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婚約者が別人なので、本物を捜します【なろう版】  作者: 銀月
序.お姫様と王子様の婚約

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アンバー

「はあい、ニナ」


 中庭の回廊を歩くジェルヴェーズは、突然名前を呼ばれてきょろきょろと周囲を見回した。なのに、周りにあるのはトーヴァと侍女、そして忙しく行き来する使用人の姿だけだ。ジェルヴェーズを「ニナ」と呼ぶような者の姿はない。

「姫様?」

「ニナ。ここはちょっと人目が多すぎるわ。だから部屋に行きましょうよ」

 声はジェルヴェーズにしか聞こえていないようだった。訝しむトーヴァをしばし見つめて、それから少し考えて、「部屋に戻るわ」と歩き出す。

「姫様、何かありましたか?」

「よくわからないの。だから、とりあえず部屋に戻ってみるわ」

 これから母君と兄王子を訪ねようというところだったのに、急にどうしたのか。トーヴァは首を捻りながらついていく。




 自室に戻ったところで、ジェルヴェーズは「戻ったわよ」とどこへともなく声を掛けた。たちまち、ポンという音とともに、空中に妙齢の女が現れる。

 ――褐色の肌に青みがかった銀の髪と輝くような緑の目、豊満な体付きを強調するような最低限の衣装……その耳が長く尖り、宙に浮かんでいなければ、南方の異民族かと思うような出で立ちだ。

 いきなり現れた女は、くすくす笑いながらくるくると宙を舞った。


「お前、何者なの?」

「ニナでしょう? ワタシはアンバー。ワタシの仮のご主人様は、今日からニナなの。よろしくしてね」

「え? どういうこと?」

 くるくるくるくる、笑いながら舞い踊る女にジェルヴェーズは目を白黒させる。トーヴァも一瞬呆気に取られて、それからハッとしたように考え込む。

「ふふ、だから、これ失くさないで持っててね、ご主人様」

 アンバーははジェルヴェーズの手にぽとりとひとつ指輪を落とした。金色で飾り気のない、けれど、内側にはびっしりと複雑な紋様が彫られた、表側にきらめく小さな緑の石がひとつはまった指輪だ。

「ねえ、いったいどういうことなの?」

「ああ、ここで言っておかなきゃいけないことがあるのよ。決まりだから、ちゃんと聞いてねご主人様」

 ジェルヴェーズは畳み掛けるようなアンバーの話にさっぱりついていけず、ひたすら指輪とアンバーを見比べている。

「ワタシはアナタのお願いを叶えてあげられる。けれど無限にじゃない。叶えられるお願いの数は、その指輪にある石の数だけ。つまり、ひとつよ。

 そして、最後のお願いを叶えたら、ワタシはアナタの元を去るわ」

 アンバーはにっこりと微笑んだ。

「さあ、ご主人様。アナタの“お願い(ウィッシュ)”はなあに?」

 ジェルヴェーズの目の前に浮かび、その顔を覗き込むようにして、アンバーは笑い続けている。

 さあ、早く願いを口にしろ――そう急き立てられているような気がして、ジェルヴェーズはゆっくりと口を開き……。


「わ、わたくしの“お願い(ウィッシュ)”なんて、もちろん、早くおと……」


 パッと手で口を塞がれて、ジェルヴェーズの言葉が止まった。もごもごと言葉にならない言葉を呟いて振り返ると、口を塞いでいるのはトーヴァだった。


「お前、ジンニーヤね」

 ジェルヴェーズを抱え込み、口を塞ぎながら、トーヴァは思い切りアンバーを睨みつけていた。

「あら、知ってるの? 博識ね。そうよ、ワタシは風の精霊族(ジンニーヤ)のアンバー」

 トーヴァはほうっと溜息を吐く。

 危なかった、と思いながら。

「もちろん知ってるわ。ジンニーヤ……“風精(ジン)の叶える三つのお願い”の話は、とっても有名だもの」


 やっぱりそうかと大きく息を吐いた。

 ジェルヴェーズが“お願い”をすべて口にする前に止められてよかったと、トーヴァはほっと胸を撫で下ろす。


「姫様、今、お願いを口にする必要はありません。“風精(ジン)”の願いを叶える力はとても強力です。それこそ、伝説に謳われるほどに。

 けれど、だからこそ注意しなければいけません。願いごとを口にするときは気をつけろと言うでしょう? なぜなら、“本当にすべてが叶ってしまうから”なんですよ。口にした、すべてのことが」

 くすくす笑って、アンバーはふたりの周りをくるくると舞い続けている。


 この手の“願い”は、迷いようのない言葉で適切に述べなければならない。

 なぜなら、ジンたちが、人間の願いを人間が願ったように叶えることは稀だからだ。大抵の“お願い”は、願った者が口にした一言一句違わず、言葉どおりに、けれど意図しなかったように叶えられてしまうものなのだ。


「姫様、まだ“その時”ではありません。きっと、いつかこの力を必要とする時が来るんだと思います。ですから、ここは保留にしませんか?」

「保留?」

「はい。自分の力の及ばない、けれど何をおいても叶えたい願いにこそ、ジンの“お願い”を使うべきです」

 何をおいても……と呟いて、ジェルヴェーズは頷く。

「――わかったわ」

 ほう、と自分を落ち着かせるように深呼吸をして、ジェルヴェーズはアンバーへと視線を向けた。


 ジェルヴェーズが今叶えて欲しい願いなんて、早くアルトゥールに似合うような大人になりたい……なんてことしかない。

 けれど、それは何をおいても、ジンの力を借りてでも叶えたいものかと問われれば、そういうわけではないのだ。


「アンバー。わたくしの“お願い”は、あとに取っておくことにするわ」

「あらそう? 残念だわ」

 アンバーは少しつまらなそうに肩を竦めた。せっかく自由になれると思ったのに、などと呟いて。

 トーヴァは、ジェルヴェーズの持つ指輪をじっと観察する。緑の石のすぐ横に、石と同じ大きさのくぼみがふたつ残っている。

「ねえ、アンバー。“ジンのお願い”って、ほんとうはみっつなのよね?」

「ん? そうね。でも、ワタシが叶えられるのは、あとひとつだけよ?」

「他のふたつはどうしたの?」

「ヒミツ」

 アンバーははぐらかすようにふふっと笑った。

 どうやら素直に答える気はないらしい。

「――オーリャ様ね」

「あら?」

 けれど、断言するジェルヴェーズに思わず動きが止まる。

「お前をここに寄越したのは、オーリャ様ね?」

「どうしてそう思うの?」

 アンバーが首を傾げた。ジェルヴェーズはジンニーヤを驚かせたことが嬉しいのか、得意げだ。

「だって、こんな指輪を送ってわたくしを主人にしろだなんて、オーリャ様しかやらないわ。百歩譲ってフィデル兄様もいるけど、兄様なら、わたくしに贈るよりもまず自分が主人になるもの。

 だからオーリャ様だわ」

「ふうん? まあでも、ヒミツだけどね」


 アンバーは気を取り直したようにまた笑い出す。けれど、きっと図星を指されたことには違いない。


「こうしちゃいられないわ!」

 パンと手を叩いて、ジェルヴェーズが急にパタパタと走り出した。

「姫様!」

「オーリャ様にお手紙を書かなきゃ! アンバーを寄越してくださってありがとうございます、って」

 どの紙を使えばいいか、封蝋を用意しなきゃ……そんなことをぶつぶつ言いながら、ジェルヴェーズは引き出しを開けたり閉めたり忙しい。

「あ、そうだわ、アンバー。あなた、オーリャ様にお手紙を届けられる?」

「それは“お願い”かしら?」

 振り返ったジェルヴェーズに、アンバーは少し意地悪そうな笑みを浮かべた。ジェルヴェーズはすぐに顔を顰めて、「そういうのじゃないわ」と返す。

「“お願い”とは違うの。あなたにできるなら、やって欲しいと思っただけよ。でも、気が向かないなら断ってもいいわ」

「じゃあ、嫌」

 アンバーのにべもない言葉にジェルヴェーズはぷうっと頬を膨らませたけれど、すぐに「嫌なら仕方ないわね」と溜息を吐くだけに抑えた。




 けれど、その日からいくら手紙を出しても、アルトゥールからの返信はひとつも来なくなってしまった。

 いったいどうしたのか。

 なら、次に会える時に尋ねようと思ったのに、“魔術省の仕事が立て込んでいる”という理由で、“深森の国”の訪問も流れてしまったのだ。

 申し訳なさそうな使者に怒ったところでどうしようもなくて……。


「ねえ、アンバー。あなた、オーリャ様がどうしたのか知ってる?」

「知らなあい」


 宙に浮かんでぽふぽふと白粉をはたきながら、アンバーが気の無い返事を返す。アルトゥールの態度が変わったのは、アンバーがここに来てからなのだ。知らないなんてことはあるのだろうか。


「アンバー!」

「だって知らないものは知らないもの」

「知らないわけないわよね!?」

 宙に向かって拳を振り回すジェルヴェーズを、苦笑を浮かべたトーヴァがまあまあと宥めすかす。

「姫様、落ち着いてください」

「だってトーヴァ!」

「いかにジンといってもたいした力がないんですから、しかたありません。ひとの足なら千日掛かる距離を一瞬で飛べるというのも、きっと、伝説が大袈裟に伝えているだけなんです。さっと行って見てくるなんて、いかにジンであろうと無理なことなんですよ。

 ですから姫様、あまり無茶を申し付けてはいけません」

 しおらしくジェルヴェーズを押しとどめるトーヴァの言葉に、アンバーは眉を寄せる。もしかして、ジンニーヤとしての自分の力が疑われているのかと。

「ちょっとお! ワタシをなんだと思ってるの! 風の上位精霊である偉大なジンのひとりなんだからね!」

「でも、万能ではないでしょう?」

 困らせてしまってすみません、と頭を下げるトーヴァのわざとらしい態度に、アンバーはますます顔を顰めていく。

「ああもう! 疑うんならそのくらい見てきてあげるわよ! ワタシにかかればその程度の距離なんて一瞬なんだから!」

 肩を怒らせて、アンバーが立ち上がる。

 すたすたと空中を歩き、窓を勢いよく開け放ち、身体を乗り出そうとして……けれど、いきなり「あっ」と声を上げてがっくりと項垂れてしまった。

「ごめんなさい、無理だったわ……」

「無理なの?」

 しおれるアンバーに、ジェルヴェーズが驚いて目を丸くする。

「無理。絶対無理。理由は言えないわ。でも、ワタシのジンニーヤとしての誇りを賭けても、無理なものは無理」

 ジェルヴェーズはトーヴァと顔を見合わせる。

 いったい何がどうして無理なのか。けれど、アンバーがここまで言うのだ。何かどうしようもない理由があって無理なのだろう。


「――しかたないわ。オーリャ様のところへ行くまで、あと半年と少しだもの。もう、わたくしが直接オーリャ様を問いただすことにするわ!」



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