立ちふさがる敵
飛騨に行く前に信濃路を下って俺達は松代城へ行った。天さんは
「殿、ここは?」
「そう、つい最近上田から移されたばかりの真田信之様の居城だ。」
松代城へ付き、伝言を頼むと俺たちは早速御殿へ通された。
「忠長様、まだ所領を移ったばかりでバタバタしており、見苦しいところですがよくお出でいただきました。」
と挨拶してくれたのは真田信之公。知名度では劣るが我が徳川の精鋭や北条を向こうに直接渡り合ったおそらくは有名な弟の幸村(信繁)よりも強い武将だ。
「忙しい所にお邪魔して申し訳ありません。こたびはいくつか確認したいことがありまして……もしかして信繁殿は生きておいででは?」
信之殿がブーッと茶を吹き出した。
「そ、そんなことがあろうはずが……」
「“花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田が連れて 退きも退いたり加護島(鹿児島)へ”京で流行った歌です。とは言っても秀頼様八尺はありそうなデブで花というよりスイカがいいところですが。」
「どうしてその様に思われたので?まさか戯れ歌だけが根拠ではありますまい?」
「はい。先日加藤忠広殿のところで烏丸少将と対決したのですが、烏丸少将単独で隠密めいた行動を取れるはずもなく、裏に支えるものがある、と推察して我が配下の伊賀者を使って調べたのです。」
「ふむ。」
「その結果、どうも烏丸少将に『真田十勇士』なるものが協力しているらしい、とわかりました。」
「真田の名を使われるとはむしろ当家としては迷惑……」
「で、ありましょうな。ですから信繁様やその十勇士について信之様が知るところを俺に教えていただきたく……」
「我弟ではありますが、野放しにしていては真田家の存続のためにもなりませんな。よろしいでしょう。十勇士は信繁直属ゆえ詳しいところまでは分かりませんし、大坂で討ち死にして代替わりした者もいる、と聞きましたから異なっているでしょうが、私が知るところをお伝えいたしましょう。
真田十勇士とは猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊左入道、穴山小助、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎の十名を指します。
が、三好清海、伊佐入道は大坂の陣で陣没、穴山小助も大坂で信繁の身代わりを努めて討ち死に、ここまではおそらく本当に死んでおります。しかし残りの者は死んだとされていてもまんまと抜け出して信繁に付き従って逃れたのです。特に猿飛佐助と霧隠才蔵が恐ろしい忍者でありますが、猿飛佐助は人柄が朗らかで、信繁を害する事がなければおそらくもっとも話が通じるかと。」
「おお、なんたる恐ろしい忍びか。あれらに立ち向かうならどうすればよいのか……」
思わず天さんが声を上げてその後ブツブツ言い出す。よほど有名だったのか。
「信繁は生き残った十勇士を引き連れ、秀頼と共にその歌通りに九州に逃れました。しかし鹿児島(薩摩)に入ってからは島津の見事な情報封鎖で動向がわかりませぬ。」
「なんと。」
「おそらく烏丸少将とやらは薩摩の秀頼と結託し、西国諸将を糾合して攻め上ってくるつもりだったのかも知れませぬ。ことがなった暁には秀頼が関白に就く計画かと。」
「足利尊氏公の再来を狙った、ということか。」
「無茶だとは思いますがな。福島正則が安芸広島を治めていた先年までならばまだおそらく備中まで席巻できたかも知れませんが今となっては。」
「でしょうね。絵空事もいいところかと。」
「まさに。しかし本当の狙い目はそこではなく、おそらく反乱・騒乱を起こせば九州全域ぐらいには広がりましょう。」
「恐ろしいですが島津や加藤が本当に乗るならば有り得そうかと。」
「そしてその争乱を幕府が収めるのに手間取れば、幕府の統治能力を不十分として権威を弱めるぐらいはできましょう。」
「恐るべきは烏丸少将。」
「その計画を止めるとなりますと、信繁や秀頼と会っていただくのが良さそうです。秀頼と接触するなら秀頼と親交があった松平忠輝様に伺うのが良いかと。」
「助言ありがとうございます!俺もそのつもりでした。」
「しかしまだ障害がありまして。」
「京の公家衆なら九条関白にお仕置きをしておいたので動きは抑えられていると思うのですが。」
「いえ、信繁などと同じく秀頼に協力する武辺者がまだおるのです。」
ごくり、と俺はつばを飲み込んだ。
「それはどなたで?」
「まずは明石全登殿。」
予想していた名前が上がった。関ヶ原で宇喜多隊を率いて大暴れしたのみならず、大坂の陣で明石ジュストの名でキリシタンを率いて再び大暴れ、お祖父様徳川家康公に『明石狩り』を戦後させた勇将だ。正直やばい。
「それは恐るべき名を。やはり生きておりましたか。」
「うむ。なんでもバテレンの魔術を受けてますます力は高まるばかり、と。噂では娘御のレジイナ様も付き従っているとか。」
「おお、なんと恐ろしい。」
「それに加えて……恐ろしいことに……毛利勝永殿が。」
今度は俺が茶を吹き出した。
「も、毛利勝永?秀頼の介錯をして死んでたでしょ?さすがに?」
「その秀頼が生きているわけですから。」
毛利勝永はやばい。本当にやばい。大坂で本多忠朝殿、小笠原秀政殿を始め我軍の精鋭を次々と討ち取った、恐るべき大将だ。名前は真田幸村(信繁)が有名だが、信繁がお祖父様の本陣に迫れたのは勝永がその後ろで直衛の部隊を次々と撃破したからだ。しかも信繁は本陣に迫った後に松平忠直殿の部隊の反撃に敗北して死んだ(が影武者に任せて脱出したらしい)のに対して毛利勝永は悠々と自らの隊を率いて大阪城に撤収しているのだ。
「も、毛利勝永はいくらなんでも。」
「いや、それが生きて牢人衆を集めて密かに鍛錬しているとか。」
「それが烏丸少将の政治力と結集すると流石に天下騒乱の危機か。」
「で、ございます。忠長様、どうか弟の野望を打ち破り、天下に安寧をもたらしていただけますよう。」
「あいわかった!真田殿!貴重な情報をいただき心から感謝いたします!」
こうして俺たちは新たに立ちふさがる敵の巨大さに震えながら飛騨路への道を急いだのであった。
ちなみに明石レジイナ殿は名前覚えていてあれ?と思ったので旗本の三好直政殿の所に探りを入れたが
「直政殿の室として子供に囲まれ、平穏に過ごしているようでございます。」
と報告を受けた。よかった。鬼になった娘などいなかったのだ。
今日はここまでです。また明日お願いします。