6.不注意 表
次の日、生徒がだんだんと登校してきて騒がしくなった教室に、ガラリ、とまたドアが開く音がする。その音につられて菫がそちらを見ると、明美が入ってくるのが見えた。その表情は、何処か暗い。
「明美ちゃん、おはよー」
「あ、菫ちゃん……おはよう」
明美が自分の席に座ったのを見て、菫は少し遅れて声をかける。すると、明美は少し俯きがちだった顔を上げ、にこりと笑う。いつも通り笑っているつもりなのであろう明美の顔色は、やはり普段と比べて少し青かった。その理由を知ってはいるものの、菫は何も知らない自分を装い、首を少し傾げ、明美に訊ねる。
「ん? あれ、明美ちゃんどうしたの。なんか顔色悪くない?」
「えっ? そ、そうかな……そんなことないと思うけど」
「そう? なら気の所為か……」
目に見えて動揺しながら誤魔化した明美に内心苦笑しつつ、菫はその下手くそな嘘に誤魔化されておく。すると、それ以上の詮索をされずに済んだからか、明美はほっと息を吐いた。
「というか、膝どうしたの。随分とデカイ絆創膏貼ってるけど」
「あ、あー……これね、昨日、帰り道で急いでたら転んじゃって………」
しかし菫が足の方に目を遣り、教室に入ってきた時に見えた彼女の足の膝に大きめの絆創膏が貼られている事に言及すると、明美は決まり悪そうにそう言った。まぁ嘘ではないか、と菫は考える。ゲームのシナリオで、昨夜の悪霊から逃げる際、コンクリートの穴に足を取られて転ぶシーンがあったのを覚えていた。
「えっ、帰り道って……コンクリの上で? うっわ痛いやつじゃん。何というか、ついてなかったね。ドンマイ」
「あはは、うん、本当にね……」
怪我の経緯を聞いて大袈裟に顔を顰め、ぽんと明美の肩を軽く叩いて同情を見せた菫に、明美は苦笑いを返してきた。菫が言った『ついてなかったね』に返したであろう、最後に聞こえた『本当にね』には、切実さが含まれていた。
「怪我の具合はどうなの? まだ痛むようなら今日の体育は見学すれば?」
「いやいや、そこまでするほどの怪我じゃないよ! それに今はもう痛みはないから大丈夫」
「そう……。分かったけど、また傷口開いたりしたら直ぐに保健室行きなね? これ、お姉さんとの約束ね?」
「傷が開くって、そんな大袈裟な怪我じゃないから! というかそんな小さい子に言い聞かせるような言い方やめてくれる!?」
「いてっ、ごめん、ごめんて!」
菫に膝の絆創膏を見られながら体育の見学を勧められた明美は、慌てて首を横に振った。怪我の程度を知っている菫は素直に頷き、肩に置いていた手をぱっと離し、少しおどけて小指を出す。明美は菫の明らかに年上ぶっている態度と口調に笑い、菫をぺしぺしと軽く叩く。それに大袈裟に痛がってみせながら、菫は明美の笑顔を盗み見て、少し安堵する。
(………うん、良かった、笑った)
何処か強張っていた表情は消え、いつもと同じようにくすくすと笑う明美に笑い返し、そこからはいつも通りにホームルームが始まるチャイムがなるまで駄弁っていた。他愛ない話をしていれば案外時間は過ぎるもので、チャイムは直ぐに鳴った。
「お前ら予鈴鳴ったぞー、席つけー」
「やっべ、じゃあまたね」
「うん、またね」
ドアを開けて担任が入ってきたのを見て、菫は明美と別れて席に付いた。
(さて……問題は放課後か……)
席に付くと同時にかかった日直の号令に従い、担任に礼をして椅子に座った菫は、担任の話を聞き流しつつ考える。
(昨日遭遇イベが起きた訳だし、今日だよね、明美ちゃんが妖怪達と顔合わせすんの)
このままゲーム通りに進めば起きるであろう放課後の出来事をふと考え、そっと溜め息を吐いた。
―――――――――――――――――――――――
その日の放課後。
特に何事も無く授業を終え、日直の号令でホームルームを終えた菫は、既に教科書を詰めてあったリュックサックを背負い、明美の元へと駆け寄る。
「明美ちゃん、帰ろー」
「あ、菫ちゃん、ごめん、今日はちょっと無理かな……」
「あれ、そうなの?」
まぁ知ってるけどね、と思いつつ、菫は椅子に座ったまま申し訳なさそうに両手を合わせてそう言った明美に目を瞬いてみせた。
「誰かと約束してる感じ?」
「うん、そうなの。それでここで待っててって言われてて……」
「そっかぁ。なら仕方ないね」
そのまま机に寄りかかって話していると、ガラリとドアが開く音がする。
「失礼するよ、阿倍野さんは居るかな?」
同時に聞こえた聞き覚えのある声に思わずそちらを見やると、知っている顔の二人が教室に入ってきていた所だった。
「お、いた。よぉ」
「やぁ、迎えに来たよ」
直ぐ此方に居る明美に気付いた二人―――奏太と蛍は、片手を上げて此方にやって来た。
(うわぁぁぁ来たよぉぉぉ)
二人の登場に内心荒ぶりながらも、極めて自然な様子を装って菫は二人に手を上げ返した。
「あれ、岸部君と水瀬君じゃん。久しぶりー」
「久しぶり、清沢さん」
「ん? ………あ、あぁ、お前か。久しぶりだな。そういやお前、阿倍野と同じクラスだっつってたな」
(あっ、やっぱり忘れられてた。うん、まぁ、隣に霊力の塊が居たら印象の薄い奴は忘れるわな。只でさえ人の事憶えるの苦手だってゲームで言ってたしな)
直ぐに笑い返した蛍と違い、一瞬菫を見てきょとんとした顔をした奏太は、はっとして直ぐににっと笑ってそう言った。きっと忘れていたのだろう。それに直ぐ様気付いたものの、そんな気がしていた菫は気付かないフリをしてやった。
「そうだよー。というか、明美ちゃんが待ってたの二人のことだったんだ。なに、委員会でも見に行くの?」
「えっ、えっと……」
「あぁ、実はそうなんだ。偶然、同じ委員会に興味があるって話になってね。ね、阿倍野さん」
「う、うん、そうなの」
「そっかー。それなら確かに一緒に行ってもしょうがないね。私、委員会入る気無いし」
菫が適当に言った言葉に、にこりと笑って蛍は頷き返す。菫が言った『委員会に興味がある』という言い訳が中々使えると考え、話を合わせておいた方がいいと彼は判断したのだろう。そして明美に同意を求め、頷くように目線で促した。明美は有無を言わせない蛍の口調に促されるままぎこちなく頷く。あからさまに嘘と分かるその嘘に突っ込みを入れることなく、菫は笑って受け入れる。
「それじゃあ、二人も来たことだし、私は先に帰ろうかな。明美ちゃん、また明日ね。二人もまたねー」
「うん、また明日!」
「おー、じゃあな」
そのまま極めて自然に会話を切り上げ、菫はリュックを背負い直して三人と別れる。そして、蛍と奏太の間を通り抜けて手を振り、教室を出る間際に明美と奏太が手を振り返してくれているのを見てから、菫は廊下へと出る。
「……ッハァァァァ……!!!」
(あそこの顔面偏差値が高すぎて息止まるかと思った……!!)
そして階段に差し掛かったところで、壁に手を着き、大きく息を吐き出した。突然大量の空気を取り入れてバクバクと早鐘を打つ心臓を落ち着かせる為に深呼吸を繰り返し、周りにいる生徒達に注目される前に、何事も無かったかのようにすっと体勢を戻し、極めて自然に階段を下りていく。
(いや、え?やばすぎじゃない??私を殺しに来てる???最近になって漸く明美ちゃんの可愛さに一々悶えずに接するようになったってのにそこにあの二人???可愛さとかっこよさ倍ドンされると悶えるの我慢すんの大変なんですけど???いやそれよりも推し達が並んでんのホントに尊い……生きてる……まだ序盤だからちょっとギスギスしてるのが丸わかりだったけどね……)
他の生徒に混じって昇降口に向かいながら、先程の光景を思い出し、内心いつもの発作を起こしていた。にやけそうになる顔面の筋肉をフルに使い、何とか真顔を保つ。
(………それにしても、今の明美ちゃんの状況、客観的に見ると……)
一通り悶えてから下駄箱で上履きからスニーカーに履き替えて玄関から出た辺りで、菫はふと、明美が置かれている状況を考える。
(……ゲームだった時はまぁゲームだしって何とも思わなかったけど、現実的に考えたらキッツいんだよなぁ……入学して一週間もしてないってのに、妖怪に目を付けられるわなんだって……大丈夫か……?
いや、彼女に幻術かけた私が言えたことじゃないんだけど)
考えているうちに今更ながら明美に対して罪悪感が首を擡げ始める。校門へと歩いていた足が、思わず止まる。そこで緩く頭を振って湧いた罪悪感を払いのけ、その足を動かす。
(…………この後は、何があるんだっけ。まずは攻略対象達との遭遇イベントが一ヶ月の間にちょこちょこ挟まれる形で続くはず。その後は………あぁ、そっか。『大鏡』か。……それまでには決めとかないとな……)
そんな事を考えながら、菫は帰り道を急ぐ。だが、考えていて注意力が散漫になっていたのだろう。校門を抜けようとした所で、誰かと肩がぶつかってしまった。
ドンッ
「あ、ごめん! 大丈夫?」
肩に衝撃が走ったと同時に、反射的に振り返り、ぶつかった相手に謝罪をする。相手も直ぐに菫に振り返り、首を横に振った。
「いや、こっちこそすまない。注意散漫になっていた」
(………え?)
初めて聞いた筈のその声と、視界に映った男子には珍しい一つに結われた長い髪に既視感を覚え、思わず体が一瞬反応する。そして自身より高い所にあるその顔を見て、ビシリと体が硬直した。
(キョッッッッ)
完全に想定外だった出来事に咄嗟に上げそうになった奇声を上げずに済んだのは奇跡だった。しかし挙動不審になってしまったのは変わりなく、顔を見て突然黙り込んだ菫に、ぶつかった青年は目を瞬いた。
「おい、まさか痛めたか? そんなに強くぶつかったつもりはなかったんだが……」
「いや大丈夫! そういうことじゃないから!」
「そ、そうか」
そう言って心配そうに肩に手を伸ばしてきた青年と直ぐ様一歩分距離を取り、菫は食い気味にその心配を否定する。その勢いに青年は一瞬面食らったような顔をしたものの、伸ばしていた手を下ろした。
「とにかく、本当にごめんね! 急いでるから、それじゃっ」
「あ、おい!」
そして菫は適当に理由付けて、その場から校門へと走り去る。後ろから呼び止める声がするがその声に振り向く余裕は無かった。そのまま坂を駆け下り、町に出た所で、漸く菫は足を止めた。
「はっ、はっ、はっ……はーっ、びっっっっっくりした………」
適当な路地で足を止めた菫は、膝に手を着き、肩で息をする。そして、大きく空気を吐き出した。
(………あんなサプライズはいらないです………いや本当に勘弁して?只でさえ今日心臓止まりかけてたのにそれ以上の負荷かけられちゃったら死ぬんですけど???)
そんな誰に言うでもない恨み言を考えながら、菫は息を整える。ある程度整ってきた所で、菫はすっと背筋を伸ばした。
(いやでも、まさか攻略対象とエンカウントするとは思わないって………)
そして苦々しい顔のまま、頬を掻き、歩きだす。
(突然のエンカウントだったとはいえ、もうちょいあの場を巧く切り抜けられる言い訳だってあっただっただろうに………いや、あのまま一言、二言話してたら多分気付かれてたな。だってあの土御門家の次期当主、土御門晴幸だもんな。逆にああやって切り抜けるしかなかったか……?)
先程の人物――――土御門 晴幸の薄墨色の瞳に鋭利な光が宿る前に離脱出来た事を喜ぶべきか、と菫は唸る。
――――土御門 晴幸は、『永炎紅恋話譚』にも登場するキャラクターである。彼は他のキャラクターとは違い、唯一の人間である攻略対象だ。しかし周りの人間と違うのは、菫と同じ『祓い屋』ということ、そして、明美の遠い親戚である事だ。つまり、彼もまた安倍晴明の末裔なのである。明美との違いはというと、その身に流れる安倍晴明の血の濃さだ。一口に『安倍晴明の末裔』と言えど、明美は本流から何本かに分けられた分家の生まれであり、晴幸は本家の生まれという事である。
本家の生まれということもあり、祓い屋としての実力は一級品だ。菫も『土御門の祓い屋・晴幸』として聞いた情報では、彼の活躍をよく耳にしていた。ゲーム内でのステータスも高めに設定されており、中々使い勝手がいいキャラクターだった為、前世の菫もゲームの戦闘シーンでは彼をよく実用していた。攻撃方法が他のキャラクターが刀などの物理的な物を使用しているのとは違い、祓い屋らしく霊力を込めた札を使用していた事で前世の菫の中の少年心を擽られたのも良く実用していた理由の一つだろう。
ただ、このキャラクターには少しクセがあった。
(問題なのはその性格だけどな……)
ゲームの内容を思い出し、菫は思わず苦笑いしてしまう。
(なんというか、うーん………『おもしれぇ女』を素で言うような性格というか……ぶっちゃけると高飛車なんだよなぁ)
そう、菫の言う通り、彼は傲岸不遜な性格をしているのである。なまじ実力がある上に『土御門家の次期当主』というネームバリューがあるからだ。そんな性格をしている為、口を開けば、主人公や他のキャラクターを見下したような発言、土御門家の生まれであることを誇示するような発言または自分に酔ったような発言が必ず一言飛んでくる。主人公がそれに容赦なくツッコんでいくため、話がコントのようになってしまうのであまり気にしていなかったが、今考えると中々嫌味な奴だったなと菫は思う。
実は彼が周りにこんな態度を取ることには理由があるのだが、とにかく、彼は中々拗れた性格をしているのだった。また、この性格によって起きたすれ違いなどが原因で彼と戦うことになるルートも存在したりする。
の、だが。
(………うん? あれ? なんか、おかしくね?)
キャラクターとしての彼を改めて思い出し、そこでふと菫は違和感を覚え、足を止める。
(……彼なら、他人にぶつかられたら『この俺にぶつかるとはいい度胸だな』ぐらいのことは言うような………あれ? さっき、普通に謝ってたな……それどころか気遣われたな? え、なんで?)
そして先程の晴幸との会話を思い出し、首を捻った。はて、自分の知る晴幸は、他人を気遣うことができる性格をしていなかったと思うのだが、思い違いだっただろうか。
(…………流石に失礼な偏見だったか? そうだとしたらごめんとしか言えないけど……もしくは猫でも被ってる? いやでも、時期的に考えて、身内はともかく今の彼自身に他人に向けてそんなガワ貼り付けておけるような余裕はないと思うんだけど……うーん……? 家業とは無関係な周りに配慮ぐらいできたってだけか……?)
気付いてしまった違和感に、まだ人通りの多い通りに居るにも関わらず、思わずその場で考え込んでしまう。しかし直ぐに、はっとして町中である事を思い出し、また足を動かした。
(いけないいけない、こんな所で止まってたら不審がられる。考察は帰ってからだ)
そのまま人波の多い通りの端を歩き、するりと路地に入り込む。
(………ただの気にしすぎであってくれるといいんだけど……)
そんな一抹の不安を抱きながら、菫は家路を急いだ。