫。洗濯物、頼んだ」

 「果たし状かよ」


 冷蔵庫の中にはナスの揚げ浸しが入っていた。

 ひんやりと冷えた風を少し浴びながら、私は冷凍庫からアイスを取り出してコッソリと台所で袋を開けた。


 「タケはお昼食べたの?」

 「まだ」

 「じゃあその大戦終わったら一緒に食べよう」


 ガチャガチャとコントローラーの音が激しくなり、うわあという叫び声がして静かになった。負けたらしい。

 私は急いで残りのアイスを噛み砕いて食べた。


 「お昼なんだっけ?」

 「ナスの揚げ浸し。ご飯よそってお茶出して」

 「はぁい…あ、姉ちゃんアイス食べたでしょ」


 タケがゴミ箱に突っ込まれている包装紙を見ながら言った。


 「あータケ、トマト枯れてたよ」


 私は話を変えて、タケに茶碗を手渡した。


 「母さんに言われたから水やっといたよ」


 得意げにタケが言った。

 もう遅い気がする。枯れてから水をやってトマトは復活するのだろうか。あとで調べようと心の中に私はメモしておいた。


 「あ、姉ちゃん。トマトの水やりって一日一回らしいよ」

 「そうなの?しらなかった」

 「姉ちゃんトマト育てなかったの?」


 不審そうな目でタケが私を見上げた。


 「育てたよ。でもトマトが自由に行きたいって言ったから放したの」

 「どういうこと?」

 「トマトは旅に出てったんだよ」


 私は真面目な顔をして適当に大ウソをついた。


 「なにそれ。そんなわけないじゃん」

 「タケのトマトも水やんないと家出するよ」

 「ええ、それは困るなあ」


 あまり困っていなさそうにタケは気のない返事をした。さすがに無理があったかと私も反省した。次はもう少し本当っぽい嘘をつこう。





 翌朝、私はまた星座占いを見ていた。タケのおとめ座は12位。私は2位だ。今日はまちがいなく私の日になるだろう。


 「姉ちゃんおはよう」


 タケが珍しく朝に起きてきた。でも残念ながらラジオ体操には間に合わない時刻だ。


 「あら、おはよう。タケ今日12位だよ」

 「12位の日は逆に運がいいから大丈夫」


 そう言いながらタケはトマトに水をやるため外に出ていった。ようやく育てる気になったらしい。手遅れになってからヤル気を出すタイプだ。コイツ、将来苦労しそう。


 昨日の私は運が悪かったよと思いながら、私はバッグを手に持った。出かける時間だった。


 「行ってきまーす…って、アレ、どうかしたの?ちょっと水もったいないじゃん」


 トマトに水やりをしているはずのタケが、庭にビタビタとホースから水を垂れ流しながら突っ立っていた。


 「姉ちゃん…」

 「なによ。まさかトマトが復活でもし、て…」


 植木鉢の中に、トマトはいなかった。土はあるのに枯れたはずのトマトの苗だけが消えている。周囲に土はあまり落ちていなかったけれど、根っこを引きずったような土の跡がしばらくついていた。


 「…………トマトの苗泥棒?」


 まさか枯れたトマトの苗を盗んでまで欲しがる人がいるとは。いやでもたぶん、お母さんが捨てたんだろう。

 だけど今朝お母さんって外に出てたっけと首を傾げながら、私は鉢植えを覗き込んだ。


 「姉ちゃんの話、本当なの?」

 「え、なんのこと?」

 「トマトが旅に出るの」


 めちゃくちゃウソだ。だけど植木鉢の中にはトマトがいない。土の跡は道路のほうへと続いていて、しばらく行ってから擦れて消えている。


 「リンまだここにいたの…何かあった? 二人して」

 「ママ…トマトに逃げられちゃった」


 タケは呆然とした顔でそう言った。

 母は植木鉢と私たちの顔を順番に眺めて、意味不明だというふうに眉を顰めたあと、ぱっと表情を明るくしてけらけらと笑った。


 「あら、小学生の頃のリンと同じね。やっぱりこの家、トマトには不評みたい」


 私は静かにタケと目を合わせた。

 まさか本当にトマトが逃げ出した?しかも、私の時も逃げ出していたらしい。

 もしかしたらきづいただけタケのほうがマシなのかも。


 「……次は、キュウリにしたら?」


 タケが無言でうなずいた。

 ホースから垂れた水が庭に大きな水たまりを作っていた。


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