まずは情報を
結局、ろくに話らしい話もできずにトーヴァは離宮へ戻ってきた。
――ネリアーを連れたまま。
「トーヴァ、その方は?」
「魔術師のネリアー殿、です……」
抱きつくように、トーヴァの腰にしっかりと腕を回したまま、ネリアーは器用に礼をしてみせる。
「ジェルヴェーズ姫殿下にはご機嫌麗しく。
“朱の国”魔術師協会の魔術師、ネリアーと申します。ようやく出会えた私の水の乙女から、どうにも離れがたく、このまま御前にまかり出ることをお許しいただけるなら、恐悦至極にございます」
「水の乙女? トーヴァのこと?」
「はい。ひと目見てすぐに彼女こそが私の水の乙女だとわかりました。そうなるとひと時足りとも離れがたく、こうして共に参ってしまった次第です」
腰を抱いたままにこりと笑うネリアーの腕に力がこもり、トーヴァはびくっと身を震わせる。
「――まあ! まあ! それじゃ、ネリアーはトーヴァに一目惚れしてしまったということなのね! 運命の出会いなのね! わたくしとオーリャ様みたい!」
「はい」
きらりとジェルヴェーズの目が光る。いいことを考えたという時の輝きだ。
トーヴァは、まさか、と身を固くする。
「ねえ、ネリアー。あなた、わたくし付の魔術師になる気はない?」
「姫殿下付ですか?」
「姫様!」
やっぱり、とトーヴァが悲鳴のような声を上げる。
「愛し合うものを引き離すのはよくないと思うの。だから、ネリアーがわたくし付の魔術師になれば、いつでも一緒にいられるんじゃないかしら」
「姫様! 彼はともかく、私は別に愛してなんて……」
「さすが、殿下は仕える者たちの機微にも敏感でいらっしゃる。ええ、願ったり叶ったりですとも」
ジェルヴェーズはにんまりと笑った。
「ねえトーヴァ。わたくし、アルトゥール殿下のためにも、魔術師協会のお仕事はもちろん、魔術のことも含めていろんなことが知りたいの。ネリアーなら、きっと嘘偽りなく教えてくれるでしょう?」
「はい、姫殿下。私の“水の乙女”にかけて、もちろんですとも」
トーヴァが答えるより早く、ネリアーがにこやかに首肯する。
ジェルヴェーズの背後で侍女たちがかすかに気の毒そうな表情を浮かべるが、口を出す気は無いようだ。
アルトゥールのここ二年のようすはもちろん、“魔導師の遺産”について知るなら、協会の正魔術師であるネリアーの協力は必要不可欠だ。
それに、“水妖”は愛を誓った相手を裏切らない。だから、トーヴァを“乙女”と呼ぶ彼なら信用できる。
――もっとも、自分が裏切らない以上に相手の裏切りを許さないのが、“水妖”と呼ばれる水の上位精霊の性質なのだが。
しばし考えて、結局それ以上の考えなどうかばないまま、はああと盛大な溜息を吐いて、トーヴァは「しかたがありません」と折れた。
「姫様のためですし、ネリアー殿には姫様付きとなっていただいて、協力を仰ぐことにしましょう。ネリアー殿、よろしくお願いします」
「乙女」
「――まだ、何か?」
「そのように仰々しく他人行儀に呼ぶのはやめてください。
どうか、ネリアーとだけ」
「え、いやっ、それは……」
他人行儀って、他人以外の何だと言うのか。
思わずそう返しそうになる言葉をぐっと呑み込んで、トーヴァはぐるりと皆に視線を巡らせる。
だが、懇願するような目で見つめるネリアーと、期待に目を輝かせるジェルヴェーズが目に入り、トーヴァはやっぱり観念せざるを得なかった。
「わかりました、ネリアー」
「はい。あなたのために力を尽くしましょう」
ネリアーが機嫌よくトーヴァを抱き締める。
カーティスを護衛とする手続きが済んだと戻ったクレールは、とんぼ返りで今度はネリアーをジェルヴェーズ付とする手続きに戻った。
教会に滞在するカーティスが離宮に移るのは明日。
ネリアーもそれに合わせて……のはずだったが、当のネリアーのごり押しで、その日からそのまま離宮へ滞在することになった。
相変わらずアルトゥールは塔に入り浸りで、ほとんど離宮に顔を出さない。
カーティスやネリアーをジェルヴェーズ付にしたという話も、ちゃんと伝わっているのかどうか。
「ネリアー、アルトゥール殿下のこと、どう思う?」
「どう、とは?」
午後も遅くなってから、サロンでお茶を囲む。
が、お茶を味わうこともそこそこに、ジェルヴェーズはさっそく質問を始めた。トーヴァはもちろんネリアーの隣で、ほとんど抱えるようにしてくっつかれている。
本当なら、ジェルヴェーズだって、ああしてアルトゥールと距離を縮めているはずなのに……と、羨ましいような腹立たしいような、複雑な気持ちも湧き上がる。
もっとも、誰が見てもネリアーの一方通行で、トーヴァはただひたすら目的のために彼に付き合っている、という表情ではあるが。
「ここに来てから……いいえ、二年くらい前から、アルトゥール殿下が冷たいの。前はわたくしのことをとっても気にしてくださって、魔術だっていろいろ披露してくれたのに、今は全然なのよ」
「それは困りましたね。二年前というと……殿下が協会と魔術省の仕事を任されるよ になった頃でしょうか」
「そうなの? でも、忙しくなったからって、わたくしが来てからもずっと塔にこもりきりって、おかしくないかしら」
ふむ、とネリアーは首を傾げる。
話の間も、片手はずっとトーヴァを抱えたままだ。少し離れようと身じろぎすれば、それ以上の力で引き寄せられてしまう。
「人間の男性というのは、何と言いますか、気が多いものですからね」
「まあ! それじゃネリアーは、アルトゥール殿下が浮気していると言うの!? どこの誰と!?」
「そういう噂があることは否定しませんが……私には、殿下にそこまで甲斐性があるかどうか疑問ですよ」
「まあ! まあ! どういう意味なのかしら!」
「姫様、落ち着いてくださ……」
トーヴァが浮かせた腰をまた引き寄せて、ネリアーは何と言ったものかと考える。しばし考えて、「ああ、あれだ」とにっこり笑う。
「二年ほど前、魔導師が遺した魔道具が塔の地下で多数発見されまして、その整理で大わらわだったことがあるのですよ。
その頃から、殿下がある見習いを連れ歩くようになりまして」
「連れ歩く……あの、部下だという魔術師のことかしら」
「そうです。リュドミラ……ええと、確かトゥロマ伯の娘ですね。直属の近衛騎士の婚約者ですが、そちらにもだいぶ不穏な噂があったような」
大きく目を見開いて、ジェルヴェーズはごくりと喉を鳴らす。
「どんな噂なのかしら」
「あまり興味をそそられるものでもなく聞き流しておりましたが……よく耳にしたのは、“あの騎士は出世のために恋人を差し出したのだ”でしょうか。もちろん真偽のほどは知りません」
「そんな……オーリャ様が、そんなこと、絶対するわけがないわ……やっぱり偽物よ。偽物が、オーリャ様のふりをしてるのよ」
トーヴァが控えた侍女たちに目配せをすると、三人ともがしっかりと頷いた。遅くても明日中には、三者三様に噂を聞き込んで来るだろう。
「ネリアー、“魔導師の遺産”にはどんなものがあったんですか?」
「ひと言で言って様々ですよ、乙女」
名を呼ばれてうっとりと微笑んで顔を寄せるネリアーを、背を反らして躱しながらトーヴァは先を促す。
「私は召喚術が専門ですから、それに該当する物品の検分に駆り出されました。ですが、九割がたガラクタと言っていいものでしたね」
「九割がたということは、そうでないものもいくつかあったのよね?」
「はい。用途不明なものも含めて、十ほどでしょうか。すべて塔の管理庫に封じられていますよ」
「魔道具がどうかしたの?」
ジェルヴェーズが不思議そうにトーヴァを見る。
「はい……その、殿下がお変わりになられた、何かきっかけがあるのではないかと思いまして……」
「きっかけ?」
むむ、とジェルヴェーズが考え込む。
「もしかして、魔道具に潜む悪魔がオーリャ様を襲ってすり替えたの!?」
なんてことなのと騒ぐジェルヴェーズを、ネリアーは少しおもしろそうに眺めた。それから、「なるほど」とトーヴァに耳に囁く。
「いったい何をと思いましたが、そういうことでしたか」
「そういうことって……」
「ええまあ、たしかに殿下が変わってしまわれたと言う者は少なからずおりましたし、姫殿下もそう考えているからこその、今のこれなのでしょう?」
目の前で行われるやり取りで、ネリアーも、ジェルヴェーズが何を案じているのかを、さすがに悟ったようだった。
はっきりとは言わずとも、さすがにあからさまだったのだろう。
「ネリアー、その、どうかこのことは他言無用で……」
「もちろんです、乙女。私は乙女を困らせたりはしませんよ」
トーヴァは安堵に息を吐く。ほっとしたついでに、ネリアーの腕も外そうとまた身体を捩らせる。
「なら、この腕を外して……」
「それは出来かねます」
外そうとした腕をしっかりと絡め直して、ネリアーはことさらに微笑んだ。蕩けるように微笑んで、ゆっくりと歌うように言葉を繋ぐ。
「ねえ、私の乙女。私があなたの力になりましょう」
「それは、たいへんに頼もしいです、けど……」
言うまでもなく、ネリアーの助力は喉から手が出るほどに欲しい。
が、力を貸してもらえるだけでは済まなさそうで、トーヴァは口ごもる。
「その代わりに、褒美をください」
「褒美、ですか」
やはりか、と引き攣った笑いを浮かべるトーヴァに、ネリアーはぐいと迫った。ジェルヴェーズがじっとその様子を見守りながら、しっかりと拳を握りしめる。
トーヴァはそれをちらりと視界に入れて、どう躱そうかと必死に考える。
「その、ネリアーは、褒美の内容をどういったもので……」
「キスをください。乙女のキスは、乙女を愛する者にたいへんな力を与えるものなのだと言うでしょう?」
「え、え、まあ、そうかもしれませんが」
「まあ! まあ! とてもロマンチックね!」
思わず、といったようすでジェルヴェーズが声を弾ませる。
たしかに、これが物語であればトーヴァだって同じ反応を返しただろう。
けれど、当事者である現在、それは非常に困る。
「ねえ、乙女。キスをくれませんか」
ぐいぐい迫り来るネリアーをどうにか留めながら、もう一度ジェルヴェーズたちをちらりと見やる。
心なしか、後ろに控えた侍女たちまでが固唾を飲んで見守っているようだ。
「あっ、そのっ……ここじゃ、ちょっと、無理……です」
「では、ここでなければよいのですね?」
「えっ、まあ、ここじゃなければ……その、ふたりきりで、という意味ですが」
「わかりました」
するりと頬を撫でて、ネリアーが身体を引いた。ほっとしたトーヴァも姿勢を正して座り直す。
ちょっと残念そうな顔をしたジェルヴェーズは、見なかったことにする。
「――“魔導師の遺産”にどんなものがあったのかを知りたいなら、目録があるはずですよ、乙女。
正魔術師だけが利用できる書庫に納められているはずです」
「目録ですか」
「ええ。さすがに遺産の実物を出すわけにはいきませんが、目録の確認でしたらすぐにでも可能です。
あなたがお望みなら、今からでも」
「ねえ、その目録は、わたくしでも今から閲覧できるのかしら?」
興味を持ったらしいジェルヴェーズが尋ねるが、ネリアーは残念ながらと首を振る。
「協会の会員であれば、正魔術師の立会いのもと、書庫での閲覧は可能です。持ち出しは不可ですし、姫殿下なら、おそらくは正規の手続きを経れば可能でしょう。ですが、時間はかかります」
「――それは、秘密裡に閲覧する、というわけにはいかないようね」
ジェルヴェーズはやっぱり残念そうに、長椅子の背にもたれかかった。
ネリアーも肩を竦めて苦笑を浮かべる。
「アルトゥール殿下にも、もちろん知られるでしょうね」
ジェルヴェーズがアルトゥールのことをあれこれ調べまわっていることは、まだ悟られないほうがいいだろう。
そうなると、今、ジェルヴェーズがおおっぴらに動き回るわけにいかない。
「なら、あなたとトーヴァに一任するわ。トーヴァなら、魔術師協会に入会できるのでしょう? ネリアーと一緒に閲覧もできるってことよね?」
「はい、もちろん。詩人でもある乙女が協会に属することは、なんらめずらしいことではありませんから」
うん、と頷いて、ジェルヴェーズは顔を上げる。
「なら、トーヴァ」
「はい、姫様」
「そちらはトーヴァとネリアーに任せるわ。
わたくしは、王妃陛下や王太子妃殿下と仲良くなって、アルトゥール様のことをあれこれ聞き出すことに専念するから。
クレールたちは……そうね、アルトゥール殿下の噂話を聞きだせるだけ聞き出してちょうだい。どんなに嫌な噂でもすべて。全部よ」
「かしこまりました、姫様」