交渉
「ジェルヴェーズ姫、父の時間が取れず申し訳ない。だが、あなたの言伝からは時を改めてとはいかないものであると感じたゆえ、まずは私がお伺いしよう。それでよろしいかな?」
「はい、アレクセイ・ジェニス王太子殿下。急な要望にお応えいただきましたこと、大変に恐縮でございます」
国王の時間は立て込んでいるが、王太子のみでよければすぐにでも……という回答を持って、クレールは戻った。
ジェルヴェーズは一も二もなく了承し、すぐさま支度を整えてクレールと共に本宮へと向かう。
案内されたのは王太子の執務室であり、そこにはすでに“朱の国”王太子アレクセイ・ジェニス・ラスィエットが待ち構えていた。
「ジェルヴェーズ姫、形式張ったやりとりはこの際無しということにしよう。それで、あなたが父や私に直接話さねばならないこととは、いったい何か?」
「それでは……」
ジェルヴェーズはちらりと周囲を見回した。
王太子と数人の臣下が、まだ室内に残っている。
「王太子殿下、まずは人払いをお願いいたします」
「何故に?」
「だって、これからわたくしがお話しするのはとってもデリケートなことなのだもの。早々、他人の耳に入れたくなどないの」
つん、と澄まして答えるジェルヴェーズに、王太子はやれやれと肩を竦めた。周囲の者たちに合図を送ると、ひとりを残して全員が部屋から出てしまう。
「姫、彼はパヴェルだ。サレハルト侯爵の次男であり、私の腹心で口も固い。彼を残すことだけは了承していただきたい」
「しかたありませんわ。わたくしはジェルヴェーズ・ニナ・フォーレイ。これから王太子殿下に申し上げることは、他言無用にお願いいたします」
「パヴェル・サーヴァ・サレハルトです、ジェルヴェーズ姫殿下。王太子殿下の命無き限り、あなたのお話は決して漏らさぬとお約束しましょう」
ジェルヴェーズは満足そうに微笑んで、了承したことを示した。それから、手にした扇をパチリパチリと一回開閉して、おもむろに口を開く。
「単刀直入に申しますわ。今、我が物顔で歩いているアルトゥール殿下は偽物で、わたくしのオーリャ様ではありませんの」
「――は? 姫、いったい何を?」
「今、申し上げたとおりよ」
いったい何を言い出すのかと王太子が思い切り目を眇めて訝しむが、ジェルヴェーズはにっこりと笑い返す。
パヴェルも困惑を隠しきれないという表情で、王太子とジェルヴェーズを交互に見つめている。
「あのアルトゥール殿下は、オーリャ様と同じ姿でオーリャ様のフリをして何かを企む、悪辣な偽物なのよ」
「いやしかし、姫? それは何か確証があってのことなのか?」
「確証? そうねえ……」
「確証がないのでは、我が王家に対する言い掛かりとしか思えないのだが――」
「王太子殿下」
王太子の言葉を遮り、ジェルヴェーズは笑みを消す。
「オーリャ様は、わたくしとの約束など何ひとつ覚えていなかったのよ」
「約束……?」
パヴェルが首を傾げる。王太子は眉根を寄せて何かを考え込む。
「婚約の対面の場で、オーリャ様とわたくしは家族になるのだからと約束したわ。わたくしはオーリャ様を“オーリャ様”と呼ぶし、オーリャ様はわたくしを“ニナ”と呼ぶって。でも、二年ぶりにお会いしたオーリャ様はわたくしを“ジェルヴェーズ”と呼ぶし、わたくしが“アルトゥール殿下”と呼んでもまったく動じないのよ」
「姫殿下。それだけで……」
パヴェルが少し呆れ顔になる。
だが、たかが呼び名ではなく、夫婦になるための大切な約束なのだ。
「それに、アルトゥール殿下は、わたくしに披露してくださった魔術がどんなものだったか、まったく覚えていなかったの」
「ですが……」
「アレクセイ王太子殿下」
口を開きかけたパヴェルに構わず、ジェルヴェーズは王太子を見据える。
「殿下は、王太子妃殿下にはじめて贈ったものや妃殿下にお願いされたことなど、すぐに忘れてしまうのかしら?」
「いや、それは」
「もし、妃殿下がいつもと違う呼び名で王太子殿下をお呼びしても、まったくお気になさらないの?」
少し決まり悪げな表情で、王太子とパヴェルが顔を見合わせた。
ジェルヴェーズはくすりと笑って、先を続ける。
「とはいえ、たしかにこれはわたくしの“勘”にすぎないわ。わたくしがアルトゥール殿下に疑問を抱いたきっかけでしかないものね」
ジェルヴェーズは姿勢を正し、王太子を正面から見つめた。
「王太子殿下。わたくし、昨晩離宮で襲われたの」
「襲われた?」
たちまち王太子が真剣な顔になった。立ち上がったパヴェルに、直ちに王宮内の警備責任者を呼べと命じようとする王太子を、ジェルヴェーズは「お待ちになって」と押しとどめる。
「ここからが本題よ。
わたくしを襲撃したのは、アルトゥール殿下の姿をした偽物だったの。偽物は、離宮のわたくしの部屋に転移の魔術を使って現れたのよ」
「転移……魔術で、だと?」
王太子は驚きに大きく目を見開く。とても信じられないと傍らのパヴェルへと目をやるが、パヴェルも同様に驚いていた。
「ネリアー……わたくし付きの魔術師の話では、王宮内の転移はすべて封じられている、と聞いているのだけど……」
「そのとおりだ。魔術師長であるサルティニア公爵が年に一度、封じの結界があることを確認している」
「その偽物は、わたくしにこう告げたの。“ここは偉大なる魔導師のための宮殿だ”と。魔導師の資格のないものは、自由に振る舞えないのだとも言ってたわ……まるで、魔導師であれば転移も自由にできるとでも言うのかしらね」
王太子もパヴェルも、言葉を無くしてただジェルヴェーズを見つめる。ジェルヴェーズも少し困ったようにふたりを見つめ返す。
「――まさか、魔導師の生き残りがこの王宮内に潜んでいる、と? ばかな。“大災害”からもう百五十年は過ぎているんだぞ」
「それから、ネリアーが、魔術塔の地下から、魔術で眠らされたリュドミラを見つけたのよ。ええと……たしかトゥロマ伯のご令嬢だったわね。しかも、とても危険な魔術の罠まで仕掛けてあったそうよ」
ジェルヴェーズは冷めてしまったお茶で喉を湿した。ぬるいくらいの温度が、喋り続けた喉にちょうどいい。
「ネリアーが言うには、眠りの魔術も、罠も、転移も、どれもがとても高位の魔術なのですって。正魔術師になった後も、何年も何年も研鑽を続けなければ、とても使えようのない魔術だそうよ。本物のオーリャ様に使えるかは甚だ疑問だとも言っていたわ」
「つまり、だから、今、我々の見ているオーリャが偽物だと? しかし、どうやって入れ替わったというのだ。魔術で外見を変えたところで……」
「ええ。それに、ルスランとリュドミラが何かを知っているはずよ。ルスランは、リュドミラを人質に取られたうえに呪いを掛けられていたんだもの」
「オーリャの近衛と部下の魔術師か……それで、姫は私に今すぐ本物のオーリャを探し出せと?」
「いえ。王太子殿下に動かれては、おおごとになってしまうわ。
だからわたくし、王太子殿下にも、ましてや国王陛下にも決して動かないでいただきたいとお願いに来たのよ」
澄ました顔で微笑むジェルヴェーズに、王太子は思い切り溜息を吐いた。そんなお願いを、何故聞いてもらえるなどと思うのか。
「ジェルヴェーズ姫」
「なにかしら?」
「“魔導師”の残党が関わっているというなら、既におおごとになっていると考えるべきでは?」
「いいえ。オーリャ様のご家族が気づいてなかったのに、おおごとになろうはずがないわ。それに、おおごとになったらオーリャ様が困ってしまうもの」
王太子がやや身を乗り出して声を潜めると、ジェルヴェーズは眉をひそめてぷいと横を向いた。少し子供っぽい仕草に、王太子は思わず苦笑を漏らす。
「姫、そうも言っていられないことなのだが。だからこそ、こうして私の元に来られたのではないのかな?」
「そうじゃなくて――だって、この国の魔術師の評判って、本当に、悪すぎるくらいに悪いんだもの」
ぐ、と王太子は言葉を詰まらせる。
ジェルヴェーズの指摘どおり、魔術師であるというだけで、人々はまるで魔物でも現れたかのような態度を取る。魔術塔があるこの王宮内ですら、魔術師とは極力接触を避けようとする者ばかりだ。
「わたくし、本当にびっくりしたのよ。皆、まるで帯剣した聖騎士を指して、人殺しの武器を持つ恐ろしい輩だと大騒ぎする子供みたいなんだもの」
やれやれと肩を竦めて、ジェルヴェーズは思い切り顔を顰めた。
「ただでさえこうなのよ。これで王太子殿下に“魔導師が出たぞ!”なんて騒がれたら、今以上に魔術師の評判が落ちてしまうではないの。
オーリャ様が悲しむわ」
「――この国の成り立ちを思えば、魔術を厭うのはしかたない。それよりも、また“魔導師”が関わっているというのに、内密になどというのは――」
「王太子殿下」
ジェルヴェーズが少し低い声で王太子を呼んだ。
言葉を遮られて、王太子はわずかに渋面を作る。ジェルヴェーズの申し出は承服しかねると言いたげだ。
「わたくし、だから、王太子殿下にはこの件が表に出ないよう、全力で抑えていただきたいのよ」
そんなことを言われても困ると言いたいのか、王太子はすげなく首を振る。
「姫の要求を呑むとしても、いつまでも抑えていられようがないだろうが」
「それはわかっているわ。だから三日よ」
「三日?」
「ええ。偽物は、自分の正体がこちらに知られたことを知っているもの。なら、何かするにしてもさほど日を置かないうちだわ。トーヴァも同じ意見よ」
王太子は渋面のままじっとジェルヴェーズを見つめる。ジェルヴェーズは、その王太子ににっこりと微笑みを返す。
「だから、三日、時間が欲しいの。わたくしたちでオーリャ様を助け出して、魔導師を名乗る偽物に、天とわたくしの怒りを食らわしてやるんだから」
はあ、と王太子はまた溜息を吐いた。
この姫は、どうにも一筋縄ではいかないらしい、と。
「わかった。三日だ。三日間だけ、姫にすべてを任せよう。
だが、私はその間に態勢を整える。三日で事が終わっていなければ、ただちにこの件は私の預かるところとする」
ジェルヴェーズは内心ほっとした。
どちらに転んでも、三日が勝負どころだと考えていたのだ。
トーヴァやカーティスも、ここ数日のうちに見つけられなければ、厳しいことになるだろうという意見で一致している。
ジェルヴェーズは溢れるような笑顔を浮かべて、「王太子殿下のご配慮に感謝いたします」と礼をした。





