再会
「ようこそ、ジェルヴェーズ姫」
おおよそ二年半ぶりに会ったアルトゥールの外見は、あまり変わっていなかった。少し大人になったのではないかと思ったくらいだ。
けれど……アルトゥールの呼びかけに、ジェルヴェーズは瞠目する。
自分に向ける表情と慇懃に差し出された手。
そのふたつを交互に見て、ジェルヴェーズは直感的に「違う」と感じた。
――ただ、「違う」と感じたのだ。
見た目はアルトゥール以外の何者でもないのに、この人は違う。この人はアルトゥール……オーリャじゃない。
目の前でにっこりと微笑むアルトゥールの目が笑っていないことに気づいて、ジェルヴェーズはどうしようかと考えてしまう。
ここが正式な対面の場でなければ、すぐ隣にトーヴァが控えているのに。
「――姫?」
物腰柔らかく笑みを浮かべる彼は、ジェルヴェーズを伺うように小さく首をかしげた。彼の後ろには、近衛騎士と魔術師が控えている。アルトゥールの直属の護衛と、直属の部下だと言っていた。
そのふたりをちらりと見やって、ジェルヴェーズも改めてにっこりと、社交にふさわしい微笑みを浮かべた。
「わざわざお出迎えいただき、恐悦至極に存じます、アルトゥール殿下」
「いいえ、あなたは私の婚約者なのですから、当然のことですよ」
その表情にまったくの変化が現れないことを確認して、ジェルヴェーズは王女としての礼を返した。やや俯けた顔をわずかに顰めて、小さく溜息を吐く。
婚約してからはずっと、“アルトゥール殿下”なんて仰々しい呼び方などしたことはなかったのに、彼はそのことを訝しむ気配もない。
やっぱり、彼は以前のオーリャじゃない。
「殿下……それは……?」
アルトゥールの肩から大きな蜥蜴が頭を覗かせた。
さすがのジェルヴェーズも思わず声を上げそうになるほど……子犬ほどの大きさがある、真っ赤な蜥蜴だった。
「ああ、彼はランタンだよ」
アルトゥールが指先で蜥蜴の喉元をくすぐる。
「角灯?」
「私の使い魔として召喚した火蜥蜴だ」
どこか焦げくさい臭いを撒き散らしながら、火蜥蜴がシュウっと煙を吐く。思わず顔を顰めるジェルヴェーズに、アルトゥールはくすりと笑った。
「ねえトーヴァ。あれ絶対オーリャ様じゃないわ」
離宮に用意された部屋に落ち着くなり、ジェルヴェーズはぽすんとクッションを叩いた。まずは婚約者同士、久しぶりなのだからとふたりで会う機会を設けられたが、あんな“アルトゥール”を相手に話が弾むはずもない。
「陛下や王太子殿下は気づいてないのかしら。あんなのオーリャ様じゃないのに、どうして?」
クッションを叩いたりぐにぐに揉んだりしながら、ジェルヴェーズは憤懣やるかたなしといった調子だ。
「姫様、アルトゥール殿下ではないと決まったわけではありませんし、まずは話を聞いてみませんか」
「そんなはずないわ! 絶対オーリャ様じゃないもの! ねえアンバー!」
「はあい?」
ジェルヴェーズの呼びかけに、ぽん、と煙を出してアンバーが現れた。
けれど、あまりやる気はなさそうだ。寝そべった格好のまま、面倒臭そうに鏡を覗いて化粧のチェックをしている。
「あれ、オーリャ様じゃないわよね!?」
「知らなあい」
「もう! ジンニーヤのくせに、ちっとも役に立たないんだから!」
「だってワタシ、ニナの“お願い”聞くためだけにここにいるんだもーん」
空中を漂いながら、アンバーはふわあと欠伸をする。
もう、もう、とクッションを叩き続けるジェルヴェーズをそろそろ落ち着いてくださいと宥めながら、トーヴァがふと思い出したように呟いた。
「でも、あの火蜥蜴は、なんだか嫌な感じでしたね」
「火蜥蜴が?」
「はい……あれは精霊族の一種ですし、精霊は司る事象の性質を強く帯びているものです。火は、その性質上、気性が荒い厄介なものが多いんですよ」
「――オーリャ様、前はあんなの連れてなかったし、あんな嫌な笑い方はしなかったのよ。ちょっと控えめで、でもふわふわしてて、とっても優しくて素敵な笑顔だったのに……やっぱりあんなのオーリャ様じゃないわ」
クッションを抱え込んだジェルヴェーズは、俯いて唇を噛む。
「それに、わたくしのこと、“ジェルヴェーズ姫”なんて……ニナって呼んでって、お願いしたことまで忘れちゃったのかしら。
でも、そんなのどう考えてもオーリャ様じゃないわ、偽物に決まってる」
ジェルヴェーズはじわりと涙を浮かべた。
最後に会った時よりずいぶん背も伸びて大人になったのに……久しぶりに会って「見違えるようだ」と言って欲しかったのに……ぶつぶつとひたすら不満を述べるジェルヴェーズに、トーヴァは小さく溜息を吐く。
たしかに、アルトゥールの印象の変わりようは、あまり普通と言えなかった。この二年半の間に何かがあったのだと考えるほうが自然だろう。
そういえば……。
「姫様。殿下から最後に頂いた手紙には、“魔導師の遺産の整理”をしているとあったのですよね」
「ええと……そうだったと思うわ」
「たしかにずいぶんな変化ですし、姫様の心配も最もです」
パッと顔を上げたジェルヴェーズに、トーヴァはにっこりと笑う。
「少し、確認してみましょう。姫様も、機会を見てそれとなく王太子殿下や国王陛下から殿下の二年間のご様子をお聞きしてみてください。
私もこちらにお仕えしている方々に聞いてみます。侍女のみなさんにもよろしくお願いします」
国元からジェルヴェーズに付き添ってきた侍女は三人。皆がジェルヴェーズのためならと、気合十分だ。
「姫様、それならまずは今夜の会食ですわね」
筆頭侍女のクレールが、予定を書いた書付を確認する。
「本日は、姫様のご到着間もないですから、親しい身内だけでの会食です。
出席者は国王陛下夫妻、アレクセイ王太子殿下夫妻、アルトゥール殿下と弟君のニコライ殿下、その御婚約者であるドゥルジナ侯爵のご令嬢、レオニーダ・レイラ様ですね。王太子殿下のご息女であるセラフィマ・リーリヤ姫は、まだ幼いとのことで、後日改めて顔合わせだそうです。
アルトゥール殿下を探るのでしたら、姫様には、この席でぜひともラスィエット王家の方々とも親密になっていただかねばなりませんよ」
クレールの励ましに応えて、ジェルヴェーズは表情を引き締める。
「――わたくし、がんばるわ。もしかしたら何かの間違いかもしれないし、オーリャ様のことも、もう一度よく見てみることにするわね」
「それでこそ姫様です。ですが、くれぐれも言動にはお気を付けくださいませ」
「任せて!」
クッションをぎゅううと抱き締めて、ジェルヴェーズは力強く頷いた。
会食には、トーヴァが付き添うことになった。
“深森の国”の王家筋であるリヴィエール公爵家の縁者……という肩書きが効いているのだろう。
ジェルヴェーズを迎えに現れたアルトゥールは、魔術師の正装を纏っていた。アルトゥールの紋章に魔術師協会を示す紋章が並んで刺繍された長衣を眺めて、ジェルヴェーズは、以前のアルトゥールならどれほど素敵だったろうかと考える。
「ジェルヴェーズ姫?」
「あ、申し訳ありません、アルトゥール殿下。わたくし、少し緊張しているみたいです」
差し出された手に自分の手を乗せながら、ジェルヴェーズは取り繕うように笑った。そのまま、アルトゥールにエスコートされて馬車に乗り込む。
王宮の敷地内とはいえ、離宮と宮殿の間はそれなりに距離がある。
馬車の中でいったい何を話せばいいのか。ちらりと見上げたアルトゥールの顔はどこかつまらなそうで……ジェルヴェーズは、いっそ今すぐ大声で泣き喚いてやろうか、などと考えてしまう。
自分が思い切り嫌だ嫌だと泣き喚いて元のアルトゥールに戻るなら、いくらでもそうしてやるのに、と。
「アルトゥール殿下……」
ふと、アルトゥールが初めて見せてくれた魔術の幻を思い出して、ジェルヴェーズはぽつりと呼びかけた。
アルトゥールは、視線だけをちらりとジェルヴェーズに寄越す。
「わたくし、初めて殿下に見せていただいた、魔術の……あの、幻の……」
「はい?」
くっと片眉を上げるアルトゥールの表情に、ジェルヴェーズは、あ、と思う。
「幻の……その、猫が、とてもふわふわで可愛らしかったのです。それに、花火も。空に弾ける鮮やかな色とりどりの花火も、とても美しくて、わたくし、忘れられなくて……また、見せていただけますか?」
にっこりと笑うジェルヴェーズに、アルトゥールは「そんなことか」と口の端だけを釣り上げた。
「そのような幻術、いくらでも姫のお好きな時にお見せしましょう。私にとっては手慰み程度でしかありません」
「まあ、とてもうれしく思います。そのうち、ぜひに」
やっぱり違う。
ジェルヴェーズの心臓がドキドキと早鐘を打つ。
これが何者かは知らないけれど、たしかにオーリャではない。オーリャなら、ニナに初めて見せてくれた幻術を間違えるわけがない。
だから、間違いない。これは別人だ。
隣に座るトーヴァが微かに息を呑む気配を感じる。心なしか身体を固く強張らせ、緊張しているようだった。
表面だけはにこやかな微笑みを浮かべたまま、ジェルヴェーズは内心で固く誓いを立てる。
偽物のくせに、大きな顔でジェルヴェーズの前に現れて、大切なアルトゥールのふりをするなんて許せない。
絶対に正体を暴いてやる。
そして、本物のアルトゥールを見つけ出して取り戻すのだ。