素敵な王子様
「ねえ、トーヴァ、豪傑じゃなかったけど、オーリャ様は素敵だわ」
「姫様は、アルトゥール殿下が豪傑のほうがよかったんですか?」
おもしろそうに尋ね返されて、ジェルヴェーズはううむと考え込む。
たしかに、“豪傑”にはちょっと興味がある。けれど、アルトゥールが豪傑なのは何かが違う。
「豪傑なオーリャ様はちょっと想像できないし、豪傑じゃなきゃ嫌なんて考えてなんかいないわ。それに、オーリャ様は、魔術師が似合ってると思うの」
「なら、良かったです。アルトゥール殿下が身体を鍛えなきゃ嫌だと、姫様がわがまま言って困らせたらどうしようかと思っていました」
「あら、わたくしはそんなわがままじゃないわよ」
「そうでしたか?」
軽口を叩いてくすくすと笑うトーヴァに、ジェルヴェーズはぷうっと頬を膨らませる。ジェルヴェーズがまだまだ子供なことは少し心配だけど、ふたりの相性は悪くなさそうで、トーヴァは少しほっとしていた。
「あ、そうだ! あのねトーヴァ。オーリャ様が、明日、わたくしに魔術を見せてくれるの! 師長に確認したら、小魔法なら構わないって」
「まあ、たのしみですね」
小魔法は、魔術師見習いとなった者が最初に学ぶ魔法だ。ちょっとした幻影を作ったり、軽いものを少しだけ持ち上げたり、手を触れずに小さな箱の蓋を開いたり……そんな、本当にちょっとしたことしかできない魔術だから、魔術師長も許可したのだろう。
「わたくしの夫になる方が、オーリャ様で良かった。オーリャ様はきっととってもすごい魔術師になるのよ。物語の王子様より、もっとすごいの」
にこにことうれしそうに喋り倒すジェルヴェーズの話を、トーヴァもにこにこと聞いていた。
この婚姻がうまくいきそうでよかった、と。
もちろん、政略なのだから当人たちの意思は関係ない。けれど、そうは言っても夫婦となるのだ。幸せな結婚であるほうがいい。
翌日は、中庭で茶会を兼ねて、小魔術のお披露目となった。
一応、王宮内のことであるし念のためと、魔術師長も同席している。
魔術師長はどう見ても枯れ枝のような老人なのにとても元気で、ジェルヴェーズはいつも緊張してしまう。
叱られそうとか怖いとかではなく、うっかり触って折れてしまったらどうしよう、と心配になってしまうのだ。
「ほっ、ほっ、姫殿下は緊張しておられるようですな」
「えっ!」
おとなしく神妙に座っていたジェルヴェーズは、言い当てられてびくんと飛び上がってしまった。思わずアルトゥールを伺えばにっこりと微笑み返されて、ジェルヴェーズの顔にかあっと血がのぼる。
「だ、だって、師長さまが一緒なんだもの!」
「いやいや、儂もアルトゥール殿下の魔術の才には興味がありましてなあ」
「僕は若輩者ですし、“深森の国”の魔術師長殿にはまだまだ拙いと呆れられないといいのですが」
魔術師長が真っ白な長い顎髭をゆっくり扱きながらふむふむと頷いた。
「謙遜なさらずとも。“朱の国”の第二王子が、ずいぶんと研鑽を積んでおられる話は、儂も耳にしております。そのお歳にしては、ずいぶんと多くの魔術を習得されたということも含めて、頑張っておられると」
「――ありがとう、ございます」
うれしそうに目を細めるアルトゥールはとても謙虚な方のようだ。
ジェルヴェーズはそんなことを考えながら、一緒ににっこりと笑った。
魔術師長が褒めるのだから、きっとアルトゥールはとっても魔術の才能があるのだ。それに、ジェルヴェーズならきっとうれしくてはしゃぎ回ってしまうところを、アルトゥールは控えめに微笑むだけとは、すごく大人だ。
ひとしきり、魔術師長の質問に答えるアルトゥールは、たぶん魔術師としてとても優秀なんだろう。
ジェルヴェーズには内容の半分も理解できなかったけれど、魔術師長がときおり感心したように頷くのだ。決まってる。きっとそうに違いない。
「魔術師長殿、本日は、ニナ姫に小魔法を見せる約束なので、そろそろ……」
「おお、そうじゃったそうじゃった。すまんの、姫殿下」
「いいのよ。だって、オーリャ様がとっても素晴らしいから、師長さまがいっぱいお話ししたんでしょう?」
「たしかに、その通りですな」
ふぁ、ふぁ、と空気の抜けるような笑い声を上げて、魔術師長は「さて」とアルトゥールに向き直る。
「では、改めて、殿下の魔術鑑賞といきますかな」
「緊張しますね……」
アルトゥールの眉尻が心持ち下がる。
小魔法は見習いの魔法なのだ。正式な魔術師なら手慰みに使うもので、改めて人に見せるようなものではない。
わくわくと期待に目を輝かせるジェルヴェーズと、どこかおもしろがっているような魔術師長の表情からそこはかとない圧力を感じながら、アルトゥールは大きく深呼吸をする。数度、自分を落ちつせるように深呼吸を繰り返して、ゆっくりと呪文を唱えた。
軽く、何かを描くように動かしたアルトゥールの指先から、大小さまざまな光の玉が生まれた。光はふわふわと空中に浮かび上がり、蝶に姿を変える。
ひらひら踊る蝶の群れは風に巻かれて、すぐに溶けるように変化していった。舞い踊る蝶から、舞い踊る色とりどりの花へと。
そのまま生きているように宙を舞ううちに、花は次々と弾けて小さな羽毛を撒き散らす。花の色の柔らかそうな羽毛はゆっくりと地面に降り注ぎ――けれど、地面に触れるかどうかというところで、淡雪のようにすうっと消えてしまって……。
目の前に降ってきた羽毛へ思わず手を伸ばしたジェルヴェーズは、それが触れる間も無く消えて少し残念そうな顔になる。
「アルトゥール殿下は、なかなかに繊細な感性としっかりとした観察眼をお持ちのようですな」
ふむふむと、小魔法が生み出した幻影をつぶさに観察しながら、魔術師長が楽しそうに述べる。
「恐縮です」
「こういう簡単な魔術にこそ、本人の資質というものがよく出るのですよ。簡単であるからこそ、ごまかしが利かないものなのです」
手放しで褒める魔術師長に、アルトゥールはひたすら恐縮だを繰り返すばかりだ。アルトゥールはとても素晴らしい魔術師なのだし、もっと威張ってもいいんじゃないかとジェルヴェーズは考える。
急に、ジェルヴェーズはトーヴァを振り返った。何かいいことを思いついたとでも言いたげにキラキラと目を輝かせて、だ。
「ねえトーヴァ。わたくし、楽器を習いたいわ! オーリャ様の魔術に合わせてわたくしが演奏するのよ! 素敵だと思わない!?」
こんな表情のジェルヴェーズは、決まって何かしらの無茶を言い出すものなのだが、今回はそれほど突飛なことではなかった。
トーヴァはほっと息を吐きながら、ええ、と頷く。
「素敵ですね。楽器でしたら私がお教えいたしますよ。殿下にお見せいただいた幻にどんな音色が似合うかも、一緒に考えてみましょうね」
「ええ!」
ジェルヴェーズはこれ以上ないくらいに舞い上がる。
「オーリャ様も、わたくし、次までにたくさんたくさん練習するから、楽しみにしていらしてね。きっとよ!」
ジェルヴェーズの勢いに目を丸くしながらも、アルトゥールは、まんざらでもないようだった。
魔術師長も髭をわしわし扱きつつ、微笑ましげにふたりを見ている。
「では、ニナ姫。僕も次までに、本物の花を作り出せるくらいには精進しましょう。ニナ姫に似合う花を贈れるように」
ジェルヴェーズは、わあ、と歓声を上げる。
トーヴァも魔術師長も、それに使用人達も、この婚姻が上手くいきそうなことに安堵した。何しろ、アルトゥールは既に成人を過ぎているのに、ジェルヴェーズはまだ十にしかならない子供なのだ。相手にされなかったらという不安は、誰しもが抱いていることだった。
約ひと月のアルトゥールの滞在の間、ふたりは親交を深めていった。
まるで年の離れた兄妹のようではあるが、アルトゥールの手を引いて庭園を案内したり、ゆっくりとお茶を飲みながら語り合ったり――活発なジェルヴェーズと魔術師らしく落ち着いたアルトゥールは、とても似合いのふたりだと言われるようにもなっていった。
幼いながらも、ジェルヴェーズだって不安だった。自分はいったいどんな人と結婚しなければならないのかと。
けれど、アルトゥールが夫なら心配不要なんじゃないかとほっとしたのだ。
滞在中、アルトゥールは終始穏やかで、ジェルヴェーズの話もよく聞いてくれた。
兄エティエンヌなら、絶対に途中で飽きておざなりな返答しか寄越さなくなるようなジェルヴェーズの空想の話も、アルトゥールは飽きるようすも見せずに楽しそうに聞いてくれるのだ。
ジェルヴェーズはすっかりアルトゥールに夢中で、彼が自分の婚約者であることがとても誇らしくなっていた。
約束では四年後、ジェルヴェーズは“朱の国”へ行き、そのまま結婚の準備をしながら成人までの二年間を過ごすことになる。ジェルヴェーズの成人を待って婚姻の儀を行い、そこでようやく晴れてアルトゥールの妻となるのだ。
四年なんて、まだまだ遠い先のようで待ちきれない。
それまでは年に一度だけ、アルトゥールがこの“深森の国”を訪れることになっている。成人もまだまだ先のジェルヴェーズは、国を離れることすらままならない。
それならせめてと言って、ジェルヴェーズは自国へと戻るアルトゥールと、手紙のやりとりを約束したのだった。





