5.『大鏡』、進行 Ⅱ
時は遡って、二週間前、旧校舎にて。
いつもの全員が集まる教室の中に置かれた古ぼけた木製の椅子に、明美は座っていた。
梅雨入り前の初夏の日差しが布越しに差し込む中、かち、と針を進める毎に音を立てる壁掛け時計をいつも通り見ようとして、今は見れないと思い出し、明美はスマートフォンを取り出す。表示されたデジタル文字は、予定時間を過ぎていた。
「……ええと、確か今日だったよね。先輩が来るの」
「あぁ」
現在時刻と、その横に表示された日付を見て、そう確かめるように呟けば、同じく待機していたオオバが静かに頷く。その首肯にどうやら明美の記憶違いではなかったらしい、と安堵する。
先日行った聞き込み調査で、噂にも上っていた『二年の先輩』を、高橋怜という男子生徒だと明美達は突き止めた。その情報を持っていた生徒の話だと、どうにも噂が出回り始めたぐらいの時期から、不登校になっているとのことだった。
また、別の生徒から、現在行方不明となっている四人-----恐らくは鏡の怪異に連れ去られたであろう被害者とよく関わりがあった、という情報もあった。
これはきっと何かを知っているに違いない。そう考えた明美達は、普段二年生として潜入しているサイとオオバに接触してもらい、話し合った末、本日、此処に来る事になっている筈だったのだが。指定された待ち合わせの時間が五分程を過ぎているものの、待ち人の姿は未だ無い。
「………連絡、入れるか?」
「ううん、大丈夫。きっとそろそろ来るだろうし」
すっ、とスマートフォンを取り出したオオバに頭を振って答え、明美は改めて教室を見渡した。
裏山での一件以来、ヒガンとミナセの楔として、そして他の妖怪達の楔候補として一緒に過ごすようになってから、自然な成り行きで通い詰め、すっかり親しみを覚えてしまったこの教室は、今は随分と様変わりをしている。ここだけではなく、玄関口からこの教室に繋がる廊下も、全ての窓には厚手のカーテンがひかれていた。それだけならまだ理解が及ぶが、その中でも此処は特に顕著で、教室に入った時、その異様さに一瞬目を瞬いてしまった程だ。
(ここまで徹底的に閉じきられてると、閉塞感というよりも、圧迫感を感じるものなんだな)
明美は、窓という窓、いや、正しく言えば光を反射するものに厚く布がけされた教室を見て、そんな感想を抱く。何度も通って見知った教室の筈なのに、何だか落ち着かなかった。
こんな様相になっているのは、件の先輩から、こうして欲しいと指定されたのが原因らしい。話をする条件の一つとして、『鏡となるものを徹底的に無くしてほしい』と頼まれたと。様変わりした教室を目にしてぽかんとしていた明美に、先に来て待機していたオオバがそう教えてくれたのだった。
「ごめん、お待たせー! ほら、入って入って」
ガラ、と、扉が開く。漸く姿を現したサイは、その背の後ろに続く少年に入室を促した。そろ、と教室に足を踏み入れたこの少年こそ、件の高橋怜であるらしい。怜はキョロキョロと布がけされた教室を見渡し、自身の要望がちゃんと通っているのを見て安心したのか、あからさまにほっと胸を撫で下ろした様子を見せた。
「……遅いぞ」
「ごめんって。この子の安全優先で回り道してたら遅くなったんだよ」
静かに問うオオバに、サイはへらりと笑って軽く謝罪する。
彼の言葉少なな性格から、咎めるような言い方ではあるものの、遅れたこちらを心配しての言葉であることは分かっているので、これ以上は必要ない。
「それじゃあ、さっそく始めようか。こっちの席にどうぞ」
「あ、はい………」
一つ、彼のために用意されていた古びた木の椅子に座るよう、サイが勧める。怯えは消えたものの、緊張しているのか、怜は恐々としながら椅子に座った。
「さてと、高橋君。今日は来てくれてありがとね」
「あ、い、いえ、こちらこそ………」
彼の緊張を解すつもりなのか、にこ、と明るく笑ってサイが口火を切った。怜は慌ててぺこりと頭を下げる。
「他にもメンバーがいるんだけど、あんまり大勢に囲まれても緊張しちゃうだろうから、今日はこの三人で話を聞かせてもらうね。でも今日聞いた話は、メンバー全員に共有するから安心してね」
「え……は、はい」
「怖い思いした中で、連れ出して申し訳ないんだけどさ。でも、オレ達についてきてくれてありがとう。皆でそいつなんとかするし、ぜーったい、友達も連れ戻すから!」
「はぁ……」
軽い調子でそう説明したサイにぽかんとした様子で怜は頷く。そして、徐に俯いてしまった。何事だろう、と明美が様子を見守っていると、きらり、と、教室の明かりを反射した光が一筋見える。それを疑問に思う暇も無く、震え始めた怜の肩を見、そして彼の口から漏れ出る嗚咽を聞き、明美は彼が泣いているのだと気が付いた。
「それからー、ってちょっ、だ、大丈夫……?」
「………ひっ………うぐっ…………す、すみませ………」
まさか泣かれるとは想定外だったのだろう、続いて明美を紹介しようとし、ちらと彼に目を向けてようやくその涙に気がついたサイは、サングラス越しに目をぎょっと見開いた。怜は慌てて袖でゴシゴシと涙を拭い去ろうとするも、どうしても止まらないようだった。
「い、今まで両親にも、信じてもらえなかったから………こうやって真剣に、向き合ってもらえると思わなくて………」
嗚咽混じりに、机にまでぽたぽたと拭いきれない涙を落としながらそう言った彼の言葉は、明美には彼の心情を察するに余りあるものだった。
(あぁ、きっと、凄く怖い思いをしたんだな)
その様子を見て、可哀想に、と明美は内心同情する。同じく怪異に襲われた経験のある身だから出た感情だった。
明美もあの踏切で、そしてあの日の帰り道で体験した、他人には分からない存在がじわりじわりと、それでいて着実に近付いてくる、あの言い様の無い恐怖感。あれに彼も晒され続けていたのだろう。明美の場合は偶然通りがかった菫や、ヒガン達が居た。けれど、彼は。彼の先程の言葉の通りならば、周りの人に信じてもらえず、一人で恐怖を抱え込んで、どれだけ苦しかっただろうか。怖かっただろうか。心細かっただろうか。そんな中、漸く来てくれた助けに安堵して、張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう。
そう考えた明美は自然と、怜の傍に近付き、その震える背中をそっと擦っていた。
「……怖かった、ですよね。その気持ち、凄く分かりますよ」
「………うん……ありがとう………」
近付いてよく見れば、目元に浮かんだ隈が痛々しい。きっと、恐怖心でよく眠れていないのだろう。
明美が怜の心に寄り添ったのが効を奏したのか、次第に聞こえる嗚咽は小さくなり、怜は落ち着きを取り戻し始める。
「………みっともないところ見せてごめん。君は……一年生?」
「はい。一年の阿倍野明美です、よろしくお願いします」
「うん、よろしくね」
泣いて泣いて、最後に眦に残った涙を拭いた彼は、明美を見上げて少しだけ笑ってみせた。その様子を、妖怪二匹は静かに見守っていた。
「……落ち着いたか?」
「うん、ごめん、彩原君、大羽君」
「ううん、いいっていいって」
様子を見計らって声をかけたオオバの問い掛けに、鼻を一つすすり上げてから、怜は小さく頷いた。『彩原 朗希』はサイの仮名、『大羽 秋斗』はオオバの仮名だ。
口をついた謝罪に、ひらりとサイは気安く手を振った。
同級生に対しても敬語だった口調が柔らかくなったのは、彼の緊張と不信感が解れた一番分かりやすい証だった。それに気が付いた明美は、小さく笑って背を擦っていた手を離した。
「んじゃ、阿倍野ちゃんの紹介も済んだし、どうして巻き込まれることになったのか、事の経緯を教えてもらっていい?」
「……ゆっくりでいい」
「うん、ええと……」
図らずも怜の緊張が解けたところで、話は本題の聞き取りへと移る。
二人に促され、少しずつ怜は話し始めた。
「あの日は、僕……ううん、僕と、四人。鏡の噂を聞いて、面白がったあいつらが、放課後やってみようって彼処に行ったんだ」
彼の口から語られたのは、よくある学生の肝試しだった。
進級して気が大きくなったが故の、輝かしい青春の中の黒歴史として笑い話になるような、そんな話になるはずだった。
「先生はすぐに見つかるなんて言うけど………警察に頼ったって見つかりっこない。あいつらは……きっと、ううん、絶対連れて行かれたんだから」
だから僕は嫌だったのに、と、誰に言ったつもりでもないのであろうぼそりと呟かれた恨み言が、隣にいた明美の耳に届いた。
現在、行方不明になっている四人と怜は、学校で良くあるでこぼこグループというやつで。少し強気で能動的な四人と、少し気弱でフォローが上手い怜は、一年の頃のグループワーク以降、上手く噛み合って連んでいた。
いつも自分を楽しい場所に引っ張って行ってくれる四人だったから、この肝試しも強く止められなかった。
4時44分44秒に合わせた時計を身につけて、鏡の中の自分を見ながら、鏡の前で『代わってください』と三回唱えると、鏡の自分がやってくる。鏡の中の自分と目が合ったら要注意。それはもう、あなたを視ている。
そんなクラスメイトの誰かから聞いた良くある怪談話を、学生特有の悪ノリで実際に検証してみようと彼等は動いた。
放課後、各々用意した腕時計を指定時刻に合わせ、勢い勇んで調査に乗り出した。
だが、途中で失伝したのか、噂の『鏡』がどれを指定しているのか彼等は知らなかった。そのため、学校中の鏡を片っ端から試して回ったのだという。
「けど、僕は……」
「言わなかった?」
話の最中差し込まれたサイの質問に、怜はこくりと、また首肯を一つ。
「あいつらに分からないように、顔をちょっと下げて、口パクで言ったフリをしたんだ。なのに、なのに……っ!」
結論から言えば、結局、どの鏡にも反応はなかった。最後の一つさえ反応はなく、白けてしまった彼等は、『噂は嘘だった』という落胆ムードを払拭すべく、近所のファミリーレストランにでも行こうかと話しながら、すっかり暗くなった空の下の帰路につこうとした。
帰ろうとする彼等は、怜が帰宅前にお手洗いに行くということで、玄関口前で四人と怜で分かれた。
----手を洗った時にふと顔を上げて見た、鏡の中。
それを思い出した瞬間に、ガタガタと怜の体が震え出す。
「鏡の中の僕と、目が合った! 嗤ったんだ、アイツは!! 僕を!!!」
鏡の中の自分と目が合うのは、日常的に鏡を見るだけならば、当たり前のことなのだろう。だが、それはあくまで、鏡に映った虚像の己の目を見る、というものだ。だから恐怖を抱くことはない。
しかし、あの夜は違った。
顔を上げて見た、鏡の向こうにいるそれは、自分の影ではなかった。
自分の影を被った何者かだった。
『これは自分とは違う何か』だと、本能的に直感した。
忘れもしない、『眼が合ってはいけないものと目が合った』という感覚。
目が離せないでいた怜を見つめたまま、鏡合わせのそれは、にやりと口角を吊り上げてみせた。
「見間違いだと思った!! 思いたかった!! けど……!!」
恐怖に駆られて飛び出した怜は、慌てて彼らの元へと走り出した。怖い時は誰かと一緒に居たいという当然の心理だったのかもしれない。
だが。
玄関口には、誰もいなかった。
先に帰ったわけではないと直ぐに分かった。だって、証拠があった。
置き去りにされたスクールバッグ、その中から転げて散らばったペンやポーチ。
何かがあったのだろうと分かる状況証拠だった。
それを見て、更にパニックになった怜は、学校から逃げ出した。走って走って、自宅へと。
普段より遅く帰ってきた息子へ向けられた両親の心配の追求も振り切って、彼は部屋に閉じこもった。全てをシャットアウトして、無かったことにしたかった。
気絶していたのか、それとも知らぬ間に眠っていたのか、いつの間にか朝が来ていた。いつものように鳴る携帯のアラームが、放り投げたスクールバッグから微かに聞こえて分かった。バリアの様に包まっていた布団を押しのけて、着っぱなしで皺になった制服をぼんやり整えて、シャツだけ着替えた。
なんだ、いつも通りじゃないか。あれは悪い夢だったんだ。
のろのろとした足取りで、いつも通り顔を洗おうとする。その為に、洗面台に近づいた。
鏡のある洗面台へと。
覗き込んで、
眼が合った。
「ヒッ……!!」
ぞわりと背筋が粟立った。
慌てて、その場を離れてリビングに入った。鏡が見えなくなった、けれど、視られている。視線が消えない、消えてくれない。
周りを見て、気がついた。
例えば、どこにでもある水道の蛇口。例えば、どこにでもあるライトの支柱。例えば-----どこにでもあるテレビ画面。
彼を映す鏡。その全てに映る虚像が、彼を視ていた。
「……それ以降は、母さん達から聞いてるだろ。僕は正気を失って、部屋中にある鏡面のモノを投げ捨てて、自分の部屋に閉じ篭もった」
虚像の視線に気が付いたその後のことは、怜はあまりよく覚えていない。気が付けば、滅茶苦茶になった自室の中で、床に叩きつけられて壊れた腕時計をぼんやり見ながら、ドアの外から聞こえる母親のすすり泣きを聞いていた。
自分が正気を失っていたことを知ったのは、それでも自分を部屋から連れ出そうとした母親の説得の最中で、『あの時は正気じゃなかったんでしょ』という言葉があったからだ。それが無ければ、記憶が曖昧な理由を怜は知らなかっただろう。
「……あとから、家にあいつらの行方を訊きに警察が来た、って話を母さんから聞いたよ。あいつらがまだ帰ってない、居所になりそうなところを知らないか訊かれたよって。その時、やっぱりって思ったよ。あいつらは、連れて行かれたんだって……」
最後に、彼らは共にいた四人についてそう語った。
「母さん達は僕を外に出そうと説得してくれてたけど、鏡の中の自分が睨んでくる、あいつらと同じように連れてかれるって何度言っても、全然信じてくれなかった。よく考えれば、当たり前なんだけどね……凄く辛かったな」
力なくそう笑って、怜は言葉を切る。
以上が、高橋怜の知る全てである。
「うん、ありがとう。事のあらましは聞けたかな」
サイはそう頷いた。そして、オオバと何某かのアイコンタクトを取る。
(今の話で、二人の中でなにか引っかかることでもあったのかな……?)
そう思いはするものの、まだ彼ら二人と関係の浅い-----ましてや『楔』にまだなれていない明美には、彼らが今の話で何を感じとり、何のやり取りをしているのかは分からなかった。
けれど、明美にも分かることはある。
「それでも先輩は、そんなに怖くても、私たちに協力してくれることを選んだんですね」
「うん」
今ここに怜がいる、その事実を確認するように声にすれば、怜は迷いなく頷いた。
「確かに怖いよ。けど、これ以上、訳の分からないモノにびくびくしながら生きてくのも嫌だし……あいつらが生きてる可能性があるなら、見殺しにしたくない。なにより母さん達に、色々壊したりして、凄く迷惑かけたから。ちゃんと部屋から出て、謝りたい」
ぐっと、膝に置いた握り拳を固く握りしめ、怜は真意を語る。
「特にあの腕時計は、入学祝いに両親からプレゼントしてもらった大事なものだったんだ。……投げて壊すなんて、やっていいことじゃないよ」
ぽつりと語られる後悔に、いい人だなぁと、明美は素直に思う。
「まぁでも、『壊した』のは悪いことばっかりじゃないかもよ?」
「え?」
そこに、思わぬ反論が飛ぶ。
きょとんとした明美と怜に、サイはガサゴソとポケットを漁って、黒い布袋を取り出した。
「じゃじゃーん。これね、その腕時計が入ってるんだ」
強張る怜の顔を見ながら、お母さんから預かってきたんだ、と、サイは補足する。袋が揺れて、きゃりきゃりと音が鳴った。
「ここで問題です。噂ではさ、時計を着けさせるじゃん。それは何でだと思う?」
「え? ………あれ、そういえば……」
サイの問いかけを受け、なんでだろう、と明美は考える。
「ガラスが反射するから、とか……いやでもあれは鏡みたいな反射じゃないし、うーん……?」
言われて考えてみれば、相手は鏡の怪異のはず。鏡と言えばやはりモノが映り込むほどの反射率の高さが特徴だが、そこに『時計』は関係がない。
時計と言えば、文字盤をしっかり見えるよう、反射を抑える特殊なコート材を塗布していることがほとんどだと、いつか何かの本で読んだ記憶がある。だからむしろ、反射を殺しているとも言えるだろう。
それなのに、何故身に付けることが条件に組み込まれているのだろうか。
考え込む明美に、オオバが答えを示した。
「……憶測だが。噂の指定で時計を身に付けさせるのは、自分の妖術を付与し、追跡する目印にするためだと考えられる」
「目印……」
「そう。要はGPSってやつ。まぁ憶測と言っても、実際にさ……」
袋に顔を寄せ、サイはすんすんと臭いを嗅ぐ。
「消えかけてはいるけど、怪異の臭いがするんだよね、これ。だからまぁ、ほぼ確実にそうだと思うよ」
「でも、どうしてそんなこと……」
「妖術を使い、恐怖で逃げ惑わせ、追い詰めるためだろう」
オオバのその答えを聞いても、まだ怪異の行動原理を理解できていない明美には、追い詰めるという行為の意図がピンと来なかった。
怜はもっと良く分かっていないのか、困惑した顔をしている。
「そんなの、何のために……?」
首を傾げる人間二人を見て、サイは頬を掻く。
「うーん……あんまり怖がらせるのもなんだし、黙っとこうかと思ってたんだけど。まぁ、二人とも当事者だしなぁ」
これは知っといた方がいいかぁ、とぽつりと呟くと、サイはあっけらかんと言ってのける。
「人間って、怖い思いすると、安心する場所に逃げようとするでしょ。それこそ家とか。で、そこには誰が居ると思う?」
「! まさか……!」
ここまで言われれば、明美でも想像がつく。同じ事を考えついたのだろう、怜の顔から、みるみるうちに血の気が失せていく。
だって、それは自分も取った行動だったから。
「とうさん、かあさん……!」
あんな恐ろしいものに、巻き込んでしまった。
その可能性に至った彼は居ても立ってもいられず、勢い良く立ち上がる。
「あっ、先輩! 待って……!」
「あーっとぉ、言い方が悪かったのは認めるけど、ちょっと待とうか! 君の親御さんには何ともないから!」
今にも教室を飛び出していきそうな怜を、慌てて明美と、サイが制止する。
「親御さんから怪異の臭いはしなかったから、ターゲットにはなってないよ。安心して」
「……ほ、本当に?」
「ホントホント、オレの鼻は優秀なんだよ? それにほら、今日まで親御さんが所用で外出しても、怪異に襲われたりとか何も無かったから、親御さんは健在でしょ?」
「……確かに……」
だから座って、と再度着席を勧めるサイに、説明されて腑に落ちたのか、少し落ち着きを取り戻した怜は大人しく従った。
「さて、話を続けるね。そも、君がなんでそういう役に選ばれたかっていうのは、ルールを守ってなかったのが主な要因じゃないかっていうのが、オレ達の考えだよ」
「ルール?」
「ほら、相手を呼び出す手順をちゃんと守らなかったじゃん」
「………あ」
明美は、怜が確かにそう話していたことを思い出す。顔を伏せて、口パクで乗り切ったと。
「結局、こういう手順で何をやらせたいかってさ、言霊による契約なんだよね。『怪異に連れて行かれることに同意します』っていう、言質を取ってるワケよ。手順通りにしてたら、きっと君もあの日連れてかれてたよ。けど、君は怪異のルールに従わなかったから、連れて行けなかった。だから、別口のアプローチに切り替えた」
捕らえられないのであれば、術をかけた時計を触媒に新たな獲物へ誘導させるという、とても傍迷惑な役。まだあまり術に詳しくない明美が聞いているだけでも、あまりにも悪質な策だ。
「ただ、急遽切り替えたから、術のかかりが甘かったんだね。術は不完全な状態だった。コンくん……オレの友達が『術が形を成してないから、何の術だったか読み取れない』って言ってたから間違いないよ」
コンくん----つまりはユウがそう言っていたのなら、確かにそうなのだろう。
明美は、彼自身とは契約していないのもあって、まだあまり交流がない。寧ろ、彼の方が明美を避けている気がする。しかし妖怪達の中でも、呪術及び妖術への一番造詣が深いとスエシロやミナセから紹介を受けている。自分よりも付き合いの長い彼等が口を揃えてそう言うのだから、明美もまた彼の腕を信じていた。
「けどこういう時の術は、さっきも言ったように大体が『怖がらせ目的』なんだよね。そんで、君の話を聞いてる限り、恐らくは鏡の虚像を歪ませる幻覚・幻聴の術の類いだと思うよ。そんな不完全な術が発動して、君は発狂した。その時にこれを壊したおかげで、術も一緒に破壊されて目印の役割を完全に失った。だから、最悪には至ってない。ファインプレーってやつだよ」
よかったね、とサイは笑う。
その説明を聞いて、どうやら両親は巻き込んでいないようだと安心したのか、怜は小さく息を吐いた。
「よし! 取り敢えずお互いの状況整理は出来たかな。ここからはこれからの話をしようか。----鏡の怪異をやっつけるためのね」
サイがパンと手を叩く音で、空気が変わる。
本格的な作戦会議が始まると察した明美は、漸く自身も話に入れると居住まいを正した。
「そのためにまず、高橋クンにはしてもらいたいことがありまぁす」
「は、はい」
緊張した面持ちで頷く怜に、にっこりと、サイが笑う。
「高橋クンには、普通に学校にきてもらいます!」
「………え?」
思いもよらない話し出しに、人間二人の驚嘆が教室に響いた。




