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神が全てと思うなかれ

作者: 山田理恵

「君は選ばれた」

 目の前の人間に対して、女形の存在は腕を広げて歓迎する。

 女形の存在を便宜的に神と呼称するが、神は本来人間が住む世界とは別の世界――人間が“異世界”と表現する世界を守護する存在だ。いつからこの世界を守護していたのかとうの昔に忘れてしまった神は、自分だけがいる場所で守護する世界を傍観するのがある時点までの唯一の娯楽だった。

「自分がどういう状況に置かれているか、理解できていないようだね。この神が教えてあげよう」

「――」

 人間は無作為に選ばれた。背後に地球を思わせる青色の惑星を浮かべる神の目の前にへたり込んでいる。地面はアスファルト。隣には携帯片手静止した通勤客。惑星の後ろには停まりかけた東京メトロ。

 その人間は男だった。右手にはビジネスバッグ。左手首にはロレックスの腕時計。スーツはオーダーメイドで、役職付きの名札を胸の内ポケットに隠し入れている。

 選ばれたのは、日本は東京、大都会で働くサラリーマンだった。やり手の営業マンで、最近若くして責任者に上り詰めたエリートだった。

「ここはもはや君がいた場所ではない。そうだね、時空間に特別な名称はないから、ここでは簡単に“外れた場所”とでも言おう。そう、その名の通りここは君がいた世界ではない。そこから外れた時空間にある無環境空間。普通なら君のような人間、ここに辿り着くことはできない。叶わない」

 神の姿形だが、男には面妖に映ったかもしれない。

 色がない。無色透明のように見えるが、人間が目を凝らすと、微かに輪郭が陽炎のように空間に歪みを作って見せている。揺れる髪は踵まで届くほどに長く、声は女そのものだった。

 歪みが作った瞼が閉じて開く。瞬きをしたかどうかでさえ分からない存在が、男の目の前にいる。

「……」

「ここでは君の考えは筒抜けだ。うん、まずは安心してほしい。ここがどこであるかは説明したね。そう、人間が存在する環境が無い――そういう意味での無環境。君は良い頭を持っているようだ。――さて、君をここに呼んだ理由を話そう」

 神は片手で、静止した駅利用客を薙いだ。人間はもちろん、周りのホームドアや車両、天井を支える柱や階段といった構造物が破砕し、男と神が中心とする一部分が瞬く間に瓦礫と化した。それを見る神の目に、感情はない。

「見てほしい」

 神は背後にある惑星を男の目の前に差し出す。後ずさる男に目もくれずに言う。

「これは私が守護する世界。君が住んでいた地球とはまた違う世界だ。まず、魔法がある。君の世界にはなかっただろう。魔法に付随し、魔法を使う魔法使いや魔女がいる。生態系も変わっていて、ドラゴンなんて一度は目にしたいものだろう。君の世界の言葉に倣って言い表すなら、この世界は超自然的で幻想的な世界――ファンタジーだ。君は読書が趣味のようだが、こういう世界が題材の小説もあるだろう。それと同じようなものさ」

 青色の惑星は、地球と非常に似通った大陸を持っている。北や南に雪と氷の極地を作り、海に囲まれた茂る大地はその上に人を繁栄させる。浮かぶ雲は絶えず姿形を変えている。

 地球のようだが、地球ではない。神はそう言った。

「この世界だが、こう見えて実は危機的状況にある。ある破滅的思考を持った魔法使いが世界を滅ぼそうとしているんだ」

 神は惑星に手をかざすと、黒い靄のようなものが星を覆う。男はその光景に目を奪われた。

 にんまりと笑う神の顔に、感情は見受けられない。声だけが意気揚々だ。

 掌を上に向け、握る。連動し、靄が星を貪り喰らう。

 星が消える。まさに世界の終わり。神は、近い未来に起こる災厄を危惧しているのだ。

「私はこの世界を守護している神だけど、残念なことに私がこの手で世界をどうこうすることはできない。世界の成り行きはそこに住む人々が決めるものだ。神はあくまで世界を保守する立場だからね」

 目を閉じてしみじみと語る神は、自身が世界の守護神であると男に打ち明ける。

 男は、目の前の存在の、顔があるであろう虚空に焦点を合わせる。

「――世界を滅ぼさんとする魔法使いに対抗しうる逸材が、同じ世界にいない。ここまで言ったら……もはや説明はいらないだろう。聡明な君なら分かるはずだ」

 言って、神はしゃがみ、視線の高さを男に合わせる。

 実体のない存在が、無言で言葉を促す。

 ここで男は、初めて口を開いた。

「――私に、世界を救えということか」

「そういうこと」

 神は笑う。その笑みに含まれている意味を、果たして男は理解できているか。

 ――いや、理解できているのだろう。だからこそ男は、神の話を聞き――顔を憤怒に染めた。

「――なるほど。理解した。すべて理解した。そうか、お前だったのか。お前だったんだな」

 頭脳が明晰である、と神はこの男を評した。この男を目の前にして、そうであると確信した。

「私の星に住む人を抜き取っていたのは、お前だったのだな」

「――?」

 神は最初、常人には信じがたいこの状況に気を狂わせてしまい、ありもしない妄言を吐いているのかと思った。急にどうしてそんなことを、と神はこの男に送る視線を鋭くさせる。

「……急にどうしたんだい? まるで元居た世界が自分のものであるかのような発言だね」

 言うと、この男に施した細工に、異常がないかを確認する。

 ――記憶は操作し、その上から元の世界に未練を残さないように改竄しておいたけれど、どこかにミスがあったか。思考パターンも弄って異世界救済に積極的にさせておいたんだけれど。未練が思っていたよりも多くあって消しきれなかったかな。困るなぁ。勝手にこんなことしてくれて。

 神は思案する。もう一度、強く脳を改造し、勇者に仕立てよう。右手を男の頭に近づけ――すぅっと貫通した。

「!?」

 駆け巡るのは、久方ぶりの驚愕だった。神は手を引っ込め、左手で右手を摑む。そんなはずがない、ありえないと言い聞かせるが、しかし意に反して酷く震える手を目の当たりにする。

「……実体がないだと?」

 無作為とはいえ、選んだ人間は疑いようもなく()()だ。そこに誤りがあってはならない。自分が作った完璧なシステムに異常があってはならないのだ。

 では、これはなにか。この場に召喚したこの男は、一体なんなのか。

 人間に物理的な体がある。ならばこちらから触れることは可能だ。人間からこちらを触れることはできないが、こちらからは可能だ。そこにある差異は種、次元、格の三つ。全てこちらが上であり、人間は下等である。

 神は、今すぐにでも目の前の存在を消し去ってしまいたい思いに駆られた。呼び出した人間が人間ではない事実を受け止められず、完全に()()()()()()()前に概念ごとこの世界から消失させたいと思った。

 実際神は力を行使した。神の力は世界をいともたやすく改変させてしまう。それが自分の管理下にない世界でも同様だった。

「……なんで、効かない」

 しかし、全ては無駄だった。神がどれほど力を行使しても、それこそ世界を破壊しうる力を向けても、男には通用しなかった。

 物理的破壊は無効。一切合切通り抜ける。

 精神的破壊は無効。男を標的と設定できない。

 概念的破壊は無効。参照できる概念が存在しない。

「お前は、お前はなんだ。どうしてお前のようなものが存在する!?」

 現状神に、この埒外な存在をどうにかするような力はない。無力と一言に片づけてもいい。

 ――男はただ喚く神に、いまだ憤怒を滾らせる。

「私がお前にとってどういった存在であるか、この際関係ない。だが――」

 既に立ち上がっている男は、体の外側から変化を起こす。それは、粘土でできた模型を別の形に作り替える過程にも似ていた。

 身長が変わった。元の姿では高い身長だったが、小学生を思わせる低身長に。

 顔面が変わった。現代社会で生き抜いた男の顔立ちは、あどけない可憐な少女に。

 存在が変わった。今まで人間だと思っていたものは、その枠から外れた。

「――私にとって姿形など関係ない。ただ人の営みを見届けられるなら、男でも、女でも、子供でも、老人でも、人間でなくても構わない」

 なにもかもが変わった男だった存在。髪色も体形も服装もなにもかも変わってしまった超常的な存在を前に、神は後ずさり、慄いた。

「馬鹿な。まさか、お前は」

「星の端末だよ。ほかでもない地球の端末だ」

 呻く神に向ける目は、正体を開示したあとも変わらず憤慨に燃えている。

 端末と名乗った女形の存在が、神に一歩近づく。

「一五九〇三。一五九〇三人。これはお前が抜き取った、地球に暮らしていた人の数だ。生きていようが構わず輪廻から外し、お前が守護すると信じてやまない世界に無理矢理落とす。人の事情も気持ちも意思も関係なしにだ。そしてお前は地球の決まりを侵した。お前のせいで地球はあちこちで異常を起こしている。消えなくていい人が消えたからだ。この落とし前、どうつける」

 神は、端末の話を聞く余裕がなかった。自分は神だ。そう言い聞かせ、なにかこの場を打開するいい方法はないか、と考えを巡らせていた。

 星の端末――星が生み出し、星の意思を代行する存在。星に間借りする生物の未来をより良いものにするために動く、執行者。

「端末ごときが、私に歯向かうつもりか。この神である私に。世界を管理する力を有した私に」

 神は一つの世界を守護する役割を担っている。いつからか忘れたが、それが自分の使命だった。

 魔法に染まった世界を永劫に亘って守る。そのためには、どんな手段も厭わない。別の世界の知的生命体を使うのも立派な手段の一つだ。それのなにが悪い。

 神は言う。端末と同じように顔を顰め、荒々しい口調で傲慢に。

「――お前は」

 必死だった。感情など持ち合わせていないと思っていた神は、この状況を必死に打開しようとしていた。

 ――この必死さは、なにに向けたものか。

「お前は、憐れだ」

 選んだ人間が人間でなかったことへの必死さか。

 違う。

「憐れな偶像だ」

 自身の能力を行使できない端末への必死さか。

 違う。

「無知とは、幸福であり、不幸であろう」

 端末が自分に向ける怒りと憐れみへの必死さか。

 違う。

「なあ、神と言い張る大罪。お前はいつ、どのように生まれてきた」

 やめろ。言うな。

 それ以上言ったら、私は理解してしまう。自覚してしまう。認めたくないことを認めざるを得なくなる。

 頼む。やめてくれ。やめて。

 やめてください。お願いだから、やめてください。

 私は、私は――

「お前は神ではない。星に作られた歯車に過ぎない」


          ○


 神は失敗した。それは人間ではない。

 神は理解した。自分は神ではない。

 どこかで抱いた疑念。自分の起源、出自の謎。

 人々の崇拝に行先、根拠のない祈りの目的地――その願いを集めるためだけの器こそが自分である。

 全ては星が決める。どこで生まれ、どのように育って、どのように死ぬか。

 ああ、理解してしまった――。

 全ての頂点だと信じてやまない神は、所詮星の作り物であると自覚するしかなかった。

 神は失敗した。最初から、なにもかも失敗していた。

 いきり立った作品を書いたのは衆目集めとか特定の界隈に物申すためでなく、ただ主人公やその周りの人間を問答無用で巻き込み、半ば強制的に異世界転移・転生させる神を名乗るものに制裁を加えたかっただけなのです。

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