Prologue 表
――――――――――涙で潤んだ青色の瞳とかち合った瞬間、清沢 菫は全てを思い出した。
「今から踏切渡るのは危ないよ」
混乱する思考を一度隅へと追いやり、右手を取られて振り返った少女に対して、菫は握った手を離さずに笑って話しかけ続ける。
「電車きちゃうからもうちょっとこっちに居た方がいいよ。ここの電車通りすぎるの早くてさ、風がめっちゃ強いんだよね。短いスカートだと捲れ上がっちゃって中身が見えちゃうからもうちょいこっちにいた方がいいよ」
そんな事は本当は一切無いのだが、適当な事を捲し立て、ぽかんと此方を見ていた少女の右手をぐいっと引き寄せる。隣に立たせると同時に、線路側の手を握っていたもう一つの手を然り気無く振り払った。
【………ァァ、ヴゥ……】
「ひっ」
振り払われた血だらけの手を、ギ、ギ、ギという音を立てそうな程不自然な動きで開き、そのまま此方に近付けてくるソレは、未練がましくどろりと泥のように澱みきった眼を此方に向ける。菫はソレをまるで見えていない様に無視し、菫とは反対に、ソレを見てかたかたと体を震わせて怯える少女に話しかけた。
「君、ここら辺で見かけない子だけど、もしかして引っ越してきた子?」
「へ、……え、あ、はい……」
「そっかそっか、じゃあこの踏切には短いスカートの女の子はあんまり近付かない方がいいってことも知らないのも納得だ」
恐怖に体を震わせ、顔を青褪めさせながらも頷いてくれた少女に対して、うんうんと一人で納得したように頷く素振りをしながら、菫は手を握ったまま話し続ける。
適当な事を一方的にぺちゃくちゃと少女に話しかけていると、次第に電車が来ることを告げるカンカンカンという踏切特有のサイレンの音が辺りに響きだす。
【グ、あ、ァ………】
その途端、ソレが背後に立った気配を感じた。
鉄の臭いに似た生臭い臭いがすぐ傍でしている。
ずるり、だらり、と垂れ下がる、菫のものではない黒い髪が視界に映り込む。
菫の視線自体は少女しか見ていないが、十中八九さっき振り払ったモノが近付いているのだろう、と菫は思考する。菫の横の方を見て、少女が一層顔を強張らせて怯えている為に、直ぐにそう理解できた。
【ア…ぅ…ケ………エ……】
ごぼり、ごぼり、と、動かす度に水音と鉄の臭いのする赤い水を吐く口で、何かをブツブツと言いながら、それは菫の前へとずるりと現れる。至近距離で顔を覗き込むソレの顔には、本来あるはずの両目が揃っていなかった。右目が、いや、本来ならば右目だけではなく顔の皮膚で覆われているあるはずのそこは、何か重いもので轢き潰されたように抉れ、ぐちゃぐちゃになっていた。時折見える白い欠片や脳髄であったであろうその肉塊は、赤黒い血を流しながら蠢いている。
遠慮なく顔を近付けてくるソレを無視し、遠くからやってきた電車の方を見て、サイレンに負けない声で菫は少女に話す。
「あ、ほら、電車きたよ! スカート抑えて!」
「そ、それどころじゃ……」
「いいから早く! パンツ諸だしとか嫌でしょ!?」
「も、諸だし!? う、うん!」
菫がスカートを押さえながら言った『パンツ諸だし』の言葉に顔を赤くした少女は空いていた手でバッとスカートを押さえる。その瞬間、電車がやってきた。ゴウッという音を伴って、風を巻き起こしながら電車が通り過ぎていった。
時間にして数秒ほどたった後、電車が完全に通り過ぎ、踏切の遮断機がゆっくりと上がっていく。
「さて、いこっか!」
少女に声をかけ、返事は聞かずに手を繋いだまま踏切を早足で渡る。
【………ヴゥ……………】
纏わり付いていたソレも着いてきていたが、二人が踏切を過ぎると、何故かぴたりと足を止め、此方を見つめるだけになる。
「ほら、こっちだよ!」
その様子を少女を急かすフリをして確認し、踏切を離れる。道を適当に歩き、建物が踏切を隠して完全に見えなくなるまで遠ざかり、サイレンの音も届かなくなった大通りにまで出ると、少女が突然立ち止まった。
「わわ、どうしたの?」
少女が立ち止まった所為で、ぐん、と引っ張られた手の方を振り返って見ると、
「………たすかった……っ」
少女が顔を歪め、ぽろぽろと涙を溢し、泣き出してしまっていた。
「えっ!? あ、ど、どうしたの!? 泣かないで!?」
踏切から離れられた安堵からくる涙だろうと分かっているが、菫は少女が何故泣き出してしまったのか分からない素振りをして、慌てているように振る舞う。町中で顔を覆って泣き出してしまった少女と菫を見て、道行く人達が訝しげな視線を二人に投げ掛ける。これはまずい、と考えた菫は、辺りを見渡して、公園を見つけると、少女に声をかけた。
「ねぇ、ちょっと歩ける……? 歩けるならそこの公園まで行かない?」
「えぐ、うぅ………はいぃ………」
「あーあー手で擦っちゃだめだよ……これ使っていいから、ね?」
泣きながらも頷いてくれた少女に持っていたハンカチを押し付け、周りの人からの痛い視線を浴びながら公園まで移動する。ベンチまで少女を案内して座らせてから、菫は自販機があるのに気付く。ちょうどいいと思った菫は自分が好きな缶のオレンジジュースを二本買って、一本は少女に差し出した。
「はい、どーぞ。これでも飲んでちょっと落ち着こ? これ、美味しいんだよ」
「………ありがとう、ございます………」
少し落ち着いたらしい少女は、しゃくりあげながらもジュースを受け取る。それを見てから、菫は隣に座ってプルタブを開け、中身を飲む。それに倣うように、少女もプルタブを開けると、控えめに一口口に含んだ。
「…………落ち着いた?」
「……はい………御迷惑をおかけしました………」
女子がジュースを口から離した所を見計らって、菫は声をかけた。落ち着いたらしい少女はこくりと頷き、菫に向き直って深々と頭を下げた。
「気にしてないから謝んないでいーよ。それより、もう大丈夫?」
なるべく笑顔でそう言うと、少女は顔をあげ、こくりと頷いた。
「はい。もう落ち着きました」
「そっか」
すっかり落ち着きを取り戻した様子の少女の青い瞳を見て、そして体をちらっと観察してから、菫は満足そうに頷く。そうしてジュースを一口飲み、話す。
「さっきは突然話しかけちゃってごめんね。一人で踏切前でふらふらしてたから、もしかして自殺しようとしてない?って思って。あの踏切、嫌な噂あったし。そしたら勝手に体が動いててさ。………違う、よね?」
あくまで彼処に居た存在の話は出さず、お節介な人間を装って菫が質問を投げ掛けると、少女はぎょっと目を見開き、首をぶんぶんと横に振った。
「ち、違います! 自殺なんてするわけないじゃないですか!」
「だよね。ごめん」
どれだけオブラートに包もうと失礼な質問である事は分かっていたので、素直に菫は謝る。
「………というか、嫌な噂って……?」
「ん? あぁ、引っ越してきたって言ってたし、知らないのか。あそこね、『ひきずり踏切』なんて言われてるんだ」
「『ひきずり踏切』……?」
やはり聞き覚えが無かったのか、少女は鸚鵡返しに菫の言葉を繰り返し、首を傾げる。その様子に苦笑いを溢し、警告代わりに『ひきずり踏切』の話をしてやる。
「そう。つい最近出回り始めた噂なんだけどね、大体10代後半から20代前半ぐらいの歳の人があそこに近付くと、踏切に引きずり込まれてしまうって噂があるんだよね。実際に何人か引きずり込まれそうになった人がいるんだって。だからあそこの踏切にはあんまり誰も近付かないんだよね」
「………そう、なんですか」
「しかもさ、その人達が言うには、何かに手を引っ張られたって。怖いよね」
先程のアレを思い出してしまった上に、もしあのまま引きずり込まれていたらどうなっていたかを想像したのだろう、血の気を無くした青い顔をして黙り込んでしまった少女の横顔を盗み見し、泣くほど怖かった出来事を思い出させてしまって申し訳なく思いながら、菫はジュースを煽り、一気に飲み干す。そして空き缶を持ったまま立ち上がって、少女に向き直った。
「………さて、そろそろいかなきゃ。私は行くけど、もう大丈夫?」
「あ、はい。もう大丈夫です」
「そう。じゃあ、ハンカチ返してもらえる?」
「あっ!」
少女の右手にきつく握り締められたハンカチを指差しながら菫が言うと、少女ははっとしてハンカチを見た。そして菫とハンカチを交互に見ると、おずおずと口を開く。
「………あの、これ、洗って返したいんですけど、だめですか? 使わせてもらっちゃいましたし……」
「えっ」
少女からの申し出に、今度は菫が目を見開く番だった。
「えっ、いや、流石にそれはいいよ? 元はと言えば私のただのお節介なんだし、持って帰るよ」
「いえ、落ち着くまで面倒見てもらったうえに使わせてもらったのに、このまま返すわけにはいきませんよ!」
「ええ……」
菫がハンカチを返してもらおうと遠慮しても、先程の取り乱した様子とは打って変わって力強くそう言ってハンカチを握りしめる少女に、菫は思わず苦笑した。
「んー……分かった。そこまで言うなら、洗って返してもらおうかな。でも、ちょっとこの後用事あるから、後日でもいい?」
このまま押し問答していても埒が開かないことを悟った菫は、自分の意見を折り、少女の言う通り洗って返してもらうことにした。そうすると、少女はぱっと顔を明るくし、今度は首を縦に振った。
「! はい、全然大丈夫です! それじゃ、連絡が取れるように連絡先交換しましょ!」
ハンカチをしまい込み、代わりにスマートフォンを取り出して立ち上がった少女に倣い、菫もスマートフォンを取り出す。無事に連絡先を交換し終わった時、少女がはっとした様子で菫を見た。
「すみません、自己紹介がまだでしたね! 申し遅れました、私、阿倍野明美と言います。よろしくお願いします」
丁寧に自己紹介をした少女――――――阿倍野 明美に、菫も自己紹介を忘れていたのに気付き、自己紹介をする。
「あ、本当だ。私も名乗ってなかった。ご丁寧にどうも、私は清沢菫。歳は十五だよ。だから敬語じゃなくても大丈夫だよ。見たところ同年代でしょ?」
「えっ!? 同い年なの!? 見えない……! 私より身長も高いし、年上かと思ってた!」
「え、そう? 顔とか割りと年相応な気がするけど」
歳を言った瞬間目を見開いて信じられないような顔をする明美に、逆に菫が驚かされる。確かに明美の言う通り、菫の身長は163cmと十五歳にしては高い方だが、だからと言って年上に見えるほど大人びては居ないと菫自身は思っていたのだが、どうやら明美にはそう見えていなかったらしい。ずっと敬語だった理由はこれだったのかと心中で納得した。
「ね、ねぇ! もしよかったら、友達になってくれない!?」
「えっ!?」
ずい、と一歩近付いてそう言う明美に思わず菫は仰け反った。
「私、さっきも言ったけど引っ越してきたばっかりでまだこの街に同年代の友達が居なくて………だめ、かな?」
本人にはその気は一切ないだろうが、まるで捨てられた子犬のような目で見上げる明美に、菫はぐっと言葉を詰まらせる。
「…………いや、私はいいけど……私が一番最初の友達でいいの?」
「うん!」
「うっ………分かった、じゃあ友達になろうか」
「やったー! よろしくね、菫ちゃん!」
「うん、よろしく」
初対面で先程会ったばかりであるにも関わらずぐいぐい来る明美に根負けして菫が頷くと、明美は無邪気な笑顔を見せる。年相応なその笑顔を見て、菫の頬も思わず緩んだ。
「それじゃあ、そろそろマジで行かないと怒られるから行くわ」
連絡先の交換も終わったのでそろそろ大丈夫だろうと思って、今度こそ立ち去ろうと一歩下がる。すると、明美は申し訳なさそうな顔をした。
「あっ、そっか、用事あるんだっけ。引き留めちゃってごめんね」
「ううん、大丈夫。それじゃあまたね、明美ちゃん。気をつけて帰りなよ?」
「うん! 後でまた連絡するね! ばいばーい!」
手を振って見送ってくれた明美に手を振り返し、入り口付近にあった缶のゴミ箱に空き缶を放り込むと、菫はさっさと公園を出る。そして暫く適当に歩いて人通りの少ない小道にまで来ると、コンクリートの壁に背を預ける。ふーっと息を深く吐き出してから顔を覆い、ずるずると背中を擦りながらしゃがみ込む。
そして、
「主人公が尊い………」
その一言を口から捻り出した。
(何なのあの子。本当に何なのあの可愛さ。そりゃ皆に愛されるわけだわ。完全に不審者だった私にも笑いかけてくれるぐらいコミュ力つよつよだしぐいぐいくるし可愛いし主人公………恐ろしい子……!!とか言ってる余裕すら吹っ飛ばされるんですけど??よく挙動不審にならずにあの場を離れられたな私???あのままあそこに居たら絶対に化けの皮が剥がれてたぞ????というか捨てられた子犬みたいな顔しちゃってもー!!!!!!あんな顔で『だめ、かな?』はずるいって!!!!あんなん即堕ち2コマ余裕ですわ!!!!身長差も相俟って上目遣いになってたしもう!!!本当に!!!!もう!!!!!!これだから約束されし勝利の美貌持ちは!!!!!無自覚なのが尚更困る!!!!!そんなところも好きだけども!!!!!!服のセンスも良かったし!!!!良い匂いだったし!!!!!ただでさえ可愛いのに女の子らしい服着ちゃったら可愛さ全快なんだけど変な虫が寄ってきそうで怖いんですが!?!?攻略対象達による牽制という名の身辺警護はよ!!!!!)
頭の中を駆け巡る言葉をうっかり口に出さないように一生懸命耐えながら、菫は萌えに悶え、体を震わせる。
(というか、え?私、そんな可愛い子の現地友達第1号??身に余る光栄過ぎるんですが???え、私今日死ぬの????いや待てこれからのあの子の笑顔を見るまでは死ねない生きろ。そしてあの子のウェディングドレス姿と孫を見るまでは死ぬな。てか落ち着け、まだ知り合ったばっかだしそこまで深い仲じゃないだろうが大分気持ち悪い思考だぞ????)
「すぅーっ…………はーっ…………すぅーっ………はーっ………」
はっと我に返り、菫は自身を落ち着かせる為に深呼吸をする。そして大分落ち着いた所で、ぼんやりと空を見上げた。
(…………それにしても、まさか………私が転生者だったとはなぁ……)
「……はははっ」
そこまで考えて、菫は誰に聞かせるわけでもない空笑いをする。
そう、清沢菫は転生者であった。
先程踏切で思い出したのは、平々凡々と過ごしていた、ただの凡人であった記憶。今世の菫と同じように学校に通い、休みにはゲームやアルバイトに勤しんだり、なけなしの小遣いを推しに貢ぐ生活をしていた筈の人間の記憶だった。
(昔から見るもの聞くもの全てにデジャヴを感じてはいたけど………まさか、私が転生者だったなんて。というか、えー………? ラノベ展開にまさか自分が巻き込まれるとか………。信じらんないんだけど。てか神様に会った記憶なんてないんですけど? ということはラノベ界隈特有の神様転生ではないのか。チートなんて貰ってないし。…………あ、いや、それらしきものはあるか。でもチートとは言えないかな……)
つい先程思い出した前世について考え、がりがりと頭を掻く。自分が考えているよりも混乱しているのか、あちこちに散らばる自分の思考を整理しようと頭を回し、冷静になろうとする。
(………というか、前世を思い出した影響かもしれないけど、思考回路がちょっと変わったかな……? まぁ、元々あった自我を塗り潰したとかではないからいいけど)
ふと、自分の思考が前世を思い出すまでの自分とは少し違うことに気付くが、そこまで重要な事ではないと判断し、別の事を考える。
(………まさか、転生して初のキャラエンカウントが主人公とはなぁ………多分主人公だよね、あの子。そうじゃなかったらヤバいけど、十中八九そうだよね。運が良かったと言うべきか……まぁ、そのお陰でこの世界が何の世界なのかはっきりしたけど。
気が付いたら自分が好きだった乙女ゲームの世界に転生してるとか………ラノベあるある過ぎて逆に笑える)
笑える、などと思ってはいても、菫は全く笑えなかった。
そう、先程から菫が明美のことを『主人公』と形容しているのは、前世の記憶の中にあるとある女性向けゲームの主人公と瓜二つ………いや、恐らく本人だろうと推測しているからである。
そのゲームとは、『永炎紅恋和譚』。都心・暮乃町を舞台に展開される女性向け学園恋愛ホラーシミュレーションゲームである。乙女ゲームの中でも中々知名度があり、深夜帯でアニメ化もされていた、菫が前世でのめり込んでいたゲームだった。暮乃町立山吹学園高等学校を主に、町で起きる事件を生徒に扮するイケメン妖怪(+α)達と恋をしながら解決していく………というのがゲームの大体のあらすじである。ちなみに、『清沢菫』というキャラクターは一度も出てこない。完全にモブである。まぁ死亡フラグがあちこちに転がってる悪役令嬢じゃないだけマシか、と菫は思った。
先程会った阿倍野明美は、スチルやアニメなどに登場した際に描かれた容姿をしていた。そして、『阿倍野明美』という名前は、プレイヤーが操作できる主人公のデフォルトネームだった。
容姿が似ていて名前が同じだけならまだ他人の空似ではないかとも思えるが、今菫がいる場所は紛れもない暮乃町であり、そこに引っ越してきたという情報も相俟って、先程出会った人物は主人公の阿倍野明美ではないと否定できずに居た。
(………それに、日本中探しても、あんなに綺麗な青色の目を持ってる日本人の女の子は他に居ないだろうしなぁ……)
菫があの子は主人公ではないと言い切れない理由がもう一つ、明美の瞳にあった。晴れ渡った夏空の色をそのまま写し取ったような、印象に残る青い瞳。それが、アニメ化された際に書き込まれた主人公の目の色と酷似していた。綺麗だ、と思ったのと同時に、ゲームの名前とは違って寒色なんだな、と思ったのを覚えている。
(………それにしても、今日、あそこの様子見に行って良かった。そうじゃなきゃ、世界の宝が悪霊に連れていかれるところだった。そう言えば公式設定で『何度か霊的な事象に遭遇した事がある』って言ってたな)
ふと、今日菫がひきずり踏切に行かなければどうなっていたかを考え、安堵する。
――――先程菫が遭遇したアレらのような『悪霊』や『怪異』と呼ばれる存在と、世間一般的に『妖怪』と呼ばれる存在が、この世界にはいる。
先程のあらすじを見れば察することは出来ると思うが、攻略対象キャラクターのほぼ全員は妖怪であるし、ゲームのイベントも大体は怪異関係のものが多い。ホラー要素のある乙女ゲームとは、と前世の菫が疑問を持ったのは当然だった。
まぁ、菫が居なくても、『主人公』であるならば助かったかもしれない。まだ入学式というゲームの始まりのイベントすら始まっていないのだから。だが、先程の幽霊の様子を見ると、無責任にそう断じるのは危険だった。
(何あれ、片腕もげてたじゃん………電車で肉が無理矢理轢き千切られた所為だろうけどゲームで描写されてた霊とは比にならないグロさだよアレ。あくまでも女性向け恋愛ゲームだってこともあったから描写が緩和されてたのかも。現実はやっぱりそんなもんだよなぁ………明美ちゃんが怯えるのも分かるよ。あんなん耐性無い人が見たら心臓止まるわ。やっぱり現実はゲームみたいに甘いわけがなかった)
あまりにも、ゲームとはレベルが違う。
纏わり付くような鉄臭い血の臭い。思わず吐き出しそうになる肉の断面。そこから見える骨。あまりにも生々しすぎたそれらは、嫌でもそれが現実であることを突き付けてくる。見慣れている菫にとっては何ともないが、耐性が無い人が見れば食べた食事を戻してしまうかもしれないぐらいには、現実的過ぎた。
取り止めのない思考を巡らせるのもそろそろ止め、思考を切り換える。そろそろ真面目に考えなければ、と菫は考え、先程の状況を分析する。
(明美ちゃんに絡んでたアレがひきずり踏切の噂の正体だろうな。随分と悪霊化が進んでたけど、噂の影響を受けてるな、あれは)
いい加減座っているのも疲れた菫は、立ち上がって歩き出す。思考回路は回しながら、足を動かし続ける。
(ひきずり踏切の話なんてゲームでは見かけなかったな。まぁ、それは今はいいや。服装は………血だらけで見にくかったけど、あれはスーツかな。十中八九社会人。髪の長さ、声の高さからして女性の可能性が高い。社会人ってことは……怨恨、もしくは、このご時世だと自殺の可能性もある。彼処での事故の記事を見直しておかないと。あの具合から見て死んで数十年は経ってない。噂が出回り始めた時期もつい最近らしいし、死んでしまったのはここ数年内だろうな。だけど、噂の影響で穢れが進んでる。……今までは誰も殺してないみたいだけど………さっきの事を踏まえて考えると、そろそろ死者が出そうだ。
今日中に片をつけよう)
考えた末にそう結論を出した菫は、その場を足早に後にした。