豊臣秀頼
島津家久公は鹿児島からほど近い谷山に密かに豊臣秀頼を匿われているとのことだった。そこの豪商へ身を寄せて木下出雲守宗連と名乗っているとのことだった。
「木下出雲守とはまたのんきな名を……ところで大坂の陣で秀頼に尽くして奮戦した真田幸村(信繁)や毛利勝永も一緒にいると聞きましたが。」
「そこが問題なのです。ご両名とその配下が谷山をガッチリ守っておりますがゆえ、我々も迂闊に近寄ることができない半独立国状態になっていて頭を痛めているのです。」
と島津家久公。
「島津殿の程の方でも掣肘できないとは……。」
「上手くたどり着けるかどうか分かりませんが私も付き添って案内と兵も付けましょう。いい加減おとなしくしてもらわないとこちらも困るのです。」
俺たちは島津殿が率いる兵とともに谷山に向かった。
「いつもこのへんで柵を構えて門番がいるのですが……?姿が見えませんな。」
柵というよりもちょっとした砦のように土塁と堀が掘られており、その上には塀と物見櫓まである。
「これはちょっとした城のようですな……」
「奴らは『真田丸』と呼んでいたようですが。いつもならこのへんで手下が出てきてあれこれ煩く言ってくるのですが……ひとっこ一人いないようで。」
俺たちは土橋を渡り、門を開ける。
「門も施錠されていないようですね。」
「迂闊に入ると矢玉が飛んでくる様子だったのですが。いつもは手前で使いを立てて許されれば決められた人数だけ入れたのです。」
そのまま進むと城館の様な作りになっていたが、武装したものは居らず、普通の商店や農民がいるばかりであった。島津家久公がそのものらに訊ねる(平易にするため鹿児島弁でなく共通語にすることを容赦)
「この辺りにいた侍共はどうした?」
「それが先日お公家さんがいらっしゃってから皆どこかに去ってしまいまして。」
「……烏丸中将か!」
俺は叫んだ。
「秀頼も烏丸中将と共にここからどこかに出発したのやもしれん。痕跡があるかも知れないから館に!」
……そして俺たちが館に入ると、屋敷の縁側にでっぷり座った巨漢がいた。
「いやぁ!そこにいるのは松平忠輝殿じゃないか!ひさしぶりだなぁ。」
男は気さくな感じで声をかけてくる。
「忠輝様、相手がお顔を知っているようで、あの方は?」
「……あれこそが前右大臣、豊臣秀頼公でござる。」
「忠輝、こりゃまた結構な軍勢を引き連れてきたねぇ」
秀頼は気楽に話してくる。武装している様子もない。
「秀頼殿、いつも近侍していた真田殿や毛利殿はいかがなさった?」
「それがね……それがね……」
突然秀頼は泣き出した。
暫く泣き止むのを待つと、秀頼は話し始めた。
「先日ここに烏丸中将が来たのよ。どうみても烏丸少将なんだけど。昇進したのかなぁ。」
……やはり烏丸中将か!
「でね、僕の次男ね、庄内高坂城主の血縁の女性と結婚して子をつくったんだけどね、その次男秀綱を見てね、『この子は神の子でおじゃる』とか言い出したのよ。大人っぽいから1歳で諱なのらせたんだけど。僕も幼い頃から元服したからねぇ。」
だからと言って1歳は早すぎると思うが。
「でね、『秀頼のこの体たらくでは西国大名について来いと言ってもロクについてこないであろう。そうではおじゃらぬか?毛利殿?真田殿?』って烏丸中将が聞くのよ。そしたら毛利も真田も『秀頼公では大将は勤まりませぬ。ここは秀綱様を旗頭に押し立て、秀頼様には静かに余生を送っていただいたほうが良いかもしれませぬ。』とかいいだしたの。」
「そりゃなんとも気の毒というか勝手と言うか。」
「でしょでしょ。だからボクチンも切れてね、烏丸中将に『僕を蔑ろにするとは何を言い出すんだこの木っ端公家が』って飛びかかったんだけどね。」
と言って服をはだけて腹を見せてきた。その真中には大きな痣がある。
「烏丸中将の野郎刀の柄を連続で腹に打ち込んできてね、脂が伸びちゃった所に中心にドン!と打ち込んできたの。なんか『柔破斬!』とか言っていた。それでボクチン倒れちゃったの……」
とまた泣き出した。
「『命は取らぬ。ここでせいぜい朽ち果てていくが良い!ハハハハハ』とか言って烏丸中将は去っていったの。」
それを聞いた島津家久公は
「もはや秀頼殿には天下に害をなす気持ちも力もない様子。どうかこの島津に密かにお預けいただき、余生を遅らせていただかせませんか。」
と俺に言ってきた。
「危険なのは真田幸村や毛利、烏丸中将でしょう。秀頼はこのまま木下として静かに生きていただきましょう。」
と応えた。
「みんな……ありがとね……最初から地味で平穏な暮らしをしたかったんだ、僕。」
と秀頼に礼を言われ、この場は一件落着となった。(ただしさすがに牢人衆が築いた砦は後で破却した。)
そして烏丸中将達の行き先に心当たりはないか、と秀頼に聞いた所、
「ひとまず宇土を目指すって言ってたよ。」
と素直に話してくれた。
「宇土!また加藤忠広の城か!破却はしたはずだが。」
「キリシタンも多く厄介な地ですな。」
と話し合っている所に島津の使いが現れた。
「肥後国境から使いです!武装した牢人衆と公家らしきものが現れ、国境を突破して北に向かっていると!」
「これで決まりですな。」
と柳生十兵衛。
俺たちは島津家久公に厚く礼を言うと、急ぎ肥後に向かって出立したのであった。流石に薩摩を出る時は家久公が書状をもたせてくれたのでなにもなく無事に出られたのだった。
出る時もチェストされては困るから助かった。
すみません。構想は最後までできているのですがちょっと進行が噛み合わず一旦一休みします。
必ず最後まで書きますが今しばらくお待ち下さい。(1月はかからないと思います。)
烏丸元帥と最終決着つけるまではやめられないのだ……。